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SNS

最近のニュースで女子プロレスラーの方が亡くなられた件で
誹謗中傷などでネットニュースなどに多く取り上げられていますね。

僕はその方を全く知らなかったのですがかなり年の近かったこともあり、noteで取り上げてみようと思います。

最初に書いておきますが、僕はこの方を全く知りません。
誹謗中傷されていたことも、どんな活動をしていたのかを。
なので、このニュースに対してどうこう言うことはありません。ですが、"誹謗中傷"というワードが出てきたのでそこを掘り下げてみようと思います。

SNSが普及して、僕達の親の世代などの時代と比べ簡単に世の中、人と人に発信ができるようになり便利になりました。
その反面、匿名での発信も可能になり相手が見えないこともあり直接では言いにくいことも発信できるようになってしまいました。ここはきっとニュースなど色々記事が出ているので皆が知っていることかと思います。他にもストレス、偽善、現実逃避など様々な意見があるかと思いますが、僕個人的には人は何故、知りもしない、自分達に直接影響しない、頼まれてもいないことに対して意見してしまうのだろうかといつもそういうニュースを見ると思います。例えで言うと芸能人の交際、不倫、政治発言、芸能活動の内容、学校のいじめなどなどです。
他にも色々とありますが、これらを批判、意見している人の大半がその人たちのことを知らない。その問題に対して知識がない。関係がないことでしょう。しかし人はそういうことに対して色々と意見を述べます。そしてそこに反論しよう、止めようものならそれさえも攻撃します。
僕がここで問題だと思うのはそのニュースやツイートなどに意見し攻撃をする人たちは問題があると思いますが、それと同様に擁護、反論している第三者にも問題があると思います。

極論を言ってしまえば、言葉はキツくなりますが、
「お前ら全員関係ねえじゃねえか」
ということです。

そしてたまにここのような記事はたくさん見ますが、傍観者にも問題があるという記事をたまに目にします。悪口等をみたときにほったらかしにしているのが問題だと。
見てみぬ振りしている人は恐らく少数です。基本的に知らない人がほとんどかと。(僕もTwitterのアカウントはありますが有名人はフォローしておらずかなりミュート等使ってなおかつ見る頻度が1日一回見るか見ないかでかなりざっとしか見ないのでそこまで内容チェックしたりしていません。)
問題としてみるべきだと思うのはなにか僕なりにも考えてみました。

・気に入らない記事があったときになにも考えずに吐き出す場所がSNSだけになっていること。
・これだけSNSが普及しているのにも関わらずそれに対する教育がまるでないこと。
・SNSでの発言に対してある程度の責任を負う制度がないこと。

・正義、その人の為だと思い込んでいること。

他にも細かく見ていけばたくさんあると思いますが、この4つが多くを占める気がします。

まず気に入らないことがあったときに吐き出す場所がSNSだけになっていること。についてです。(個人的には吐き出すという表現はあまり好きではないのですが調べてる内にこの表現が言いかなと思い使わせて頂きます。)
これの原因は恐らく、SNSが一番簡単で速いから。あとはそれ以外の方法を知らないから。
気に入らない記事、出来事、ニュースがあった際、SNSで批判する以外に方法がないか考えたことはありませんか?
もし、今SNSで批判している人たち一人一人が、不倫のニュースが出た際、気に入らない!と思ったときそれを紙に書き出し、人はなぜ不倫してしまうのか?自分がその立場だったときにどうするか?など突き詰めてその成果を友人とシェアして周りと不倫はダメだよねやっぱりと話せれば世の中から不倫は少なくともSNSで批判しているよりは無くなるのではないでしょうか?政治についてSNSで批判するのではなく、なぜそういう仕組みになったのか、そもそも必要なのか調べた人がSNS批判する中に何人いるでしょうか。飲み会でくだらない話を永遠するのは楽しいです。僕も好きです。ただそこに少しそういう話を入れるのは別に大した雰囲気の水差しにはならないと思います。そういうことができれば少なくとも少しは周りも政治に関心を持てるのではないのでしょうか?SNSでただあーだこーだと言っているよりは100倍効果があることでしょう。

