複雑な《ハプスブルク家》が面白いほどよく分かる2冊の本 NO.②-後半
こんにちは、komakiです。
前回の記事の続きです。
「名画で読み解くハプスブルク家12の物語」 (著者:中野京子)
後半の内容です。
もう、《ハプスブルク家》に興味津々になってきたことでしょう。
こんなにも魅力的な王家の人々を映し出す絵画の力に屈服します。
後半戦もお楽しみを♫
前半の内容はコチラ↓
◆ハプスブルク家とは?
一般的に2手に分けて言い表される
●オーストリア・ハプスブルク家 以下(オ=ハプ)
●スペイン・ハプスブルク家 以下(スペ=パプ)
□「名画で読み解くハプスブルク家12の物語」
著者:中野京子
第7章 ジュゼッペ・アルチンボルド
『ウェルトゥムヌスとしてのルドルフ2世』
【人物】
ルドルフ2世(1552- 1612)
:ハプスブルク家第6代神聖ローマ帝国皇帝(在位:1576 - 1612)
:ハンガリー王(在位:1572 - 1608)
:ボヘミア王(在位:1575 - 1612)
【血縁】
父:マクシミリアン2世(スペ=ハプ)/ [*第4章参考]
ハプスブルク家第5代神聖ローマ帝国皇帝(在位:1564 - 1576)
>>>表向きはカトリック教徒であったがプロテスタントに共感した
母:マリア・デ・アブスブルゴ・イ・アビス (オ=ハプ)/→◉従妹
*(父)*皇帝カール5世 (兄)*フェリペ2世
>>>ゴリゴリのカトリック教徒
◉従兄妹婚
【特徴】
・一族、随一の変わり者
・血族婚の末の特徴をさらに強めた「顎」と「下唇の腫れた」
典型的なハプスブルク家の顔
・結婚にも政治にも無関心(愛人との間に6人の庶子はいた)
・在位中に帝都をウィーンからをプラハに遷都した
・頭が良く「芸術」や「学問」を保護
【奇人エピソード】
>>>episode1 博物学の先駆
「ヴンダーカマー(驚異の部屋)」作りに熱中した。
新奇で珍奇なものを取集をしコレクションの多さは当時か敵うものはいなかった。
昆虫標本、異国の植物、動物の内臓、生きた異形の人間と骨格標本、古代遺物など様々な物を収集した。
コレクションは、植物学や昆虫学、医学など学者の研究に大いに役立ち、
帝都プラハの文化的は大いなる繁栄を遂げた。
>>>episode2 占星術師や錬金術師のパトロンを務める
天文学者と占星術師が同じ職業を表した時代であり、当時の占星術は大学で習うものだった。
ケプラーなどの占星術師を庇護した。
【絵画】
ルドルフ2世は美術に対する審美眼を持っていた。
彼の美術コレクションが現在のウィーン美術史美術館の規範になったほど。
中でも、お気に入りだったのは独特な感性を持つ「オタク」として気があったのであろう、独創的で奇抜な「合成人面像」を得意とする
画家アルチンボルドである。
植物や果物などを緻密に構成した肖像画であり、
ルドルフ2世を、季節を司る神 “ウェルトゥムヌス“ 見立てた。
どんな物(植物、野菜、果物など)で顔のどの部分をうまく構成しているかを観て楽しむも良し。
知識のある者は、自身の博識に酔いしれるも良し。
自分で調べてみるなんてのもいい時間つぶしになるのかも・・・
(そんな大変な事、私にはできませんが・・・)
第8章 アドルフ・メンツェル
『フリードリヒ大王のフルート・コンサート』
■注意:作品は宿敵プロイセンのフリードリヒ大王
敵国の王:フリードリヒ2世(1712 - 1786)[フリードリヒ大王]
:第3代プロイセン王
>>>啓蒙専制君主の典型とされ、マリア・テレジアの息子のヨーゼフ2
世も心酔した
>>>オーストリアに助けられた恩を仇で返すがハプスブルク家に
苦しめられた者たちからはヒーロー扱いを受ける
【人物】
マリア・テレジア (オ=ハプ)(1717 - 1780)
:神聖ローマ帝国皇帝の皇后(共同統治)
:オーストリア大公(在位:1740 - 1780)
:ハンガリー女王(在位:同じ)
:ボヘミア女王(在位:1740 - 1741、1743 - 1780)
【血縁】
父:カール6世(オ=ハプ)/
:ハプスブルク家第12代神聖ローマ帝国皇帝(在位:1711 - 1740)
:ハンガリー王(在位:同)
:ボヘミア王(在位:同)
*(父)レオポルト1世(オ=ハプ)
>>>男系男子で同家最後の皇帝
母:エリーザベト・クリスティーネ/神聖ローマ帝国の諸侯
