ぐるぐると頭の中で消化できないものが渦巻いている。 嫌だったこと、つらかったこと、ループが止まらない。 自分を責めたり、相手を責めたり。 環境のせいにしたりしていた。 誰々にこんなこと言われて傷ついてイライラして でも全部我慢してた。 私に実力がないし、自信もない。 怒られるのが嫌で、一歩引いていた。 でもそれがまた引き金になって、うまくいかなくなる。 ネガティブそうに見えないらしい。 表情や言葉が平坦すぎて感情が出ないしわかりづらい。 言葉に変えることも感情を出すこと
やさしすぎると言われる。 良い意味でも悪い意味でも。 若い時は、良い意味のほうでとらえてくれていた気がするけど、 それなりの年齢になってくると悪い意味のほうでとらえられがち。 (環境によっても違うと思うけれど) とある職場の上司から平和主義すぎると言われて、ガーンとなった。 (その職場は契約を切られることになる) 相手を想うことことがいけないことなのか。 職場環境は人間関係が大切だし、良くしようと動くのが評価が下がることなのかと。 確かに相手を思いすぎて、自分を見失うこ
ゆっくりとした休日。 好きな時間に起きて、猫と見つめ合う幸せな時間。 晴れてるからシーツの洗濯でもしよう。 昨日はお風呂に入らずに寝てしまったから、朝から優雅に入浴。 掃除機をかけ、燃えるゴミを出す。 亀さんの水槽を掃除して、日光浴してる姿に笑みがこぼれる。 忙しくすることがすべてではない。 何もしない日にため息をつくこともあるけど、この時間がたいせつ。 自分にとってたいせつなものが今日もそばにいてくれること。 それだけでしあわせ。 だから未来を心配するより今をたいせつ
同じところでいったりきたりしている。 もしかしたら何年も立ち止まっているかもしれない。 あと10年ちょっとで50歳になる。 その変えることのできない事実に驚愕するも、 自分自身は何も変わっていないから、流れ去って日常へ戻る。 もしかしたら健康体であるのかもしれない、けれど、 こころの成熟はできていないかもしれない。 成長することが、どういうことなのか少し前からよくわからなくて。 仕事を通して成長したいとか、人間として成長していきないとか、 若い時はよく使っていた。 もちろん
あといっこでおわるというタイミングで エラーがでる 何度かやりなおしてみるものの いつもならきのうでもできていたことが なぜかできなくなる あといっこでかんせいなのに くせんしながらつくってきて もうすぐかんせいする!というきもちでいっぱいで さいごにこうなるとざんねんなきもちになって こころがきゅーっとしぼれてくる なんでなのってなんかいもこころのなかでさけぶ でもふとおもった もしかしたらこころのさけびとかふあんとかがほんとうに でんぱとからみあ
むじゅんしているとおもうことがふえた 社会やいきかたをかんがえるようになってから いままではなんでもたのしいですんでいた いまがたのしくないというわけではなくて 社会のなかで問題が山積みになっていて 解決のむけてうごいているのだけど なかなかかいけつにはいたらない また問題といわれるものがつまれるから そもそも問題にしたがる テーマがほしいからかもしれないし まいにちまいにち違うことを求められるからかもしれないし ちがうことをやりすぎている たいせつな
かぞくはかけがえのないもの なによりも大切なもの いとおしいとおもうのはねこをみているとき まいにちまいにちなでてだっこしているのに なぜかさいきんはどんどんかなしくなってくる いつかいなくなってしまうことをしっているから いきているものに大小はないけど ちいさなあたたかいいきもの いえのなかしかしらなくてたべるものはあげないと生ていけない トイレもそうじをしてあげないといけない まっすぐな目でこちらをみている いやなときはいやで 甘えたい時はすぐにす
