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『博士の愛した数式』小川洋子 「数字が気になり始める」

このnoteは、本の内容をまだその本を読んでない人に対してカッコよく語る、という設定で書いています。なのでこの文章のままあなたも、お友達、後輩、恋人に本を語れます。 文学を上手く使ってカッコよく生きてください。

『博士の愛した数式』小川洋子

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○以下会話例

■穏やかで美しい時間が流れる小説

 「感想を語り合いたくなる小説か。そうだな、そしたら小川洋子の『博士の愛した数式』がオススメかな。穏やかで、美しい時間が流れる小説なんだ。なんとなく、病院の待合室とか、深夜のコインランドリーとか、何かを待ってる静かな時間に読むのが合う小説だと思う。

この小説は、第1回本屋大賞を受賞して、映画化もされた小説なんだ。「本屋大賞は本当に面白い本が選ばれる」ってよく言われるけれど、記念すべき第1回目に『博士の愛した数式』が選ばれたのが、この本屋大賞の傾向を決めていった感があるよね。

『博士の愛した数式』は、交通事故によって脳が損傷したことで、記憶が80分しか持たなくなってしまった元数学者の「博士」と、そこに家政婦として働きにいく「私」と、その息子の「ルート」の3人の物語なんだ。

一言でいったら、いわゆる「心あったまる物語」なんだけど、それだけでは表現したりないあたたかさと切なさがある小説なんだ。人間的な愛がはぐくまれたこの3人の仲は、「幸福とはこのことなのか」と思えるくらい素敵な人間関係が築かれるんだよ。泣ける小説だよね。

■博士と「私」とルート

『博士の愛した数式』は、家政婦である「私」が、博士の家に訪問するところから始まるんだ。

博士は事故によって新しい記憶の蓄積が80分しかもたないから、事故以降の出来事は80分経ったら全て忘れてしまうんだ。つまり博士にとって毎朝家にくる家政婦である「私」は、いつも初対面の女性なんだよ。

人とうまく関わり合うことが苦手な博士は、人とのコミュニケーションに必ず「数字」を介入させるんだ。だから毎朝家を訪ねてくる「私」に対して、必ず「君の靴のサイズはいくつかね」と数字を尋ねるんだ。

博士にとって数字は「相手と握手するために差し出す右手であり、同時に自分の身を保護するオーバーでもあった」んだ。

「私」が、名前を聞く前に聞かれた靴のサイズについて、「24です」と答えると、「ほお、実にいさぎよい数字だ。4の階乗だ。」と呟くんだよ。階乗は1からある数までの連続する自然数の積のことなんだ。つまり24は1から4までの自然数1、2、3、4を全部掛け合わせた値なんだ。

次に「君の電話番号は何かね」と聞いてくるので「576の1455です」と「私」が答えると、博士は「5761455だって?素晴らしいじゃないか。1億までの間に存在する素数の個数に等しいとは」と言って感心して頷くんだよ。

「私」には自分の電話番号のどこが素晴らしいのか理解はできなかったけれど、博士の口調にこもる温かみが伝わってきて、「もしかしたら自分の番号には特別な運命が秘められていて、それを所有する自分の運命もまた特別なものではないだろうか」って思えてくるんだよ。

聞く数字は靴のサイズや電話番号、郵便番号、名前の画数など色んなバリエーションがあったけど、いつもそれらにすぐさま特別な意味を与えるんだ。

「私」は、毎朝玄関で繰り返される博士との数字を介した対話で、自分の電話番号にただ電話をつなぐ以外の意味があることを確認して、その意味が持つ涼やかな響きを感じて、安心して一日の仕事をスタートするんだ。

こんな感じで、数学を愛する博士と、その家政婦の「私」と、頭が平らだから「ルート(√)」と博士に名付けられた「私」の息子、の3人で、穏やかな生活をしていくんだよ。

■220と284

本当に愛おしいシーンがたくさんあるんだけど、中でも印象的なのが「友愛数」を語るシーンなんだ。

「私」が夕食の後片付けをしている時に、博士が「君の誕生日は何月何日かね」と尋ねてきたので「2月20日です」と答えると、「220、実にチャーミングな数字だ。」とつぶやいて、腕時計を外して「私」に見せるんだよ。その腕時計は博士が大学時代に学長賞を獲った時にもらった賞品なんだ。その文字盤の裏側に”学長賞No.284"と刻まれているんだよ。

