# 行動を起こすのに”共感”は必要か
承認欲求がないという人はいないと僕は思う.
そしてこれは日本人に特に顕著な考え方であるのかもしれないということを最近考え出したけど,自分が何か行動を起こすときに,第三者の承認がほしくなる,ということである.
誰かと同じ行動をとっていたい.他の人の賛同を得ていないととても不安にある.
こんな具合だろうか.
だから誰にも承認されていないこと,共感を得ないことを行動しようとするととても不安になる.気持ちはとても分かる.
でもこれからのことを考えると,なんでもかんでも共感できるかというとそんなわけはない.これまではそうだったかもしれない.みんな同じ課程で学び,同じような学校に通う.僕自身も大学(下手をすれば大学院すら)までの道はほぼ一本道で,迷うことなく進んできたような感覚を持っている.
それは周りのみんなが当たり前のようにしていて,自分もなんとなくそうなるんだろうと思ったからだ.
でもこの先はそれぞれ微妙に違う一人一人のバックグラウンドを背負い,皆が自分の価値観を信じて全く違う道を進んでいくはずだ.そこに全ての体験,出来事を共感できることなどあるわけがない.いや,むしろあってならないと僕は思う.
だからこの先に必要なのは,第三者の共感ではなく,自分自身との対話の中で得られる共感なのだ,と強く思う.”自分とは何か”,といった問いに答え続け,自分が本当に納得できるような道に進んでいくことこそ自分を唯一納得させられる手段だと強く思う.
勿論その過程の中で他者の意見が参考になる場合もあり得る.だからこの話は他人と一切対話をするな,といった極論を述べるものではない.
必要なのは,自分が必要な情報が何かを見極め,本当に自分に必要なものだけを抽出する力.そして自分が納得する解答を自分自身で得る力.
これに尽きると強く思う.
誰もが予想していなかった状況に陥り,不安に感じない人の方が少ないはずだ.だけど,もうこうなってしまった以上,誰かの共感を得て先に進むことは困難だろう.その経験が誰かと重なることはほぼ皆無であると言える.
だから僕は誰がなんと言おうと僕自身が納得できるような答えを自分で導けるような人になりたい.そして誰かがその答えに行きつくときに支えられるような人になりたい.