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いい点を取るために生きてるわけではない
長女の懇談に行ってきました。
憧れの15分枠です!!
今まで後ろの枠に誰もいない(つまり30分も先生と話す)問題があるかもしれない児童扱いでしたので、普通の子になって良かったとしみじみ思いました。
こんなときにも、まだ普通(マジョリティ)にこだわってしまっている自分にちょっと驚きます。
せめて娘だけでも普通の子にって思う気持ちもあるんだよね。担任の先生の話を聞く限りでは、やっぱりカエルの子はカエル(多分、新種のカエル)で、マジョリティじゃなさそうです。
先生が
「長女ちゃんには、提出物出てないよといった声かけはしていません。本人も把握しているだろうし、先生が気がついているぞってこともわかっている様子なので。ただどんなに頭が良くても、主体性などの点ではやっぱり提出しているかどうかで線を引くので良い成績をつけてあげることができません。」と残念そうに話されていました。
先生、お気遣いありがとう。
先生だってみんなに良い成績つけてあげたいですよね。
この言葉で
先生に「やってきてね」と言われた提出物の有無で決める主体性って、従順性の間違いなんじゃないか??と思ったし、いま人生が決まる局面でもないのに良い成績を取ることにこだわる必要あるんかな?とも感じました。
※良い成績を取ることによって褒められて自信をつけて良いループになると言われています。そういう子はたくさんいますが、うちの小3長女は幼児期に自己肯定感のびのび生活をしていたので他人からの評価に興味なさそうなんですよね。
良い成績は素晴らしいです!
頑張ったってことなので。
否定の気持ちはありません。
ただ「良い成績をとるために」っていうのは何か違うような。
とは言え、現実問題
うちの娘にもいつか必ず線引きされる日が来ます。
大学入試か、それとも就職か、会社での評価か。
今じゃない、いつか。
その練習を今からするの?
幼稚園児の次女の周りを観察していると、練習のための練習はすでに幼稚園から始まっています。
場合によってはもっと早いうちから?
大人が「いつか線引きされること」に怯えすぎているように感じます。
子供だよ?!
安全だけ確保して見守ってたら
いっぱい遊んで色んなこと吸収して
大人の想像なんて軽く超えていきます。
先人達を見ていると次から次と先回りして与えるのが必ず良い結果を産むわけじゃないし、子供たちは良い成績を取るために生きてるわけじゃない。
もっとスモールステップで大丈夫だよ。
私も対策を考えていないわけではありません。
もう9歳になった長女はそろそろ自分の行動を自分でコントロールする訓練をしようかなと考えています。
大人が思い通りに支配しやすいように矯正するんじゃないですよ。長女がやりたくないことに出会ったとき、どうやって自分の気持ちを納めるか(私と)一緒に考える訓練です。
「日曜日の朝ごはん作って、洗い物もお願いします」とか何でも良いのですが、楽しく生きていくためにはやりたくないこともサッとできる能力が必要だと感じています。人間ってどうしても楽な方に流れちゃうからね。
学校の宿題でも何でもいいんだけど
やりたくないことに出会ったときに
誰かに言われらからやる、
誰かに怒られるからやる、
誰かがつける成績のためにやるではなく
「やりたくないなと感じている自分の気持ち」をちゃんと見つめられるようになって欲しいなと願います。
子供にいきなり100点満点求めたって苦しいんじゃない??
その前に乗り越えなきゃいけないステップが何個もあるんじゃない?と感じてる話でした。
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