「歴代284番目の栄誉、ということでしょうか」と「私」が言うと、「おそらくそうなんだろう。問題なのは284だ。さあ、皿なんか洗っている場合じゃない。220と284なんだよ。」と言って、「私」のエプロンを引っ張って食卓に座らせて、背広の内ポケットからちびた鉛筆を取り出して、折り込み広告の裏に220と284の二つの数字を書いたんだ。

そこから約数の説明を始めるんだ。約数は、ある整数に対してそれを割り切れる整数のこと。220の約数は1、2、4、5、10、11、20、22、44、55、110。284の約数は1、2、4、71、142。

博士はそれぞれの約数を書いていって、その間にプラスの記号を書き加えていったんだ。

220 : 1 + 2 + 4 + 5 + 10 + 11 + 20 + 22 + 44 + 55 + 110 =

284 : 1 + 2 + 4 + 71 + 142 =

そして博士は、「計算してごらん。ゆっくりで、構わないから」と言うんだよ。これらを計算すると、

220 : 1 + 2 + 4 + 5 + 10 + 11 + 20 + 22 + 44 + 55 + 110 = 284

284 : 1 + 2 + 4 + 71 + 142 = 220

になるんだ。すると博士は、

「正解だ。見てご覧。この素晴らしい一続きの数字の連なりを。220の約数の和は284。284の約数の和は220。友愛数だ。滅多に存在しない組合せだよ。フェルマーだってデカルトだって、一組ずつしか見つけられなかった。神の計らいを受けた絆で結ばれあった数字なんだ。美しいと思わないかい?君の誕生日と、僕の手首に刻まれた数字が、これほど見事なチェーンで繋がり合っているなんて」

と言うんだ。

これすごくないですか。ものすごく感動的で、博士が「私」に向かって話している、数学の神秘についての話を、盗み聞きしちゃって申し訳ないとさえ思えてくる。

「私」の誕生日と博士の腕時計の数字が友愛数で結ばれているのは、「記憶」を扱ったこの小説のテーマに関連することなんだ。

博士は記憶が80分しか持たないから、毎朝毎朝、家政婦の「私」は初対面の人に過ぎず、昨日の会話も、おとといの食事も全て忘れられてしまうんだ。つまり博士にとって、そして「私」にとっても「無かったもの」とされるんだよね。だけど、「私」の誕生日である220と、博士の腕に巻かれている284という数字が「友愛数」で結ばれているという事実は絶対にそこに存在するんだよ。

博士は80分で忘れてしまうけど、博士だけではなく、人間は必ず忘れる生き物だよね。だから今やってることはいつかは忘れてしまうし、覚えていても死んでしまったらもう終わりだよね。

でも220と284が友愛数で結ばれているという事実は、人類が絶滅しても、地球が消滅しても、永遠にそこにあり続けるんだよ。「私」の誕生日と、博士の手首の数字は、記憶よりも強いもので結ばれているんだよ。

こんなの言われたら絶対に恋に落ちるよね。

僕は中学1年の時に、この友愛数の話を読んで感動してしまって、誕生日が2月20日の人に言いたくて言いたくて探し回ったよ。

■数学の青のイメージ

数学ってなんとなく冷たいイメージがあると思うんだ。これって小学生の頃、教室の前に張られた時間割表が「算数は青、国語は赤、理科は黄、社会は緑」って色分けされていたことが一つの原因だと思うんだよね。勝手に算数に青色を関連づけるから「算数は冷たい」ってイメージが植え付けられてしまうんだよ。

でも博士の話を聞くと、数学に冷たい印象なんて抱かないんだよね。数学はあったかくて美しくて包み込んでくれる存在なんだ。『博士の愛した数式』の一部を抜粋して数学の教科書(又は国語の教科書)に載せたら、少なくとも「数字見るのも嫌い」という極端な数学拒絶症の人が減ると思う。

■「数式」というタイトルはよくない

僕が思う、この小説の唯一直した方がいいところはタイトルなんだ。「数式」という単語を入れるべきではなかったと思う。

本屋大賞を受賞して映画化もされてかなり有名な小説ではあるんだけど、タイトルのせいで数学が苦手な一定数の読者を遠ざけてると思うんだ。「数学大っきらい症」の人は「博士の愛した数式」という文字を見ただけで、何か難しい数学の内容が書かれているのかと拒絶反応を起こして、読もうともしなくなってしまうんだ。特に本が好きな人は、数学が苦手な人が多そうだから、こういった人は多いと思うんだ。

本当に記憶に残るいっそのこと小説じゃなくて映画でもいいから、是非この物語に触れて欲しい。」


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