二つ目のSNSに関する教育がまるでない。これはまるでというのはキャッチコピーの要素で少し誤解が生まれますがそれでも圧倒的に少ないと思います。僕も四年前は高校生でしたが、SNSについて講習を受けたのは3年間で一回でした。しかも誹謗中傷等がメインではなくプライバシー設定に関してが主でした。携帯の使用方法、活用に関しては恐らく若い世代のほうが知っています。なのでそれらをメインにしたところで学生にはほぼ響きません。毎日、そしてこれからも付き合っていくであろうSNSなのに、数年に一度あるかないかの教育などないに等しいです。日本語を使わなければ行けないのに国語が数年に一度しか勉強できなければ正しく使うことは難しいですよね。
もしその状態で敬語を使う環境がなければその人は恐らく敬語は使えません。それと同じで学ぶ機会がないまま誹謗中傷の多いSNS社会を見た子供はどうなるでしょうか?恐らくこれが正しい使い方なんだと思ったまま大人になりますよね。
ここは学校などの教育機関の協力もそうですが第一に家族が教えてあげられる体制を作ることが重要かなと思います。

三つ目のSNSでの発言に対してある程度の責任がない。これに関しては賛否両論で良く見る議題かと。表現の自由だ!や表現の自由と他人を傷付けるのが良しとされるのは違う!など色々あると思います。僕も両方の意見に対して気持ちは分かります。これに関してはきっと単純でリアルとSNSの発言がリンクすればきっと誹謗中傷などは半分以下になるのでは?と思います。バーチャルとリアルでは違うという常識?説?(上手く表現できなかったです。)みたいな話を良く耳にしますがここが問題なのではないでしょうか。勿論、やりたいことがあり、いきなり実名公開すると勤め先の問題や家族との問題があるなど匿名が便利な場面は凄くあります。(僕のこのnoteやYouTubeなどもそうです。)ただそれを履き違えて匿名が隠れ蓑になっていることが多いです。
匿名であろうが、胸張ってこういう活動、発言していると周りに、将来子供ができたときにその子に言えなければそれはきっと言わなくてもいいこと、誰かを傷付ける可能性がある発言なのではないでしょうか。SNS上だろうが現実世界であろうが発言に対する責任は同じでなければならないと考えます。

四つ目の正義、その人の為だと思い込んでいる。については三つ目の補完的な側面もあると考えています。
現実でもそうですが、「あなたの為を思って敢えて心を鬼にして言うね。」や「誰も言わないから私が言う」などの似たような表現を良く使う人が一定数いると思います。
ここで、一つ言えるのは本当にその人の為だけを思っているのならそんなことは絶対に言わないということです。
そんな保険をかけなくとも伝わるし、その人の為だと本気で思うなら別に嫌われようが構わないからです。
これはコロナ騒動で浮き彫りになったと思います。
それは問題によって色々な形があると思います。この人達はその人達のそれぞれの正義を全うしているだけなので恐らく罪悪感はありませんし、それを悪く言われるのは悪だと感じるはずです。多かれ少なかれ全員がその考えはあるはずです。その人にとっての悪の根源に対しての許容量と反撃手段は個々で違うのでそこに対してはなにも言えませんが、ここで一つ言えるのは本当にその発言は正しいか?ちゃんと調べたか?ということです。「コロナが蔓延してきている!自粛しろ!なんで営業なんかやっているんだ!」というのは気持ちは分かりますがなんの根拠もなく恐怖からくる感情論を他の人にも強要しているに過ぎない。恐らく大半が感染力についても、免疫についても、感染者の発生推移すら把握していないことでしょう。コロナウイルスのこともあまり知らないでしょう。知らないまま人を傷付け、正しくない情報を流すことで本来影響を受けなかったところまで影響してしまう。そんな怖さがあることを僕たちは自覚しなければならないと考えます。

SNSは他人を傷付ける為に開発されたものではないはずです。
それは、世の中に早く情報届けられれば人々を救えるかもしれない。だったかもしれないし大切な人といつでも連絡をとれるようにしたかった。だったかもしれない。新しい出会いを見つける手助けができるからだったかもしれない。
きっと温かい理由だったはずです。

そんな温かみのあるSNSの使い方であれば世界はもっと良くなる。僕はそう思います。

長く書きましたが、読んで下さった方がSNSの使い方を考え直し、より良い社会になれば嬉しいです。

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