頭の中を一筆書き。
どーもカイゾウ(@kaizo777)です。
今日は日曜日なので私の思っていることをつらつらと書き綴りたいと思います。
この記事は今思っていることを一筆書きで書いていきます。
後で自分で見返して「あ~。こんなことを自分は考えているんだ」と良い振り返りになると良いなと…。
そんな記事にお付き合い頂くのは恐縮ですが「人の頭の中をのぞく」感覚で見て頂ければ嬉しいです。
着地点も考えず書くのでどんなまとめになるか私にも分かりません(笑)
でははじめます。
私は良く「考える」という言葉を多用します。むしろ「考えない」人に対してはどこか「もっと考えようよ」という気持ちになります。
これは何故か。そもそも私が「考える」ことが大の苦手だからです。むしろ考えなくて良いならば考えたくないのが本来の私。
以前は行き当たりばったりで生きてきましたし、今でも油断をすると「考える」ということから逃げてしまう自分がいます。
何より「面倒くさい」が口癖で、今でも何か複雑な人間関係や複雑なことがあると「面倒くさい」と頭の中に出てきたり不意に口に出たりします。
私はこの「面倒くさい」が自分にとってはマイナス要因だということに気づいてから極力「そう思った原因」と向き合うようにしています。
私の苦手なことは「考えること」、私に取って悪い流れを生むきっかけは「面倒くさい」と感じることです。
このうち「面倒くさい」ことは、そう思ったら「なぜ思ったのかを考える」だけなのでシンプルです。そして、面倒でもやる。ただこれだけなので良いのですが、「考えること」は私に取っては本当にハードルが高い。
特に話言葉として人に伝える際に、人の話を集約して頭で理解して自分の意見を言うまでの回転が非常に遅いことが今の悩みです…。
以前も少し記事にしたことがあるかもしれませんが「多対多」もしくは「多対1」での会話の中で自分の意見を発信することが上手く出来ない…。
意見の渦巻く中、各々から出た発言を頭で「考えて」それを今度は自分の意見に変換する為に「考える」。この工程に私の頭の回路のどこかに詰まりがあるようにも感じてしまう。
だから会話を次々交わしながら、その会話をまとめつつ自分の意見を言ったり、さらに面白いことを言える人は私にとって尊敬の対象となります。
お笑い芸人さんとかは「会話」と「考える」という点において神ですね(笑)
では、自分は今のままでも良いのか…?
私はそうは思わないのです。「考えること」が苦手であれば、考え続けることで何か変わるかもしれませんし何か見えるかもしれません。
「面倒くさい」と感じることには「なぜそう思ったか考えて、解決の為に行動する」という自分ルールが出来たのでクリアできるのですが、ただ純粋に「考える」ことへの自分ルールが出来ずに悩んでいます。
苦手を克服したい反面、どうやったら乗り越えられるか先が見えない。
大学生の頃、考えることから逃げていた私にバイトの先輩が言った「お前の頭は何のためにあるん?頭は考える為にあるんやぞ?」という一言が時折フラッシュバックします。 (大阪出身の人でした。関西弁が思い出せない(笑))
自分なりに考えても考えてもふとした時に「何も答えられない」自分がいたり、「何を言っているのかわからない」自分がいることが悔しいと感じることが度々あります。
「普段から考えていれば答えられる」と思う私がいるからこそ、常に様々なことに頭を使っているつもりでも、次々色々な意見を言える人を横目で見ると「なんで自分はこんなにも言葉に変換できないのか!」ともどかしくなる時がある…。
「あ~。私は考えていることを上手く言葉に変換したいんだな~。」ということに今気づきました。
それを克服するには「話す」=「苦手」というセルフイメージを書き換える必要があるとも感じました。
さて…。
「考える」ことを続けつつ、それを言葉に変換して人に伝える。これを上手くするためには何が必要かな…。
これをまた考えることに取り組みたいと思います。
一筆書きで書くnote。本当にありがたいツールです。そして私は話すより書くのが実は好きだということも最近は薄々感じてきました(笑)
いつもお付き合いくださる皆様ありがとうございます。感謝です。
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今日はこの辺で。
ではまた!!