夫:フランツ1世(フランツ・シュテファン)/ロレーヌ公国
:ハプスブルク=ロートリンゲン朝初代神聖ローマ帝国皇帝
(在位:1745 - 1765)
子:ヨーゼフ2世/
:ハプスブルク=ロートリンゲン朝第2代神聖ローマ帝国皇帝
(在位:1765 - 1790)
娘:*マリー=アントワネット(オ=ハプ) [*第9章参照]
→(後) フランス王ルイ16世妃
【特徴】
『ハプスブルク帝国』=『オーストリア』の君主で実質的な「女帝」
(夫と共同統治)オーストリア系ハプスブルク家男系最後の君主
(子の代から「ハプスブルク=ロートリンゲン家」名乗る)初恋の人である夫とは恋愛結婚で結ばれ、夫婦円満だった
16人の子供を産んで政略結婚を続けた
【血みどろエピソード】
>>>episode1 娘たちは政治の駒
マリア・テレジア自身は恋愛結婚をしたのに、娘たちを政治のカードとして使った。
嫌がる娘たちを平気で他国の王と結婚させ、子を産めない者は学校や修道院へと追い払い、結婚をさせなかった。
中でも、未だ絶大な人気の*マリーアントワネットは敵国フランスの
ルイ16世と結婚させられ、悲劇の運命を辿る事となる。
>>>episode2 フリードリヒ大王との確執
フリードリヒ大王の父は、“フルートを吹き、哲学書を読み漁る息子“に対し嫌悪感を抱き虐待とも言える「躾け」を繰り返し、幽閉する。
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[息子の死刑を考える父]
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[カール6世が仲裁]
神聖ローマ帝国皇帝であり、マリア・テレジアの父
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[フリードリヒ少年は救い出された]
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[宣戦布告もなく突然オーストリアに侵攻]
28歳のモンスターになったフリードリヒ大王は恩を仇で返した
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[オーストリア継承戦争の勃発]
マリア・テレジアは死ぬまでフリードリヒ大王を忌み嫌い
「悪魔」「モンスター」と罵った。
【絵画】
そんな2面性を持つ大王の「宮廷コンサート」を描いたのは、
およそ100年後のドイツの画家アドルフ・メンツェル。
ここは彼の宮殿で、私的コンサートの最中だ。
「王の演奏には誰もが魅了された」と残っているが本当なのか?
媚を売るように熱心に見つめる者や退屈そうに天井を見る者。
母と姉しか愛せないという女嫌いなフリードリヒ大王。
真ん中で首を傾げて見ている女性は王妃ではなく、姉。(王妃は一度も足を踏み入れなかった)
プロイセンの宮廷には極端に女性が少なかったとか。
画家が描きたかったものは、歴史の証言にはいつだって忖度があると言うことなのでしょう。
第9章 エリザベート・ヴィジェ=ルブラン
『マリー・アントワネットと子どもたち』
【人物】
マリー=アントワネット( 1755 - 1793)(オ=ハプ)
マリア・アントーニア(ドイツ語名)
:フランス国王ルイ16世の王妃
【血縁】
父:フランツ1世(フランツ・シュテファン)/
:ハプスブルク=ロートリンゲン朝初代神聖ローマ帝国皇帝
(在位:1745 - 1765)
母:*マリア・テレジア (オ=ハプ)/ [*第8章参照]
:神聖ローマ帝国皇帝の皇后
夫:ルイ16世(=ルイ・オーギュスト)/ フランス国王
>>>「フランス革命」において死刑になる
子:ルイ・ジョセフ →(早世)
子:ルイ・シャルル →(幽閉先で生殺し)
娘:マリー・テレーズ →(幽閉後、オーストリアへ)
【特徴】
ライン川の中枢で儀式が行われマリア・アントーニア(ドイツ名)から
マリー=アントワネット( フランス名)に変わった典型的なハプスブルク家の顔ではないが、決して正統派の美人ではなかったが、なめらかな白い肌や鷲鼻が貴族的とされ、スタイルの良さや美的センスが宮廷内でも際立っていた
フランス革命により死刑になる
【血みどろエピソード】
>>>episode1 母の言いつけを守らず散財を繰り返す
