感覚こそ力
「野口体操 感覚こそ力」羽鳥 操著から抜粋してご紹介します。
・僕の体操に対する基本の考えを話しておきましょう。
今、自分が持つ弱さ・下手さ・未熟さを、優しく認めて、あたたかく包み込む。自分が優しさという生きものになり切ったとき、すべての動きは易しくできる。その時の感じは、安らかで、休まり、癒やされる、という実感が、この装身具の祈りと、体操の祈りによって、自信をもって言えるようになってきました。(p.23)
・ビーズ玉もラピスの玉も、一つ一つは、固いんです。でも、全体で動くと柔らかいでしょ。滑らかですよね。からだの中も同じです。細かくしてください。小さく細かく分けるほど、滑らかな動きになるんです。そして小さくすればするほどに、表面積・接触面は大きくなり、つながり方は多様な自由さを得るんです。からだのなかの働きが促進され、盛んになります。動きの肌理(きめ)が細かくなり活性化するんです。(p.27)
・さらりとした兼ね合い・この時だという頃合い・丁度いい程合いを大事にするのが、本当の文化の命なのだ。(p.34)
・野口体操とは、自分のからだに貞(き)くこと。
それは、重さに貞くことでもある。
重さに貞くことは、大自然の原理に貞くこと。
それが大自然の神に貞くことであり、祈りである。(p.39)
・からだの基本構造は、皮膚という薄くて柔らかく伸び縮み自由な大小無数の穴が開いている自他の界面としての複雑極まりないたった一つの生きている袋、その中に液体がいっぱい、その液体に骨や筋肉・内臓・脳などが浸され、浮かび漾(ただよ)っている。(p.42)
・動きが生まれるためにはバランスの崩れが必要条件である。したがって、鉛直方向にぶら下がる状態を続け、平衡を保ちながら、微小なエネルギーによって微妙に揺れるモビールは、逆に複雑微小な平衡の崩れを精細・正確に感じ取り、即応する「平衡の崩れの多重構造体」「非平衡系」である、といえる。(p.51)
・足の裏を柔らかくすること。板と優しく話ができるような足の裏であること。脚全体が、一本の棒ではなく、細かい関節が無数にあってむしろ紐のような脚であること。
足の裏・脚全体・骨盤の向きで、からだの重さの乗せ替えがスムーズにできるように、余分な緊張を避ける。
目は、目の高さの遠くを見ながら、そのことで水平をとるといい。(p.54)
・腰にしろ、胸にしろ、それらが仕事をするときには、土台から伝えられたエネルギーのつながり・つたわり、とおり・ながれによって、動きが生まれるのが、いい動きだと言える。直接仕事をするところの筋肉が、必要以上に働かないことが大切だ。(p.73)
・気はイメージであり、思いであり、動きであり、からだの延長でもある。(p.96)
・その動きのために働く筋肉の緊張のエネルギーの総量が小さいだけでなく、時間の進行につれて、多くの筋肉が交替し協力して働くタイミングの次々・順々の在り方が極めて大切。(p.100)
・元の方が重く・大きく・太く・硬い。先にいくにしたがって軽く・小さく・細く・柔らかくなる。この構造が機能を生み出す。機能は動きのリズムを生み出す。鞭を鳴らす人間のからだの動きが鞭の動きと一体になり、鞭のリズムに溶け込んだとき、初めて気持ちのいい音が鳴り出す。(p.111)
・人間のからだは鞭とハンマー(槌・杵)の変換の多重構造。
それは、この二つの反対の構造と機能・両方の長所と短所を生かすように自由に変換することのできる多重構造である。(p.115)
・力が集中するということは、身体各部の力を同時に出すことではなく、その動きに最適な順序にしたがって出していくことである。短時間(瞬間)に地球からもらったエネルギーを順々に伝えるところに難しさがある。(p.120)
