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中里介山「山道」 朗読/開運小天 著作権フリー

中里介山/開運小天
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中里介山「山道」 朗読/開運小天 著作権フリー

小説「大菩薩峠」は、新聞の小説欄に掲載され、多くの読者から人気を得ました。その作者、中里介山が、自分の身を偽りつつ、大菩薩峠を登山する人々と交流したときの随筆です。
登山している面々のなかに、小説大菩薩峠の読者が混ざっており、小説についても意見が交換されます。この小説のなかの登場人物に、「机」というニヒリストが出てくるのですが(私はまだ小説大菩薩峠を読んだことがないので情報だけで失礼しますが)どうやらこの「机」というのは狂気じみた性質を持った人物のようで、まだそういう「狂気」のような表現が世にあふれていなかった当時としてみれば、非常にセンセーショナルな作品だったのではないか?と想像しています。
もしかすると日本の文学の中で、そういう殺人鬼的な登場人物が主役級で出てくる作品のさきがげだったのかもしれません。

この「山道」で展開される、小説大菩薩峠についての論評のなかに、「机」が主人公なのか?という話題が出てくるのですが、中里氏らしき馬上の人物は、「机だけが主人公ではない」と答えています。
私が想像するに、中里氏としてみれば、もしかすると小説大菩薩峠の大ヒットによって、狂気な性格の机にこれほどスポットライトが当たるとは思っていなかったのではないでしょうか?

小説というのは、ときに、作者の意図しない方向へ世間の評価が流れてゆくことがあるのかもしれないなと思いました。
それは嬉しい面もあれば、困惑する面もあることでしょう。

そもそも中里介山自身はキリスト教の洗礼を受け、聖書を学んだ身。
その中里氏としては、殺人鬼のような存在を小説に登場させたことによって作者自身の考えを「狂気を是とする」ような考えの持ち主だと空想されるのは良しとしなかったことでしょう。
小説家のみなさんは、そういう読者の勝手な空想をいちいち訂正してまわるわけにはいきませんから、ご苦労なさる一面もあるかもしれませんね。

そして、途中、一人の男性が、関東大震災で浅草の観音堂が焼け残ったことについても力説するのですが、その考え方は読んでいて面白い一面でもありました。

目の前に広がる山の峰々。
登山なさる方には心地よくその風景が思い起こせることとおもいますし、心の中にすがすがしい空気が吹き込むことでしょう。

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