消費される命と記録される歴史
21世紀に物心がついた僕らにとって
全体感なんてものは遠い存在だった。
小中高の画一化教育課程なんて
どこか上の空で俯瞰していたし、
アイデンティティなんてあるようでない
ファッションのようなものであった。
翌日には、アメリカ国旗柄のスマホで
記紀神話を調べたりなんかしていた。
頭の悪い大学生のレポートの始まりは大抵、
SNSの普及のせいで〜、とか
IT革命によって〜、とかで始まる。
そんな当たり前のことを
大真面目に頷いて話せるくらいには
僕らは現在に実感がなかった。