マイ・エレメントは親子の難しさと希望にあふれた映画【家族は呪いか夢か】
8月に娘(3歳)と初めて映画館に行きました。
映画館デビュー作に娘が選んだのはピクサーの「マイ・エレメント」でした。
ピクサーらしい圧巻のアニメーション、想像力豊かな世界観で親子とも楽しめる映画で、幅広い人におすすめできます。
一方でファンタジーあふれる、かわいらしいルックとは裏腹に、マイ・エレメントは家族(親族)のあり方や社会ヒエラルキー(階層)について結構シビアでハードなテーマ性を含む物語でもありました。
特に僕がマイ・エレメントを見て深く考えることになったのは「子どもとの距離感・家族のあり方」です。
親は「子どもにとってのセーフティネットにも呪いにもなりえる」という、まさにそんなことを考えたのです。
マイ・エレメントでは「移民してきた両親の一人娘(親のお店を継ごうとしている)」と「裕福な階層出身の公務員男性」がダブル主人公で、それぞれ抱えているものや親との関係性が異なっています。
そんな両者の葛藤や家族との向き合い方を見て、「親は子どもにとってどんな存在になれるのだろう?」と思ったので、親子や家族の関係性を軸に、マイ・エレメントについて書いていこうと思います。
※本稿はマイ・エレメントのネタバレを大いに含みます、また同じピクサー映画の「リメンバー・ミー」のネタバレも一部含みます
マイ・エレメントはどんな映画?
具体的な感想の前に、まずはマイ・エレメントで描かれる世界や設定を簡単に整理します。
決定的なネタバレは含みませんが、序盤~中盤にかけての物語や世界観、設定についてはある程度触れていきますので、「何も知りたくない」という方は見ない方が無難です🙇♂️
【舞台】4つの「エレメント」が暮らす世界はヒエラルキーがある
マイ・エレメントは「エレメントシティ」と呼ばれる大きな街(都市)が舞台です。
予告編でも触れられているように、水・風・土・火の4つのエレメント(種族)が存在しており、それぞれ自分の町(エリア)で暮らしています。
主人公は2人。火のエレメントの少女「エンバー」と水のエレメントの青年「ウェイド」がひょんなことから出会い、本来交わらないはずの2人のエレメントが様々な違いを乗り越えて問題を解決するうちに…という感じのお話です。
興味深いのは、4つのエレメントが皆平等…ではなく、かなり明確なヒエラルキーというか格差があります。
公式パンフレットによれば、水のエレメントが街を興し、次に土のエレメントたちが移住してきて、三角州が作られ、街が築かれ…といった具合に、先に移住してきたエレメントたちが(当然ながら)暮らしやすいよう世界が作られていきます。
最後にやってきた主人公・エンバーの両親=火のエレメントは「移民=マイノリティ」なわけで、すでに水のエレメントを始め先住民有利に作られたインフラやルールは、火のエレメントたちにかなり不利な状況なわけですね。
マイ・エレメントのダブル主人公がエンバー(移民)とウェイド(裕福な先行利益民)であることは、この物語の親子関係を考える上で大きなポイントのひとつになっていきます。
【ネタバレあり】W主人公の親との関係性【家族の呪い・絆・夢】
※ここからはがっつりネタバレしていきますので、あらかじめご注意ください!