マリア・テレジアは、プロイセンとイギリスが手を組んだことにより、
長年の宿敵であったフランスにマリーアントワネットを嫁がせた。
ゆえに、宮廷内には反ハプスブルク家の人間が多い。
母であるマリア・テレジアからは再三、
“この結婚がいかにヨーロッパの安泰にとって重要か“
を厳しく説き伏せられていたにも関わらず、散財を重ねた。
宝石狂い、衣装狂い、舞踏会狂い・・・・
>>>episode2 世継ぎを生むが既に遅し
マリーアントワネットの散財は生まれ持った遊び人気質ではあるものの、
待望としている世継ぎをなかなか産めずにいる事にも原因があったと思う。
多産の家系ハプスブルク家の子でありながら、9年経ってようやく母になれたのは、ルイ16世が持つ身体的欠陥を矯正する簡単な外科手術を拒み続けた事にあるという。
>>>episode3 革命とギロチン
国王一家はタンプル塔に収監された。マリーアントワネットは恋人や祖国オーストリアに助けを求めるも、力を持つ兄達は既に亡くなっており、誰にも死刑を止めることが出来ないままでいた。
1793年、ルイ16世に次いでギロチンで首を刎ねられた。
もし、あの時マリア・テレジアが小国の王や公爵との縁談を持ちかけてくれていたならば・・・(ここまで国民反感を買わずに済んだのか)
【絵画】
可愛いもの好きの王妃マリーアントワネットはヴィジェ=ルブランをかなり気に入り、自身の絵をを20点以上も描かせた。
この絵は、マリーアントワネット32歳の頃の家族の肖像画です。
「母と子の仲睦まじい風景・・・」とは言え、幸せそうには見えない。
皆、目が笑っていないし視線もあちらこちら。
(このベッドにいるはずの次女を亡くしたばかりなのだそう)
だから笑っていないのか。
目の奥に喜びが見えないこの子供達が「王の子」だというだけで、悲惨な結末を辿ると思うとより、この絵が悲しく思える
第10章 トーマス・ローレンス
『ローマ王(ライヒシュタット公)』
【人物】
ナポレオン2世(1811 - 1832)(オ=ハプ)
:フランス帝国の皇太子
:ローマ王
:ライヒシュタット公爵
【血縁】
父:ナポレオン1世(=ナポレオン・ボナパルト)/ [皇帝ナポレオン]
:フランス第一帝政皇帝(在位:1804 - 1814、1815)
母:マリー・ルイーズ(=マリア・ルイーザ)(オ=ハプ)/
:パルマ公国の女公(在位:1814 - 1847)
*(父)フランツ2世(=フランツ1世)/
:ハプスブルク=ロートリンゲン朝第4代神聖ローマ帝国皇帝
:初代オーストリア皇帝フランツ1世
>>>最後のローマ皇帝
叔父:フランツ・カール大公 (オ=ハプ)/オーストリア大公
*(父)フランツ2世(=フランツ1世)(姉)マリー・ルイーズ
義叔母:ゾフィー・フォン・バイエルン / バイエルン王女
:オーストリア大公妃
>>>ナポレオン1世と親密な仲
子:フランツ・ヨーゼフ1世(オ=ハプ)
:オーストリア皇帝(在位:1848年 - 1916年)
:ハンガリー国王
>>>ハプスブルク家最後の皇帝
子:*マクシミリアン (オ=ハプ) [第12章参照]
:メキシコ皇帝(在位:1864年 - 1867年)
【特徴】
ナポレオン1世は、ナポレオン2世を愛称で呼び可愛がった
母との関係は冷酷だった
叔母であるゾフィーは心身共に支えになった
病弱で21歳で没した
【血みどろエピソード】
>>>episode1 母マリー・ルイーゼの闇
敵国であり、
“大叔母のマリーアントワネットをギロチン送りにした皇帝ナポレオン1世“の事を初めは「憎むべき相手」だと思っていた母マリー・ルイーゼ。
ー ナポレオンがエルバ島に流されても知らん顔
ー 息子ナポレオン2世を乳母に預け興味を全く示さなかった
ー 息子ナポレオン2世をオーストリアに置いて、ほとんど帰省もしなかった
ー 別の男と子を2人も産んでいた
敗戦国の哀れなプリンセスのはずが、不思議なほど人気がなかった。
皇帝ナポレオン1世は “ 大貴族の血 “ を持つマリー・ルイーゼと
息子のナポレオン2世を溺愛した。
>>>episode2 ゾフィーとの親密な関係
ナポレオン2世は、オーストリアでよそ者で孤独だった叔母のゾフィーと次第に心を寄せあうようになる。
ー ゾフィーは長男フランツ・ヨーゼフを産む
ー この頃からナポレオン2世は体調を崩し始める
ー ゾフィーが献身的に看病する