・解剖学の本には、ちゃんとこういう動きのときの主動筋はこれこれしかじかで、とかいてあります。そのことだけを抽象すれば間違ってはいない。しかし、実際の動きには役立たないんです。人間のからだ、もちろん自然は、いつも全体として存在しているんです。動きを外から見たとき、どんなに部分的に動いているように見えても、動きというのは、全体のつながりのなかで成立することなんです。そして、その動きは次々に伝わり、変化を起こしていくんです。変化を伝えるのが動きだと言ってもいい。(p.132)
・この腕立てバウンドにおいて、腹筋が緩められて腰が床に近づいたときには、左右の肩胛骨の間の力が抜けるといい。すると、左右の肩胛骨はふれ合う。(p.136)
・この動きの骨は何ですか、とよく尋ねられることがある。コツは骨と書きます。骨子という意味も含めて考えると面白い。で、骨はリズムだと言い換えてもいい。リズムは呼吸だともいえる。リズムにふさわしい、呼吸がつかめたときは、その動きが楽にできるようになる。(p.140)
・実感とは、特別な機器などによる分析や、実験などの結果に頼らず、直接体験によって明瞭確実なものとして感じ取る(気づく)総合的な感覚をいう。(p.157)
・重さを乗せ替えることは、力を抜くことによって生まれる。力を抜くとからだの重さが生きる。その重さで常に新しく地球に話かける。するとからだの重さの作用が生まれる。作用があれば反作用がある。力が抜けたからだは、反作用を受け取る力を潜在させている。別の言い方をすれば、弾みを生かすことができるわけだ。弾みは、緊張からは生まれてこない。緊張し、こり固まったからだは、弾力に欠けたからだだといえる。緊張しすぎ、固めてしまったとしたら、それは硬いからなのだ。そこから伸び伸びした気持ちのいい動きは生まれない。(p.168)
・足の幅を大きく取らないでください。肩幅ぐらいで充分です。足幅を広く開くと安定するという先入観は、学校の体育でつけられるんです。それは剛体物理の考えです。動かない建物の場合には、地球につながる土台は、広い方が安定します。しかし、動くものの土台は、広く幅を取ると逆に不安定になります。次の瞬間の動きの可能性を妨げます。
従来の体操がやっている左右対称の動きの不自然さに気づかないのは、力ずくでやっているからです。力ずくは無理をするということ、無理は動きの原理に合わない、ということです。(p.171)
・原理はとても簡単なんです。単純なんです。しかし、現れ方は、複雑なんです。それが自然というもののあり方です。(p.178)
・筋肉の働きにとって、大事なことは、量的な力を増すことではないんです。微調整する感覚なんです。質的な違いの分かる感覚が働く筋肉なんです。筋肉は感覚器として、充分働いたときに、初めていい運動器になるんです。運動器としてだけの運動器は、筋肉本来の働きではないんです。筋肉は動きのきっかけをつくり、微妙な動きの調節をする。動きの主エネルギーは、自分のからだの重さなんです。重さを上手に活かすからだのあり方を導く働きが、筋肉の重要な仕事です。(p.181)
・からだ全体に力が入っていると、呼吸が浅くなります。しかし、力が抜ければ抜けるほど、呼吸は腹の底に納まってくれるようです。いやむしろ、そういう呼吸になったときに、腰がしっかり無理なく据わってくるんです。(p.192)
・動きは中身の変化がその本質だと考える。形は結果として生まれてくる。
『する』のではありません。『なる』んです。(p.194)
---気づき
目線は、投げる方向へしっかり定める。
棒もカラダと一緒で、立体的に動かす
棒もって真っ直ぐ気にしながらごにょごにょしたら
カラダ全体が動く
股関節も動く
カラダの中心から肘に乗せる
必ず首へいれる
柔らかく肩動かす
細いストレッチポール
剣とカラダが馴染んだら
剣をカラダでもっている。
真似して動くと同調してくる。
軸でカラダを動かす意識をもっていたら、
軸が切れずに全体で動ける。
軸がでてくると
カラダを立体的に感じはじめる。