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時代とともに「安全性」の必要条件は変化するのかもしれない

カケルとミチルの塩見と申します。

※精神・心理・発達領域の専門家ではない人間の個人的な意見ですm(_ _)m
https://twitter.com/ShiomiKohei


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昔、霊能者の宜保愛子さんという方がいて、宜保さんが心霊現象について解説したり解決したりするテレビ特番を、子供の頃の私はドキドキしながら食い入るように見てました。

今となっては想像するのも難しいですが、その頃は心霊写真の特集をテレビのゴールデンタイムでやっていて、一般の方が撮影した写真に写っていた顔や腕などについて、いい年齢をした有名なタレントが真顔でコメントしていた牧歌的ともいえる時代でした笑

ちょっと飛躍するのですが、恐怖を引き起こす(≒安全や安心を奪う)原因は、時代背景によって変化するのかな?と思ったわけです。
例えば戦争で命を失うかもしれない恐怖を、現在の私たちが感じることはほとんどありません。

新型コロナウィルスは怖い感染症でもちろん甘く考えてはいけないのですが、感染者の約半数が亡くなっていたペストや天然痘が流行していたときの恐怖は今回よりもっと大きかったのではないかと想像してしまいます。


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マズローの法則という人の欲求を階層化した考え方があります。

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引用: https://studyhacker.net/maslow-hierarchy

この図を眺めていて非専門家の私にとって少し違和感を感じたのは、比較的下層にある「安全性の欲求」の部分です。



安全性を感じるのが、いまの時代においてそれほど簡単ではないのではないか、と考えたからです。

マズローの法則は1943年に発表された論文に掲載されていたようなのですが、これはちょうど第二次世界大戦が終わったタイミングです。
この70年間で人々の安全性を司る要素はどのように変化したのでしょうか。


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1990年代に流行した『リング』という映画がありました。幽霊のような見た目の女性がテレビから這いずり出て来るシーンを見て、眠れなくなった子どもは私だけではないはず!笑

この『リング』の原作の続編を読み進めると、実は根絶させられた感染症の怨念であったことが明らかになっていきます。その感染症の皮膚症状がリング状に出現するというのも、初めて見たときには衝撃でした。

『リング』は心霊現象の裏側に感染症の恐怖を配置したホラー映画だったのだと理解しています。

その『リング』シリーズの中田秀夫監督が作った最近の映画に『スマホを落としただけなのに』という作品があります。公式サイトでは以下のようにストーリーが説明されています。

 彼氏の富田(田中圭)に電話を掛けた麻美(北川景子)は、スマホから聞こえてくる聞き覚えのない男の声に言葉を失った。たまたま落ちていたスマホを拾ったという男から、富田のスマホが無事に戻ってきて安堵した麻美だったが、その日を境に不可解な出来事が起こるようになる。
 身に覚えのないクレジットカードの請求や、SNSで繋がっているだけの男からのネットストーキング。落としたスマホから個人情報が流出したのか?
  ネットセキュリティ会社に勤める浦野(成田凌)に、スマホの安全対策を設定してもらい安心していた麻美だったが、その晩、何者かにアカウントを乗っ取られ、誰にも見られたくなかった写真がSNSにアップされてしまう。「違う! それ私じゃない! 私、何もやっていない!」時を同じくして、人里離れた山の中で次々と若い女性の遺体が見つかり、事件を担当する刑事・加賀谷(千葉雄大)は、犯人が長い黒髪の女性ばかりを狙っていたことに気が付く。スマホを拾ったのは誰だったのか。
連続殺人事件の真犯人はいったい誰なのか。そして明らかになる“奪われた麻美の秘密”とは?
ただ、スマホを落としただけなのに……。

https://www.toho.co.jp/movie/lineup/sumaho-otoshita.html



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結局何が言いたいのか分からない文章になってきましたが、スマホを落とすだけで安全性が失われる社会を、マズローはきっと想像していなかったのではないかと思うわけです。

国家間の戦争の方法も70年前とは大きく異なり、諜報戦、経済戦争、サイバー戦争のように高度かつ表面的には目に映らない形に変化しています。

個人間のストレスや安全性を喪失する原因も、昔に比べると見えずらくなっているのかもしれない、、という空想に最後までお付き合いいただきましてありがとうございました!

→次は「バイタリティの鬼」、小児整形外科医の中川将吾先生です!

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