エレメントシティの世界観や設定を抑えたうえで、僕がマイ・エレメントを見て特に考えるようになった「親子の関係性」について、エンバーとウェイドそれぞれの状況・環境を軸に自分なりに整理・解釈したいと思います。
エンバーと父親/絶大な「絆」と「呪縛」
エンバーは火のエレメントですが、「親父の店(ファイアシティの雑貨屋さん)を継ぐこと」を「夢」として頑張って商売の勉強を重ねており、もう少しで父親に認められて後継ぎになれる…というところまできています。
そんな娘の「夢」を両親も応援しており、意気に感じており感謝もしています。
色々な葛藤がありながらエレメントシティに移住して、様々な苦労を乗り越えてどうにか軌道に乗せたお店を一人娘が継いでくれる…決して裕福な暮らしじゃないけど、これ以上ない状況ですよね。
両親(特に父親)は
「移住前後の苦労や葛藤(移住するときに実家の親に反対・絶縁された)」
「火のエレメントの一族の誇り」
「伝統を受け継いでいくことの大切さ」
を何度も話します。
ですが・・・
エンバー自身は「そんな両親の想いや苦労を逆に重荷に感じているけど言い出せない…本当はお店など継ぎたくないんだ」というのが物語終盤で明らかになります(ウェイドと触れ合うことでエンバー自身が気づく)。
誤解のないように言いますが、エンバーと両親の絆はとても強く、また両親も高圧的なスパルタペアレントってわけでもなく、かなり優しい感じです。
ですが、それゆえに「お店を継ぎたくない」と言い出せない、「私にはこれしか(店を継ぐことしか)生きる道はないんだ」と自分に言い聞かせ、ウェイドに見出してもらった「デザイナー」としての才能を放棄してしまいそうになる。
また、火のエレメントとして邪険な扱いを受けてきたことから、両親(特に父親)の水のエレメントへの嫌悪もすごく、父親はウェイドとの仲も良かれと思って反対してしまいます。
親子がお互いを思いやって仲良くやっているはずなのに、結果的にいつの間にか家族が「呪いの装備」となっている…
家族だからこそ「逃げ場」がない絶望
この「家族という生まれながらに繋がっているゆえの絶望」という点、僕は同じピクサー映画の「リメンバー・ミー」をちょっと思い出したりもしました。
※以下リメンバー・ミーの一部ネタバレ含みます
リメンバー・ミーの主人公・ミゲルは音楽が大好きな少年ですが、家族はわけあって「音楽なんてけしからん!」とミゲルから音楽を取り上げ、あげくこっそり音楽を楽しんでいたミゲルのギターを破壊するところまでいってしまいます。
家族に絶望したミゲルは家から飛び出しギターを盗もうとして…というところから物語が本格的にファンタジーになっていきます。
「親や祖母が良かれと思って言ったこと・したことが呪縛になる」という構図、家族だからこそ逃げ場がなくて絶望するという話は、近年ハリウッド映画を中心にドラマ・映画で描かれることが増えてきたのは気のせいでしょうか?
日本でも「親ガチャ」みたいな概念が若者を中心に盛んに言われ始めたり、生まれた環境や両親に対して半ばあきらめや「どうせ頑張っても」という空気があるのかな?と思うことがあります。
ただ単に「セーフティネットとしての家族愛」だけを描くハートフルフィクションの時代は、とうに終わりつつあるのかもしれません。
移民系出身の監督が見た世界
ところで、マイ・エレメントはピーター・ソーンという人が監督・原案ですが、この監督さんは韓国系アメリカ人です。
マイ・エレメントの原案を考えるのにソーン監督の個人的体験が大きな下敷きになっているといいます。
監督さんのご両親が移民一世(それもマイノリティーともいえるアジア系)というのは、まさに今作のエンバーの両親(最後にやってきたエレメントの火)ともかぶります。
ただ、一方でソーン監督が描く「マイ・エレメント」は、ただ
「移民は大変だよね」
「マジョリティはマイノリティを大切にしようね」
という表面的・啓蒙的な映画ではなく、「違うエレメントが出会いぶつかることで起きる化学反応」をとてもポジティブかつユーモラスに描いているというのがすごく良いし、ピクサーさすが!というところだと思ってます。
その化学反応に大きく寄与するのが、もう一人の主人公「ウェイド」です。
ウェイドと母親/理想とゆとりの関連性
ウェイドは水のエレメントの青年で、公務員の仕事をしています。
ウェイドはとても感情豊かで優しく、明るい青年で「いわゆる良い環境で育ってきたんだなー」ってのが一目でわかるような雰囲気です。
特に作中フォーカスを当てられるのが「ウェイドの母親との関係」です。
彼女はデザイナー?のような仕事をしているようですが、ウェイドに対してもかなり寛容でおおらかです。
甘やかしすぎ…と紙一重な気もしますが、ウェイドに無理強いしている様子もなく、「やりたいこと・したいことをしたらどう?」みたいな教育方針なんだろうというのが随所で感じられます。
そんな母親のもとで育ったからなのか、ウェイドも「エンバーだってやりたいことをしたらいいんだよ」と「家を継ぐこと」に縛られているエンバーの心を少しずつほぐしていくような存在になっていきます。
ウェイドと彼の母親によって、デザイナーとしての才能を見出されたエンバーは、最終的には父親に本心を打ち明け、受け入れられ「店を継がない選択」をとることとなるのです。
ウェイドが物語上果たす役割も大きいし、彼自身の素直で芯の強い性格は多くの人が魅力的に感じると思います(僕もそうです)。
一方で「でもそれってウェイドが水のエレメント=生まれながらに余裕がある立場だからできたことだよね?」とも思っている自分もいます。
「余裕がある親子」だからこそエンバーを助けられた?