ー ナポレオン2世の死の10日前、ゾフィーは2人目の子供
*マクシミリアン[*第12章参照]を産んだ
【絵画】
実際、この絵に描かれたナポレオン2世子供とは思えない眼をしています。
大きな眼には説得力があり、見ていて吸い込まれそうになる。
ハプスブルク家の血が入っているとは思えないほど、美しく整った顔。
「あの皇帝ナポレオン1世とハプスブルク家の血をひく息子なのだ。」
という自負がこの頃から備わっていたのでしょうか。
しかし、英雄ナポレオンとそっくりなこの少年の運命は不遇なものだった。
第11章 フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルター
『エリザベート皇后』
【人物】
エリーザベト・フォン・エスターライヒ [シシィ](1837- 1898)
バイエルン王女
:オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝(兼ハンガリー国王)皇后
【血縁】
父:マクシミリアン /バイエルン公
母:ルドヴィカ /バイエルン王女
夫:フランツ・ヨーゼフ1世(オ=ハプ)/
:オーストリア皇帝(在位:1848 - 1916)
:ハンガリー国王
>>>ハプスブルク家最後の皇帝
*(父)フランツ・カール大公/オーストリア大公
(母)ゾフィー・フォン・バイエルン / バイエルン王女
:オーストリア大公妃
>>>ナポレオン1世と親密な仲
子:ルドルフ /→(自殺)
:オーストリア皇帝皇太子
【特徴】
[シシィ]の愛称で知られる
姉の婚約者だったフランツ・ヨーゼフは母ゾフィーの命令に背いて愛らしいエリザベート[シシィ]に求婚し、夫となる。
歴代のどの王族の女性の中でも一二を争う完璧な美女。
完璧なスタイルを保つために、様々な運動をし、気絶するほどまで歩いたこともある
美容に没頭し、長い黒髪は毎日3時間かけて手入れした
【血みどろエピソード】
>>>episode1 壮絶な嫁姑戦争
ハプスブルク家の中心人物になっていたゾフィー大公妃は
「ハプスブルク家唯一の“男“」
と言わしめ、名門ハプスブルク家に嫁いできたもの同士、
オシャレや遊びを優先させるエリザベートを許しては置かなかった。
>>>episode2 若さを失ったエリザベート
美容に熱中していたエリザベートにも「老い」という荒波が押し寄せる。
写真が普及した時代、パパラッチが撮った写真には顔を扇子で隠す姿も残っている。
若きエリザベートは美貌が故に沢山の写真を撮られた。本人もまんざらではなかったでしょう。
しかし、「老いた」エリザベートは人前に顔を晒すことを極端に嫌がるようになった。(この美貌だけに、美しさは残っていただろうに)
>>>episode3 後継の息子の自殺
ハプスブルク=ロートリンゲン家の世継ぎとして期待されたルドルフ。
母からの愛に飢え、父とも政治理念の相違で激しく対立する。
孤立していったルドルフは男爵令嬢マリー・フォン・ヴェッツェラとマイヤーリンクの狩猟館でピストル心中をした(マイヤーリンク事件)。
エリザベートはこの後、死ぬまで喪服を着て過ごした。
>>>episode4 エリザベート暗殺
61歳のエリザベートが蒸気船に乗るために歩いていると向かいから歩いてくる男がぶつかってきた。
エリザベートはすぐに立ち上がり乗船したが間も無く
「胸が苦しい」とつぶやいて倒れた。コルセットから出る血を見た女官たちは慌てて船を引き返してホテルに向かったが、一時間後に息を引き取った。
犯人の男はイタリアのアナーキストで、すぐに逮捕されたものの
他の王族を狙っていたが、たまたま近くにいたエリザベートに標的を変えたのだという。
「王族なら誰でもよかった・・・」
細い錐状のヤスリで心臓をひと突きで彼女の人生は終わった。
【絵画】
28歳、女盛りの華やかな笑みをこぼすエリザベート。
さすが、美容に生きプロポーション維持に時間をかけてきた王妃の、地位(世継ぎを産んだ)と名誉(美の力)を勝ち得た彼女の自信が、ありありと見える立ち姿です。
しかし、その「眼」は空虚にも見える。
これを前にしたフランツ・ヨーゼフは
「王妃の誠の姿を捉えたのはこれが初めてだ」
と言ったそう。
背景の淀みは、“一家“や“子育て“から「自分の世界」に逃げ込んだエリザベートの悲しい末路と暗い孤独が絵に滲み出ていたのでしょうか。
