社会の見方が変わる / 世界は贈与でできている
・お金では交換できないものに価値がある
・贈与は送る側には倫理が必要であり、受け取る側には知性が必要になる
・世界を不安定なつりあいでできている
上記は、「世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学(著)近内悠太」に書かれている内容です。著者は、リベラルアーツを主軸にした統合型学習塾「知窓学舎」講師をされています。もともと著者は、大学では数学を学び、大学院では哲学を研究されたそうです。
本書からは、「贈与」と呼ばれるお金では交換できない価値について書かれています。僕は、「贈与」の重要性、尊さを感じました。
本書にでてきますが、「サンタクロースの正体」に気づくように、今の社会が多くの「贈与」でできているということに気づける「知性」をもつためにあえて30-40代という年齢で読むべき本だと思います。
お金で買えないもの
信頼や愛情といったものは、「サービス」としては提供 / 販売されていません。しかし、多くの人たちが信頼関係や愛情といった「お金では買えないもの」を必要と考えています。
本書では、人が必要としているにもかかわらず、お金で買えないもの、およびその移動を「贈与」と定義しています。
「贈与」の身近な例として、プレゼントが考えられます。
販売しているものであれば、お金があれば「同じもの」を買うことができます。しかし、同じものでも、「自分で購入したもの」と「プレゼントされたもの」では、価値は異なります。
たとえば、「自分で買った本」と「プレゼントされた本」では、同じ「本」ですが、「プレゼントされた本」は、別な存在に感じます。自分で買った本を交換することには抵抗はありません。しかし「プレゼントされた本」では違います。同じ本にも関わらず、プレゼントには、価値からはみ出す何かを感じています。
本書では、「贈与」は、人から贈られた瞬間に初めて現れる「創造的行為」であり、人は他者から贈与されなければ、本当に大切なものを手にすることができないとあります。
重要なのは、「その余剰分を自分自身では買うことができない」という点です。なぜなら、その余剰は誰かから贈られた瞬間に初めてこの世界に立ち現れるものだからです。モノは、誰かから贈られた瞬間に、この世界にたった一つしかない特別な存在へと変貌します。贈与とは、モノを「モノではないもの」へと変換させる創造的行為に他ならないのです
引用:近内悠太. 世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.211-214). Kindle 版.
連鎖する「無償の愛」の正体
親が子供を育てることも一方的な贈与とあります。親は子供が将来助けてくれるなどという打算的な考えのもと育ているわけではありません。子供を楽しませ、健康に育つように見守っていることは、見返りのない贈与です。
しかし、「無」から「贈与」しているわけではなく、「親」も「親(子から見れば祖父母)」から無償の贈与を受け取っています。この見返りのない贈与を受け取ってしまった「子」は、自らが親となり、自らの子どもに見返りのない贈与をするという連鎖の物語になっているのです。
それゆえ、意識的か無意識的かを問わず、負い目を相殺するための返礼、つまり「反対給付の義務」が子の内側に生じます。反対給付の義務に衝き動かされた、返礼の相手が異なる(つまり恩「返し」ではない)贈与。これこそが「無償の愛」の正体です。
引用:近内悠太. 世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.294-297). Kindle 版.
「贈与」は受け取る側が気付けるかどうか
本書の中に、「16時の徘徊」(引用は、「ビジネスパーソンが介護離職をしてはいけないこれだけの理由」)という話が紹介されます。
内容は、認知症の母親が、毎日16時になると外へ出ていってしまうというものです。男性は母親を止めようとしますが、母親は止めようとすると、わめき、暴力をふるってきます。男性は、介護士に相談します。
介護士は、外へ出ていってしまう「16時」は、幼かったころの男性がバスから帰ってくる時間だったということがわかりました。
男性は、この事実がわかったことときに、母親から「贈与」を受け続けていたことに気づきます。自分がいかに愛されていたことを、この瞬間に気づくことができたのです。男性は、「贈与」を知らず識らずのうちに贈られていました。母親が贈っていたものを受け取れるかどうかは、男性次第でした。
僕たちは、多くの「贈与」を受け取っています。親だけではなく、友人や会社の同僚などからもです。「贈与」という大切なものを「受け取れるかどうか」は、自分自身が気付けるかどうかだけです。
これはちょっとした贈与をもらうことは、贈ってもらう努力ではなく、受け取るための努力が必要です。(これ考え方が180度かわります!)
贈与は差出人に倫理を要求し、受取人に知性を要求する。これは本書の贈与論において、決定的に重要な主張です。そして、倫理と知性はどちらが先かと問われれば、それは知性です。つまり、受取人のポジションです。なぜなら、過去の中に埋もれた贈与を受け取ることのできた主体だけが、つまり、贈与に気づくことのできた主体だけが再び未来へ向かって贈与を差し出すことができるからです
引用:近内悠太. 世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1143-1147). Kindle 版.
世界は贈与でできている
新型コロナウィルスの影響で、今まで当たり前だと思っていたことが、簡単に崩れ去りました。安心した医療体制、自由な外出、必要なものが購入できるなどです。
そして、多くの人が耐え、尽力したことにより、日本は緊急事態宣言が解除されました。日々報道される医療関係者や飲食店、小売の現状から、当たり前を取り戻すために多くの人が行動されたことを知ることができました。
しかし、これらの社会を当たり前に利用できることを尽力していた人々は、befor コロナでも存在して、社会に贈与し続けていました。僕たちは今の贈与されたわけではなく、過去から贈与され続けていたことに気づきました。
この世界が安定つり合い(くぼみに置かれたボール)だと思っている人は、少なくとも「感謝」という重要な感情を失うのです。なぜなら、彼らの目には、「電車の遅延」も「コンビニの欠品」も「風邪で同僚が休むこと」も、ボールを安定点から意図的にずらした奴がいる、と映るからです。
引用:近内悠太. 世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1921-1924). Kindle 版.
僕が自分の学びを公開する理由
僕の経験から考えます。僕は社会人になってから多くの人から学びました。僕に教えてくれた人たちに、お金を支払ったわけではありません。しかし、部下であるから、後輩であるから、という「縁」で多くのものを与えて頂きました。
受け取った僕は、感謝の気持ちはありました。しかし、自らが教える立場になって気づくのです。これは「骨のおれる作業」だと(笑)
また教えるというのは、相手に手順だけ教えるのではなく、自分が学んだことも教えたいと思います。伝えることに徒労を感じる部分もありますが、自分自身が教えてもらった学びは、次の人に伝えなければならないという使命感があるからこそ、伝えたいと思います。
まとめ
この本は、自分が世界を見る目を開かせてくれる本だと思います。
目が開かれると、そこには今までと違う社会があり、自分がたくさんのものを与えられていたことに気づけます。
そして、社会に存在する一人として、自分も「贈与」する側に回れるように生きていきたいと感じることができました。
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