まず、作中明らかにそうであると描写されてますが、ウェイドの家はまじで金持ち!リッチな一族です。
高層マンションに家族で住んでいて、家にプール?もあるような超豪邸です。
「ウェイドは仕事が長続きしなくて転々としてる」なんて話もでますが、確かにニートでも全然問題なさそうな、裕福な家庭だと察せられます。
ウェイドの両親は(おそらく)社会的成功も収めていて、生活にも教育費にも困っていない様子。
エレメントシティ内の階層も高く、生活にも困っていない。
だからこそ「あなたは好きなように生きなさいね」と息子に言いやすいところもあるし、「暮らしにも気持ちにも余裕がある」からこそ、ウェイドもノビノビ生きてこられ、大らかな性格に育った。
作中、「君はデザイナーになるべきだ!店を継ぎたくないならお父さんとちゃんと話し合おうよ」みたいなことをウェイドに言われたエンバーはぶちぎれます。
「あんたのとこは裕福だからそんなこと(可能性がたくさんある)って言えるんだ」みたいなことをエンバーに言われたとき、ウェイドは「心底理解できない」みたいな顔をしてましたが、お互い立場的に絶対分かり合えないところもある…というのが可視化されたような場面だったと思います。
それでも、ウェイドはあきらめずにエンバーに思いを伝え、行動で「わかりあいたい」ということを示し続けたため、ついにはエンバーと両親を動かす大きな役割を果たすこととなりました。
ただ、エンバー側に「化学反応」が起きたともいえるけど、ウェイドには?と思ったところはありますが・・・
日本語版主題歌がウェイドとエンバーの関係性にとてもマッチしていた
マイ・エレメントに限らず、最近のハリウッド映画は「日本語版の主題歌」を映画会社が付けたがる傾向があって、時にはそれが映画ファンから拒否反応やひんしゅくを買ったりします。
僕も「日本語版の主題歌ってわざわざつけるほどか?」と思う派なんですが、マイ・エレメントに関してはSuperflyの「やさしい気持ちで」がとてもマッチしていて、ナイス選曲!と思いました。
「愛する人を抱きしめよう わたしから」というサビの歌詞が、まさにウェイドとエンバーの関係性がかなり前進するあるシーンと絶妙に合っていて、マイ・エレメントの精神性を体現している名曲だなと思いました。
※「やさしい気持ちで」自体は2009年の曲なので、新たに製作されたわけではありません
「いうて裕福で余裕がある親子関係で育ったからこそ、ウェイドが出来上がったのでは?」といううがった見方も消えない僕ですが(笑)、個人的にはウェイドのような自分でありたいし、自分の子どもともこうした気持ちで接したいなと思っています。
親は子にとってどんな「エレメント」になれるのだろう?