第12章 エドゥアール・マネ 『マクシミリアンの処刑』
【人物】
マクシミリアーノ1世(=マクシミリアン)(オ=ハプ)(1832 - 1867)
ハプスブルク=ロートリンゲン家
:メキシコ皇帝(在位:1864 - 1867)
【血縁】
父:フランツ・カール大公 (オ=ハプ)/オーストリア大公
*(父)フランツ2世(=フランツ1世)(姉)マリー・ルイーズ
母:ゾフィー・フォン・バイエルン / バイエルン王女
:オーストリア大公妃
>>>ナポレオン1世と親密な仲
兄:フランツ・ヨーゼフ1世(オ=ハプ)
:オーストリア皇帝(在位:1848- 1916)
:ハンガリー国王
>>>ハプスブルク家最後の皇帝
妻:シャルロッテ /ベルギー王女
>>>イギリスのヴィクトリア女王とアルバート公夫妻のいとこ
*(父)レオポルド1世(母)ルイーズ=マリー・ドルレアン
【特徴】
世継ぎの兄フランツ・ヨーゼフに嫉妬し無冠のままの野心家のマクシミリアンは不満を抱いていた
妻シャルロッテも野心家で夫の地位を上げるよう働きかける
ゾフィー大公妃とナポレオン2世の子供と陰で噂された
【血みどろエピソード】
>>>episode1 兄に呆れられる
自由主義者たちへ共感を寄せたとして兄フランツ・ヨーゼフの怒りを買い、
居場所をなくしていた。
>>>episode2 ナポレオン3世のに騙された
ナポレオン3世から「メキシコ皇帝にならないか」と誘いを受ける。
(当時のメキシコは内戦中。イギリスやスペインが撤退し、フランスだけが残り、保守派に付いていた)
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[家族の反対]
母)ゾフィ → ナポレオン3世を信用しておらず大反対
兄)フランツ・ヨーゼフ →宿敵フランスに手を貸すなと反対
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[無視してメキシコ皇帝就任]
念願の『皇帝』の名を手にした
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[ナポレオン3世の裏切り]
初めから裏切るつもりだったナポレオン3世は現地の兵を少しばかり残してあっさりと、帰還してしまう。
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[敗戦し銃殺される]
フランス軍の後ろ盾のない、“オーストリアからきた皇帝“に権限などない。
共和派に捕らえられ、銃殺された。
母ゾフィーの見る目は確かだった。
【絵画】
この本には、「マクシミリアンの処刑直前の写真」が掲載されています。
ー マクシミリアンと側近2人が間を開けて横一列に並んでいる。
ー 手前に20人くらいの軍人が銃を構えている。
ー その後ろには野次馬なのか関係者なのかが押し寄せている。
正直、ゾクッとした。緊迫感と悲惨さが伝わる怖い写真です。
マネの絵を見てみると
ー 右端でよそ見をしている(弾を込めているらしい)のがナポレオン3世ー 側近の二人と共に銃殺されるマクシミリアン。
しかし、側近の顔ときたら“聞きたくもない校長の話をただボーッと聞いている学生のような表情に見えます。
◆まとめ
《ハプスブルグ家》の一族の歴史を『絵画』を通して見ると
より分かりやすく、理解が進みました。
肖像画に描かれている真実と描かれなかった真実。
その絵が描かれた政治的背景。
プロパガンダとして自分をどう見せたかったのかを考えながら見るのはとても楽しかったです。
ハプスブルク一族の650年の歴史には、「煌めく栄光」と「強烈な野心」を持って良くも悪くも、歴史を突き進んだ強靭、奇人がいたのだと言う事。
往々にして、暗く陰気で奇妙な一族というものはホラー映画のような異様な魅力を醸し出し「怖さに覆われた面白さ」に惹きつけられる。
今回、私はこの魅力にどっぷりと浸かり、この本を2回連続で読んでしまいました。
おかげで、他のヨーロッパの歴史の理解にも大いに役立ってくれました。
やはり、早めに《ハプスブルク家》について理解すべきだったと心底思います。
とても読みやすく、面白い内容が満載の
「名画で読み解くハプスブルク家12の物語」
をぜひ読んでみてください。
*ハプスブルク家の歴史をざっと知るにはコチラがオススメ