すきなように動きたい 反省もするが、誰かにこれしろといわれるのがきらい これしろというか やっていることややろうとしていることをとめられるのがいやだ もちろんわたしの身勝手な部分は大いにある まわりにあわせられないし たしかに間接的にではあるが迷惑をかけているとおもう 直接的ではないからそこまで嫌われることもないだろう ひとにたいする気遣いは人一倍つよいとおもう 全てではないけど、というか気にしすぎている部分は大きい さいきんは特におさえていることが多いよ
車でかかっている曲がいやだ その曲がきらいなわけではない なにを考えているとか、どんなところに求めているのかがみえてきてしまう へたくそだな、とおもう みえみえだな、とおもう こちらがはずかしくなってしまうそんなことが多すぎる 思いたくないのにおもってしまう なんともすっきりしない気持ちにさせられる きもちわるいとまでは思わないけど 時間の経過と関係性、あいまいな空間、とりまく環境 こういうときは、こう、というものがあるのだろうか なにを考えているのかわ
はじめまして。 突然ご連絡して申し訳ありません。 これからの暮らし方について考えるようになり、いろいろと調べているうちに、 あなたのことを知りました。 ぜひ、お会いしてお話を伺ってみたいと思いました。
かなしいから、次がある。 たのしいから、次がある。 ーあのとき、こうしていればよかった ーなんであの時、えらべなかったんだろう ーなんてよわいにんげんなんだろう ーなんで、 ーなんで‥. だから次があるんだよ。 無理していたとき、楽しようとしていたとき、 考えすぎて頭がぐちゃぐちゃで、 何にも考えずにただ、ぼーっとしていて、 何だかもう、わからなくて。 だからこそ、次があるんだとおもうよ。 次があるからこわいんだっておもうけど、 自信なんかなくても
人の目の前で、口を開き、何かを食べることは、 弱みをみせることなんじゃないかと思う. わたしは、特に正面で食べることが苦手だ. 食べ方はうつくしくないし、 いや、きたないということでもないのだけど、 いつからか自信がないと思うようになってしまった. 食べ始めてからしばらくして、その瞬間がやってきて、 どうやって食べ物を口に運べばよいのかわからなくなる. 食べている人が目の前にいたら、絶対にとはいいきれないけど、 口元であったり、 お皿の上に乗っている食材や
現代社会の、日々流れていく情報量がものすごく多い。 つかもうとしても、なかなかつかめない。 それに、新しい言葉、横文字の表現も増えている。 時代を表すものであったり、世界と共通の認識を持つためなのかもしれないが、 その情報について知ろうと思っても、言葉が何ともこむずかしい。 かっこつけているようにも思えてしまう。 言葉を調べると、また知らない言葉が出てきて、理解するために時間がかかる。 複雑なシステムに自然となってしまったのか、あるいは、あえて人にわかりづらいシ
じゃあまたね。 と言ったあとの感情っていろいろだと思う。 でもかなしかったりもどかしかったりするときって あとからゴワゴワと感情がやってくる。 期待だったりあきらめだったり どうしようもないのに、どうもしていなかったり たのしいうれしいがその場だけのことで 永遠に続いていかないんだって。 それでも自分のなかでは終わっていかないんだ。 #感情 #かなしさ #もどかしさ #行き場所のない感情
大切な 周りにいるもの 周りにあるもの 周りにいてくれるもの どうかずっとそばにいてほしい お願いだからずっといなくならないで だから今という時を大切に生きないと。 #大切なもの #ずっとそばに
どちらかと言えば、ネガティブタイプだ。 世間では、ポジティブの方が良いとされている。 そりゃそうだろう。 うじうじと考えて立ち止まっているより、次へ走り出せるほうがぜったいにいい。 周りにいる人たちだって、そういう人といるほうが楽しいだろう。 でも、ネガティブから生まれるものが沢山あると思っている。 ただ単に暗いというわけではなく、気付くことが出来たり、 ポジティブに変える力があると思う。 ネガティブすぎるのはよくないが、ダメだと思わずに大切なものだと 持っ