スティーヴン・スピルバーグ監督作品『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』
事実を基にした映画にはその内容に驚かされるものも多いが、恐らくこれもそのうちのひとつに数えられるだろう。
“世界一の天才詐欺師”とも称されるフランク・アバグネイル著の自伝小説『世界をだました男』を参考に、スティーヴン・スピルバーグによって映画化された『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』だ。
タイトルの和訳は「できるものなら捕まえてみろ」。
その訳の通り、弱冠16歳から詐欺を始め、パイロット・医師・連邦刑務局職員などの身分詐称や小切手詐欺により5年間で400万ドルもの大金を荒稼ぎした主人公、フランク・アバグネイルをレオナルド・ディカプリオ。彼を捕まえようと動く、FBIの詐欺対策課で働くベテラン捜査官、カール・ハンラティ役にはトム・ハンクス。
史実通りあの手この手で捜査の網を潜り抜け逃げおおせていく様に加えて、作品全体に流れる軽妙な雰囲気を、名俳優とも呼ばれる二人が鮮やかに実写化している。
1968年。ニューヨークで暮らす16歳のフランクは、地区のロータリークラブ終身会員に選ばれるほどの名士である父と、若かりし頃より多くの男性から熱い視線を受ける美人の母の愛を一心に受けていた。そして、彼自身も仲の良い両親を尊敬していた。
しかし、父が国税局とトラブルを起こし事業が立ち行かなくなると、アバグネイル一家は困窮した生活を余儀なくされる。やがて母の浮気が原因で両親が離婚。母の雇う弁護士から両親どちらと一緒に住むのかと迫られるが、どちらか一方を選ぶことに耐えきれなかったフランクは家出をしてしまう。
こういった家庭事情から、「裕福であれば、これまで通り幸せな日々が続いていたはず」と悟ったフランク。金に対して異常な執着を見せるようになり、やがて詐欺への道へと歩みを進めていく。
その後に彼が行う詐欺の数々はぜひ作中で確認してもらいたいが、本作を観終わった僕に強い印象を残したのは、主人公が抱く父への想いだ。
父親っ子のような描写も多い彼が、将来越えなくてはいけない壁として父を意識していたのは人間観察に疎い僕でも察することができたし、その分目標であった父が事業に失敗し母にも見放されてしまう過程を見るのは、やはりつらいものがあっただろう。
だからこそ彼は、未成年である自分では正攻法ではすぐに大金を稼げない=家族の幸せがさらに遠のいてしまうという焦燥感から、実に様々な詐欺に手を染めていく。
そして、身分を偽りパイロットとして働き始めた頃、月々の給与から、かつて父の愛車であったが生活費のため売ってしまった、フランクにとって家族の思い出が詰まった高級車を買い戻し、父にプレゼントしたのである。
しかし、父はそれを拒む。普段から国税庁に目をつけられているから、高級車に乗っていることがバレると再度督促状を送りつけられてしまうという理由で。しかしそこには、いくら息子とはいえど曲げることのできない父としてのプライドもあったように感じられた。
そして、本作を観進めていくうちにフランクにとって必要なものは、決して金だけではないことがわかる。詐欺という性質上ウソだけがメキメキと上達するものの、数多の札束を得ていくことと引き換えに、彼は大切なものを失っていく。それはつまり、他者との繋がりだ。
身分を詐称し世間的にも十分に高い所得を得ながらも、FBIの捜査の手が及ぶとすぐに別人になりすまさなければならない運命。
その時々には何人かの女性とも関係を持つが、どれもいいところで長居できなくなり、次の場所を探すうちに、彼は本当の意味で“人との繋がり”を欲するようになる。
それはいつもクリスマスイブだった。
何度か実際に顔を合わせ、間際のところで逃げおおせる彼を諦めずに追うFBI捜査官のカールに電話をし、クリスマスイブの日にだけ一年に一度の近況報告をする。カール自身は当初警戒していたが、フランクの気さくで素朴な性格を知るうちに二人は電話でささやかな交流をする。
現在こうした詐欺をし、今ここにいる。だから会いにきてもいい。
フランクはそう言うが、カールは信じない。なんせ相手は天才詐欺師。捜査をかき乱すことが目的の戯言と受け取るが、しかしフランクは本当にその場所にいたのだった。詐欺ばかりしていくうちに本当の自分までも見失ったフランクの正体を知り、心の拠り所にも似た感情を抱かれていたのは、皮肉にも彼を逮捕しようと奮闘するカールだけだったのだ。
そして、カールの数年間にも及ぶ捜査により、遂にフランクを逮捕する日がやってくる。
やがて禁錮刑12年を言い渡され、重罪犯用刑務所の独居房で過ごすフランクのもとに、新たな偽造小切手事件を追うものの手詰まりになっていたカールが意見を聞きに訪れる。フランクはカールが持参した証拠を見てその場で有用な情報を提供したことがきっかけで、小切手偽造の技術や詐欺能力を見破る高い能力を見込まれ、FBIの協力局員として採用されたのだった。
その後結婚し子宝にも恵まれ、再び家族の幸せを手に入れたフランクは『偽造のできない小切手』を考案する。
今では数多くの企業で使用されるようになり、数々の悪質な偽造犯逮捕にも貢献。現在では金融詐欺のコンサルタント会社を経営し、『銀行詐欺と偽造摘発の権威』と呼ばれるようになったフランクとカールの友情は生涯続くことになった。
フランクは数々の詐欺罪を起こしておりウソを巧みに操る人間だが、フランクが抱く家族への愛情や、真の自分を知ってくれる人と繋がりたいという想いは本当だったのではないか。
それに、父の死を知り、母が再婚相手との生活を楽しんでいるのを見て絶望したフランク自身、金では得ることのできない“本当の幸せ”を自分は一生手に入れることができないと察していたようにも思う。
それでも、自分自身では抜け出せなくなり深刻化していく詐欺活動の中で、彼を逮捕した捜査官がカールであったことは、フランク最大の幸運でもあったはずだ。
逮捕により罪を償い生まれ変わる機会を得たフランクは、カールの捜査に協力し自身の能力を社会に還元していく。
そこには詐欺をしていた頃のような物質的な豊かさはない。しかし、フランクの表情は、かつてないほど晴れ晴れとしているように見える。それはつまり、フランクは決して孤独なままではなかった証明でもあった。
仕事における理不尽なことも、努力が実を結びうまくいった喜ばしい出来事も日々経験し、真摯に働き続ける。そして、自身の手で、本当の自分をもって心を満たしていく。
自らや愛する人たちのためだけでなく、仕事仲間や関わる人すべての役に立つことで、フランクはまさに望んでいた“人との繋がり”を叶えていくのだ。そして、その様は観ている者の心までも明るくしてくれるのである。
この映画で描く、“敵対関係の二人が替えの利かない存在になっていく”過程は、二人の人生における序章に過ぎない。その先に待つ本当の友情は、きっと彼らにしか知り得ない特別なものなのだろう。