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# 差を思って卑屈に感じる己との闘い
”自分にしかできないことをして生きていく”と大手を振っているくせに、他の人と外れたことをすることはとても不安に感じてしまう、どうしようもない性格なのである。
他の人と違うことをすることは怖いし、みんな一緒って安心。心の根底にはまだこんなことを思っている自分はいる。これは事実。今もそう思っているからこんなことを書いている。
そんな自分にとって、周囲のほとんどが就職してしまうこの状況が不安でたまらない。無論、これまで周囲から外れることの意味を書き続けてきたので、こんなこと書いてしまったら読者を幻滅させてしまうかもしれない。何故なら真逆のことを言っているんだから。
ここ数日の自主隔離 & 時差ボケのせいで本当の僕、本音の僕がどうしても顔を出す時間が増えているように思える。家にずっと閉じこもっていることで考えが消極的になっているのかもしれない。
だけどそんな自分も含めて自分だし、こうやって色々考え、悩むことで得られる答えは有意義なものになると僕はこれまでの経験から知っている。だからこんな恥ずかしい自分ですらさらけ出してしまおうと思ったわけである。
何をしていても”今更何を”、と思ってしまう。周りの人はとっくにクリアしたフェーズを、自分はまだ時間をかけてとどまっているのだから。学生という身分も、就職活動も、何もかも。
だからこそ、自分が行うこと全てに他の人と比べて”深さ”が伴う必要がある。時間をかけただけの意味を見出さなければそれこそ真の惨めな奴、という話になるのだから。
そして、薄々気づきだした、”自分は自分である”ということ。自分のやりたいことは自分で選んでいいし、今ここにいるのも全部自分がしたいと(一度は)思った結果。その判断を愛し、敬い、そして信じる。
全ては判断を下した過去の自分への面子を保つため。あの頃の自分を悲しませないため。そしてこれからさらに自信を持って歩みを進められるようにするため。
という訳で、明日から社会に飛び立つ僕の友達には、最大のエールを送ると共に、僕も決して劣らず努力を重ねて自分を高めることを誓おう。
頑張ってください。応援しています。僕も負けない。自分にも、みんなにも。
※ 写真は未来を感じさせてくれるようなものを直感で選びました。hd4anceさん、ありがとうございます。