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# ”思考の余裕”は”心の余裕”

卵とにわとり問題です.

こんばんは.しげまです.どっちが先に来るかよくわからないけど,でも心に余裕を持つことって大切な気がする.

ここでの”思考の余裕”が指す意味は二つあって,一つは”時間的な余裕”.そもそも忙しかったら思考を巡らせる余裕もないよね,という話.

(この忙しいというのも種類があると思っていて,特に”他人からの指示から来る忙しさ”については,思考の余裕を完全に殺してしまうと思う.そもそも自分が目的を理解して行動をとる自発的な行動であれば,行動と思考は並行して行われるはずなので.言われたことをやっているうちはその意義を見出せずにいるため,”思考の余裕”はない.)

もう一つは”思考の寛容性”という言葉が一番しっくりくるだろうか.要するに悪いこと,ネガティブなことばかり考えてしまう,ということを言いたい.

例えば僕は分かりやすいと思っているのは,大体おなか減って眠いときに考えることなんて最悪.いつも悪い方向に思考が向いている.これについては心の余裕というより肉体的な限界ということも言うことができるかもしれないけど,でも体に余裕がないときに心の余裕は生まれない.

上記のことを整理すると,

心の余裕(≒体の余裕)がないと建設的な思考はできないし,有意義な思考ができない環境に晒されると人は止んでいく.

だからこのことに気づいたときには,一刻も早くその状況から脱することを心掛けている.”あ,俺今おなか減って眠いから考えが悪い方向に向かっている”というように,客観的に自分を見て適切な処置(寝る,飯食う)をとれるようにはなった.

だからネガティブなことばかり考えてしまうときには,必ず何か要因がある,と僕はまず考える.外的要因を排除したうえでネガティブな思考が結論づけられる場合であれば,そのときはじめて対処が必要になる,ということである.

でも”思考”なんて主観的なものでしかない以上,ネガティブな結論になるなんてことはまずありえないし,楽しく生きるためには自分にとってプラスに考えていいのでは,と僕は思う.そういった意味で全て自分次第でどうにでもなる,というのが最近の僕の思考だ.

結論として言いたいことは,

何かに悩んでいる人がいるならば,そんなに悩まなくてもいいことかもよ,それ.

ってこと.とりあえず飯食って寝れば状況はまぁまぁ改善されてるって,ね.



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