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人間パズル

未完成のパズル。

それが目の前にある時、あなたは完成したピースたちに目を向けるだろうか。それとも、欠けたピースに目を向けるだろうか。



わたしは、欠けたピースに目が向きやすい。

これは、欠点を見つけるとか自分の技術不足に目が行く、ネガティブ要素が強い。

そもそもわたしは幼い頃、ネガティブだったと思う。

クラスの友達が内緒話をしていれば自分のこと悪く言っているんじゃないかと恐怖を感じた。
自分のことも好きではないし、長所なんてよくわからなかった。



いつからポジティブになってきたのだろうか。

仲良しだと思っていた友達が自分の悪口を言っていたことを知って、人間不信になって卒業した中学時代。

高校に入学し、ふと、海援隊の『贈る言葉』の一節が耳に残った。

信じられぬと 嘆くよりも
人を信じて 傷つく方がいい

新しい人間関係を築くことも恐かったのだけど、「信じて傷つく人生の方がいいや」と思えた。

たぶんここから、ポジティブ変換をする自分に変わっていったのだと思う。
リフレーミングが得意になっていったのも、ネガティブすぎて、そうならなければ人生やっていられなかったのかもしれない。


なお、この話は他の記事にもある。


「欠け」は立体的なもの

この「欠けたピース」とは、『影』や『闇』のような存在。

つまり、人に対しても光より影を見ようとする。だからか極端に明るい人や突然笑顔で近づいてくる人がとても苦手である。
人間というのは常に未完成で、欠けたパズルのような存在。裏(影)が見えない人は、欠けたピースを無理やり隠して、完璧であるかのように振る舞う「何を考えているかわからない」恐怖がある。

自分をよく見せようとする人は大抵3パターンに分かれると思う。
①誰にも嫌われたくないから無理している
②好かれるとメリットがあるから良い顔をする
③何かこちらにほしいものがある

①の人は影が丸見えで好きな場合も多い。相手のことばかり考える優しい人だったりする。②③は言わずもがな。要はクレクレのテイカーである。


わたしは「無理している」人だとわかる直観が強いと自負している。「嘘つき」とも「素直じゃない」とも言える人。あるいは「媚びを売る」人だったりする。
完璧に見せようとする人からは即座に「奪われる」という防衛反応が起こる。

この勘を信じられるようになるまでは長かったが、わたしが生まれ育った環境の影響も大きく、いまや経験則に基づいた勘だとわかったのでいまは違和感を無視しないことにしている。

育った環境の話は、長くなるのでここでは触れないでおく。



面白いことに、パズルは欠けていると立体なのに、完成すると平面になる。
わたしは、この欠けたピースを埋める時間が物凄く好きなのだろう。

知らなかったことを知る時間。
目の前の人の人格形成となった何かを知る時間。
人に教えて、できないことができるようになる時間。

人に関しては、心の奥深くの秘密や悩み、あるいはその悩みの根本、原体験とも言える。


ただ、知った瞬間に平面にもなる。
ディズニーに行くまでは楽しいが、帰り道は徐々に気分が落ち着くのと同じようなものだろう。

わたしの場合「飽きる」とも言える。



欠けているからいいのだ。欠けているから永遠に知りたいと思える。
今日のあなたを知っても、明日は違う。ずっと変わって、ずっと欠けがあるから、飽きない。

自分に対しても、永遠に「欠けている」という感覚であり、それを埋めようとすると同時に、未完成であることが人間らしい完璧とも思える。


だからわたしは人の心やストーリーが大好きなのだ。
飽きっぽいわたしの、飽きないピースが。




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