「元号」について。
ぼくのブログでは、まいかい文書の末尾にね、
書いたその日の「日付け」を入れているんだけれども。
これはさ、以前やっていたブログのときの、
あるころよりやりだしたと思うですが。
とうしょは、表示が「西暦」だったのよね。
この日付けの「西暦」を、今の「元号」へ変えたのは、
2016年7月13日、今上天皇生前退位のご意向。
という報道がされた日のよくじつのブログからでして。
(天皇陛下による「おことば」は、同年8月8日。)
「生前退位のご意向」の報道を聴いたときに、
ぼくは、あ、これは「平成」が終わるのか。って思いながら、
「平成○年○月○日」と記せる日が、
もう、あとわずかなのだなあ。とも思って。
そうならば、このブログの日付けを「平成」へ変えよう。
としたのだった。
「平成」は、じつは、ぼくは、
生活にあまりなじみがなかった。
今でも「西暦」と「平成」で年数が結びつくのは、
「平成元年=1989年」と「平成23年=2011年」だけで。
「平成元年」のときは、じぶんは小学一年生で、
そのころのふんいきを覚えているから言えるけれども。
「平成23年」は、大震災以降、
「2011年」という年の元号も知っておかないと、と思って、
調べて知ったので。ほんとうの意味で結びつくのは、
「平成元年」だけとも言える。
なので、たとえば履歴書の学歴・職歴欄を書くときでもさ、
「西暦」ではだいたいわかるけど、
「元号」だとぜんぜんわからないので
「年齢早見表」を見たりしたりして。
こういうのってどうしてだろう???
って考えてみても、じつの理由はわからないんですが。
たとえば、なんでしょう。じぶんは音楽をよく聴くけれど、
音楽CDのリリース年が「西暦」表示だったり、
ライブのツアータイトルも「西暦」表示だったりするのも、
すこしあるのかなあ。とも感じながら。
そういう意味でも「平成」ということばを、
じぶんは生活のなかであんまり使わなかった感覚があって。
この感覚を今日からでも取り戻せたい気もちもあって、
2016年7月13日当時、もうあと数年しか使えないだろう
「平成」をブログにしるそう、っておもったのよね。
「昭和」や「平成」や、という元号は、
「日本国」のオリジナルの年の数え方だと思うけれど。
外国でも、そういうその国特有の元号みたいなのって、
あるんでしょうか?????
と、そのようなこともかんがえながら、
きょうもあしたもあさってもまだまだ
「平成」としるすっす。
平成31年4月17日