![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/19636535/rectangle_large_type_2_8daead6ce6f7add4fe93274abcaa7fa5.png?width=1200)
# ”D進は就職むずい”のからくり
僕は気にしていないけど,どうなるかわからない.
どうも,しげまです.未来への不安を綴ってみよう.
結局”本当に好きなことを極めたい”と思う人しか進学しなくなってしまった外的環境がありきで起こった悲劇だと僕は思います.
で,本当に好きなことを極めたい,と思う人はそれに熱中するあまり他人とのコンタクトを避けて生きてしまうケースが往々にして発生してしまう.
この連鎖の果てに,いわゆる”理系オタク”のみが博士課程に集まってしまい,博士課程に関する一種のステレオタイプを生んでしまったのだと僕は思う.
この人たちは悪くないと僕は思うし,そうさせてしまうような教育体制の方が僕は問題あると思う.専門性は高まるかもしれないけど,やはり教養を幅広く学習できる制度があって然るべきだよなぁと思う(無論自分のやりようによってこのように学習できたはずだったけどそのようにできなかった自分が悪いのは承知の上).
”理系だから”とか,”文系だから”といった区別をドイツで聞いたことがないし,研究に携わっている人でもみんな当たり前のように国の歴史を知っているし,社会問題に対してある程度の知識は持っていてきちんと議論している.逆もしかりで,科学にバックグラウンドがない人でもテクノロジーに関する一般論と持論を持ち合わせているケースがほとんどである.
理系だから歴史を勉強しなくていいわけなんてないし,むしろ一般的な歴史の知識を知ったうえで技術は発展されるべきである.逆も同じ.
そういった意味で日本の文化の大きな特徴の一つである”線引きをする”文化に強烈な違和感を今,僕は覚えている.自分を振り返ってみても,自分が培ったコミュニティがとても大切で,仲間同士で盛り上がりたくて,でも外部と積極的に関わることが苦手だったりよそ者を排除したりする.
先日投稿した”桃の話”もこの辺りに付随するのかなぁと朧気ながらに思う.
勿論”線引きをする”文化のおかげで素晴らしい”行儀の良い”社会が成立しているのも事実だし,そこに関しては本当に”日本最高”と思える側面だと僕は思う.
まぁ何事も”丁度いい”ことがベストであるとは思うけど,そう上手くいかないのが世の中の常,ということですよね.上手くいかないなぁ.