長々とマイ・エレメントについて書いてきましたが、自分が鑑賞して以来考えてしまっているのが、つまるところ「自分はどんな親になりたいか?」ということでした。
もちろん、これって永遠に答えの出ないテーマなので、まだ毎日コロコロぶれまくっている感じですが、最後に親としての悩み?を吐露していこうと思います(笑)。
「正解」がないのに「こっちがいいんじゃない?」と言ってしまう現象
みなさんも、子どもの時にこんな経験ないですか?
「(本当はこっちの服がいいのに)親に『こっちがいいんじゃない?』と言われた服を買ったor着た」
「(自分はこちらの習い事や塾がいいけど)親に勧められた方に通った」
まあ、これは僕の個人的体験や友人の体験談ですが、「(自分の希望じゃない方を)親の勧めで実行した」という経験、多少はあるんじゃないでしょうか?
でも、自分も親になるとなお実感したのですが、よほどの毒親とかじゃない限り「失敗してほしくない」という善意で親も言ってるんですよね。
物語中、エンバーは違うエレメントのウェイドと恋に落ちますが、父親だけでなく母親にも当初反対されます。
「違うエレメント(人種や民族と言い換えてもいいでしょう)との結婚なんて絶対うまく行かない、苦労するからやめとけ」と言われるわけです。
マイ・エレメントを観たらわかりますが、エンバーの両親はとても娘思いで素敵な保護者だと思います。
だからこそ、「娘に失敗してほしくない」「自分達のような苦労を味わって欲しくない」という思いもまた、かなりあります。
こういう映画やドラマを観るたびに「子どもの意思を尊重して自由にやらせとけよ」と思ってたんですが…
まだ3歳の娘にすら「よかれ」と思って口出ししてしまうことが結構あるなーと最近実感します。
「(最初にコレ!と言ったやつじゃなく)こっちのおもちゃの方がいいんじゃない?」
「(今の娘じゃうまく遊べなさそうだから)こっちの簡単に遊べる方にしたら?」
よかれと思って、娘の限界や好みを勝手に先回りして考えちゃって、せっかく選んできたものをやんわり否定しちゃう…
あれ、これって子どもの時にあった違和感、創作物を見て抱いてたモヤモヤ、自分も娘にしちゃってね?とふと思うことがあるんです。
親の夢=子どもの夢とならないようにしたい?
作中ものすごい絆を感じるエンバーと両親ですが、「家を本当は継ぎたくない(けどお店は親父の夢だから言い出せない)」という葛藤がエンバーは抱えています。
しかし、最後に「お父さんの夢なのに、店を継ぎたくないなんてごめんなさい」とエンバーが打ち明けた際に、お父さんは「何言ってんの?俺の夢はお前だ(だから店なんて継がなくていいのに)」とあっけからんと言うんですよね(笑)。
「え――早く言ってやれよ――」という話ですが、実際のところ「悪気なく親の夢=子供に背負わせてしまっている」ということって現実世界でよくあるのかもしれない?とも不安になる一幕でした。
僕自身は娘に「良い大学に行って欲しい」「大企業に勤めて欲しい」みたいなものは一切持ち合わせてないですが…
知らず知らずのうちに「こうなって欲しい」という期待や重荷を大きくなるにつれて背負わせるんじゃないか?みたいな漠然とした不安のようなものは時々感じます。
意識的にしろ無意識にしろ「親の期待や夢が子どもを縛り付ける」となってしまった場合、本来は心的安全圏であるはずの「家族」「家」が「ものすごく居心地の悪い呪縛」になってしまうのでは?そんなことを最近考えています。
「え、じゃあどうする?」というのはまだないですが、最終的にエンバーと両親が「答え」たどり着いたプロセス(仲がよいからこその率直な話し合い)をいつでも忘れずにいたいなとは思いました。
最後に…ぜひ大人も子どもも観て欲しい
マイ・エレメントについて、長々語ってきましたが、ぜひ大人も、親子でも、いろんな方に観て欲しい映画だなと改めて思いました。
ピクサーらしい色彩豊かなアニメーション映像も必見ですし(火や水の表現はほんとすごい)、世界観や物語を通して、きっと新しい発見があると思います。
長文駄文お読み頂き、ありがとうございました。