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「欠陥」を描く文学
先月亡くなった三木卓の本を読み返すうち、初めて「文学」というものに触れた10代のころを、いろいろ思い出していた。
で、思うのは、そのころ、1970年代には、身体の「不具合」をあつかう作品が多かったなあ、ということである。
たとえば、三木卓と同じころ芥川賞をとった、畑山博の「いつか汽笛を鳴らして」は、みつくち(兎唇)の少年が主人公である。
ぼくには、以前、自分の左側を右半分よりもじゃけんに扱うくせがあった。左側の鼻唇線のあるべき部分が深くえぐりとられているこのみじめったらしい欠点を、ぼくは自虐しつづけた。そして、自虐の果てにあるあの深い慰めの中から、ある日、世界の中心はぼくのこの裂けた上唇なのだという言葉を見つけだした。
平等の権利がぼくに与えられることがあるなどという期待はいつしか放棄してしまった。
(畑山博「いつか汽笛を鳴らして」1972年「文学界」初出、同年芥川賞受賞)
同じころ書かれ、のちに泉鏡花賞をとる色川武大の「怪しい来客簿」は、みずからの「奇形意識」を追求する作品だった。
幼い頃の私は、まず、いびつな頭部を気にした。私の渾名はゼッペキであり、航空母艦であり、流線型であった。
奇形の心境とはどういうものか。それを記すと長くなるけれども、一言で代表させれば、人と同じようなことをすると、笑われたり、びっくりされたりするのではないか、ということではなかろうか。
(人並みでないくせいに)人並みであろうとするはずかしさを耐え忍ぶくらいなら、孤立、孤独のほうがはるかに楽なのである。
私はそういうふうに沈下していった。
(色川武大「怪しい来客簿」1974年~『話の特集』、1977年泉鏡花賞)
そして、三木卓は、ポリオの後遺症で左足マヒという障害を負い、その劣等感を主題にエッセーを書いていた。
客観的に見て、いわれのあるような劣等感というものがある。もっともはっきりしている場合は、可視的な領域に劣等部分を持っている人間などで、その部分にかれの劣等意識が凝集しているような場合である。たとえば、かく申す、わたし自身も左足不具という形で、そういう劣等感を所有している。劣等感があるというだけでなく、劣等なのである。
劣等なもの、劣弱なものは、生殖の領域において、生の正当性の上に立てない。拒否されてもしかたない。
(三木卓「劣等感はすばらしい」1974年『婦人公論』)
劣等感を主題にするのは文学で珍しいことではない。
1970年代によく読まれた、井上ひさしだって、遠藤周作だって、自分の欠陥やドジを自虐的にエッセーに書いて、われわれの共感を呼んでいた。
太宰治の「マイナスを集めてプラスに」ではないが、劣等感をフックにして小説を描くのは、文学の定番といっていい。
でも、文学における劣等感は、共同体における孤独や疎外感をもとにした、いわば精神的なものが多い。
1970年代の文学が問題にしたのは、上の三木卓が書いているように、もっと「可視的な」劣等、「劣等感」というより「劣等部分」だった。
いわば即物的なのである。これは、この時代の特徴なのか、あるいは、たまたま私がそこを焦点化して文学を読んでいたからそう感じるのかは、わからない。
1970年代から80年くらいは、「フリークス」や「エレファントマン」といった映画がもてはやされた。
1960年代が、声高に社会正義を叫ぶ時代だったとすれば、70年代は、宴のあとの「しらけ」とともに、アングラ的、オカルト的なものがはやった。何かそういう広い文化背景があったようにも感じる。
ただ、私がそういう文学に惹きつけられのは、私の身体にも「不具合」があり、それとの折り合いに悩んでいたからにちがいない。
親にも相談できない悩みを、わかってくれるのは、そういう文学だけだった。
だから、10代に読んだこれらの作品は、その後も折にふれて読み返す、私にとって特別なものになった。
人は誰だって、どこかに欠陥をもつものではなかろうか。
顔がまずいとか、背が低すぎるとか高すぎるとかはわかりやすいが、もっと人に見えないところに、でも見られたらすぐわかるような「不具合」をかかえる人も多いと思う。
ときどき、顔にあるアザとか、アルビノとか、外見の特徴に悩む人、また、そういう人への社会的な差別が、新聞で問題にされたりする。
「不具合」や「欠陥」もそれぞれだが、最近私が思うのは、それを「社会化」する方向と、「個人化」する方向があるな、ということだ。
LGBTは、欠陥や障害ではないが、やはりそれにも、「社会化」と「個人化」の方向がある気がする。社会的差別をなくそうと積極的に運動する方向と、そういう方向にはむかわずに、あくまで個人で抱えて生きる方向と。
それは、人によるか、あるいはその「症状」によるのだろうか。
三木卓は、左足のマヒのため、社会生活に不利をこうむった。障害者手帳をとることができたが、それをせずに、あえて「ツッパリ」をとおした、と書いている(『生還の記』p124)。
ことの是非はともかく、その気持ちは私にはわかる。三木は50代で心臓バイパス手術をしたとき、3級1種の身体障害手帳をとるのだが、それに左足のマヒにはくわえなかった、とあえて書いている。
その「ツッパリ」が、たぶん彼の文学の原動力になった、と思うのだ。
自分の欠陥を、社会化できない、あるいは、あえて社会化しないからこそ、色川武大が書いているように、精神が「内向して、煮えたぎる」(角川文庫版「怪しい来客簿」p144)。
それが文学になる。文学とはそういうものだと思っていた。
のちに、もっと健康な精神で書かれる文学もあることを知った。
トーマス・マンが論じているように、健康者の芸術と、病者の芸術、それぞれに特長がある。
私はハイドンも好きだし、パンクロックも好きだ(?)。
だけど、自分の原点を探ろうとすると、どうしてもあの1970年代の、自分を欠陥品として描く文学に戻ってしまう。
三木卓への追悼文で書いたように、そうした文学がなければ、自分は自殺していたかもしれない。
最近の文学のことは知らないが、いまの若者も自分の不具合に悩むことはあるだろう。
彼らを支える文学は書かれているのだろうか。
それは、漫画やアニメの形に変わっているのだろうか。そのあたりはわからない。
最近は「障害」の形がやたら細分化され、客観化され、社会化される。
それで理解が「増進」することはあるだろうが、安易に理解されることを拒む「ツッパリ」も必要ではないか、と思ったりする。
そして、ポリコレだのコンプラだのの表現規制で、私を救ったあの小さな文学の領域が消えてしまわないよう願うだけだ。
<参考>