興味が湧くかはタイミング次第
どーもカイゾウ(@kaizo777)です。
今日は日曜日。昨日に続き週末は日記感覚でnoteを使用しています。
今日は「興味について」私が思うことを書いてみたいと思います。
私は興味の有無で学びを深めるか否かを判断しています。興味がないことは極力深掘りはしない。
以前の私は興味があろうがなかろうがとにかく多くの情報を得ようとしていました。
「これは〇〇に役立つかもしれない」
「知っておいて損はない」
と言った理由から深掘りしていき自分の考えとして消化をする。
でもある時ふと思いました。
「別に全てを深く考える必要はないんじゃないか?」
そう思ってから興味が湧かないものは極力深掘りしないようにしました。
興味とは
辞書では「関心・面白み」等と書いてあります。
では、関心がないからと言って「知らない」のかというとそんなことはありません。
知らなければ関心や面白みを感じることも出来ないので…。
あくまで「知った上で」関心がないものを「興味がない」と私は表現します。
要するに「興味がない」=「意見がない」
例えば私が興味がないモノに対して意見を求められても、興味がないので何も言えないんですよね。
むしろ「知らなければ」それは感心に繋がるので興味が湧きます。
好奇心旺盛か否か
好奇心が旺盛な方はどんなことにも興味が湧き、深掘りし自分の血肉にしていくのでしょう。
私はエネルギッシュな方が大好きですし、尊敬もしています。
でも私自身はそのようなエネルギーもなければ、好奇心旺盛でもない。
根本的に私は「必要な物事(人・モノ・金)は必要なタイミングで訪れる」と考えています。
きっと自分にとって必要になった時に形は異なれど否が応でも意識せざるを得ない状態になる。
そうなった時に私は「興味が湧く」のだと思います。
全ては最善最良のタイミング
私は興味がないことを悪いことだとは思っていません。
それは「タイミングではない」だけで、興味が湧けば学びもしますし、意識もしますし、深掘りし考えることもします。
先ほども書いたように「意見がない」だけで知らないわけではないので…。
中には興味がないことを「悪」のように考える人もいるかと思いますが、では何故「興味がないこと」を悪いと考えるのでしょう。
それは「自分が」興味があるから「あなたも」興味があって当たり前。
そう考えているからではないでしょうか?
私も以前はそのように考えていた時期もあります。
様々なことに興味を持ってエネルギッシュに生きた方が楽しいと考えていた時期は「興味を持たないなんて勿体ない」とか「物事を深く考えないなんて人としてどうなのか?」と思っていた時期もありました。
でもよくよく考えると、人には個々のパーソナリティーがありすべての物事に「正解」は存在しません。
数字で証明できるものであれば正解はあるのかもしれませんが、人の感情の領域に入ったもの(数値化出来ないもの)は全てにおいて正解はないのだと思います。
興味が湧くような出来事は最善最良のタイミング訪れる。
これからも興味が湧けば深掘りし、興味がなければ「ない」で良しとしていこうと思います(笑)
ただ、知らなければ興味も湧かないのでアンテナは常に立てていきたいです。それもメンタル次第ですけど(笑)
今日も最後までお付き合い頂いてありがとうございました。
平日はMedyでケアマネや介護に関わる記事を書いています。ご興味ある方は覗いてみてください。