おかもち

東大生。アメブロでも書いたりしてます。 https://ameblo.jp/kaimo…

おかもち

東大生。アメブロでも書いたりしてます。 https://ameblo.jp/kaimochihisemu

最近の記事

3月11日。

2022年3月11日。東日本大震災から11年が経過するとともに、東電福島第一原発事故(以下、福島原発事故と表記)が11年目に突入する年でもあります。 というわけで、最近(1年前ですが)読んだ原発についての良書が指摘する論点について軽く紹介します。参照する文献は、 ピーター・ヴァン・ネス (2019)  "フクシマの教訓 9つのなぜ" 〈ピーター・ヴァン・ネス, メル・ガートフ編著 (生田目学文訳)『フクシマの教訓 東アジアにおける原子力の行方』, 論創社〉 pp. 343

    • 優生思想の矛盾。

      少し思ったことを簡単にまとめてみる。そのうち手直しするかもしれませんが、とりあえずの形で公開します。 参考に。 https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r170/r170_glossary.html * * * 「人間として生きること」の基準を、一定程度の労働生産性や知的能力を有しているかどうかというところに求めるような優生思想は、端的に論理的に破綻している。 仮に一定程度の労働生産性や知的能力を有してい

      • 現在の社会を見つめて。

        ※本ブログの内容は2021年5月にアメブロに投稿した記事の内容をすこーしだけいじったものです。とはいえ社会状況とそれをめぐる政府の対応としてはほとんど何も変わっていないので記事の内容もそれなりに妥当するのではないかなあと思います。まあ気楽に読んでいただけると幸いです。 * * * はじめにこんにちは。 最近はもっぱら大学の授業の課題をこなしつつ卒論をどう書こうかと悩みながら自分が研究してみたい分野の勉強を進めつつ就職活動もしなければなあと企業の情報を漁ったり公務員試験に

        • 大学で学ぶということについて。

          大学での学び(とその成果)を可視化することはそもそも可能であるのか、そうだとしてそれをすることにどのような意義があるのかというのは、難しい問いだと思います。  学習者自身の「能力」それ自体は可視化できないため、それを測定・評価するにあたっては、なんらかのデータ(数値)で代替して表現されることになります。それは一方で本来的に測定し得ない各人の「能力」を標準化され均質化された指標の上にのせることで、すなわち誰もを単一の評価軸(の集合)にのせる形で比較可能にすることで、個人の集合

          優れていることと優れていると思っていること。

          私は「自分が優れている」と思えないし思わないようにしています。これは(私の場合は絶対的なものという感覚がありますが)特に誰かと比べて、という相対的な意味で優れていると思わないようにしているということを主眼に置いた表現です。 仮に「自分が他の誰かと比べて優れている」ということが自分だけに当てはまるとすると、自分より優れた人は誰もいなくなってしまうわけですが、そのような存在は神様仏様といった超越者しかありえません。しかし私は人間ですから、したがって「自分が他の誰かと比べて優れて

          優れていることと優れていると思っていること。

          「愛知の聖火リレーで男性限定区間」という報道について。

          2021/4/7初稿。 権利とか平等の問題が、「くだらない」とか「いい加減あきれた」という言葉で片付けられてしまわないように、上で挙げた記事で取り上げられている問題が実際には男女差別と根っこの部分でしっかりと繋がっている問題であることについて検討(というか、もはや検討するまでもないくらい明らかな事実についての確認)をしようと思います。 早速、上で挙げた記事から一部抜粋。 「女人禁制に詳しい鈴木正崇・慶応大名誉教授(文化人類学)は『祭りに使う舟は神様を迎え祭るためのもので

          「愛知の聖火リレーで男性限定区間」という報道について。

          信頼の基盤。

          あらゆる契約や社会関係を含め、人間関係を成立させる「相互承認」や「信頼」という関係が、それ自体何によって成り立っているのかを考えるときに、まず自分が「個人として尊重される」存在であると自分で認めることができることがあるように思います。 それは単に「私だけが尊重されるべきなのだ」という利己主義的な感覚ではなく、「すべて国民は、個人として尊重される」と日本国憲法がいうときの個人主義に立脚した尊重の形です[1][2]。 この日本国憲法第13条の規定を前提としたうえで、自分が「個

          信頼の基盤。

          原子力発電のこれからについてなど。

          (作成日:2021/3/11) 2021年3月11日。東日本大震災から10年が経過するとともに、東電福島第一原発事故(以下、福島原発事故と表記)が10年目に突入する年でもあります。 というわけで、最近読んだ原発についての良書の論点について軽く紹介。参照する資料は、 ピーター・ヴァン・ネス, メル・ガートフ編著 (生田目学文訳)『フクシマの教訓 東アジアにおける原子力の行方』, 論創社. です。同書の参照する章では他の章の論考をまとめると同時に、福島原発事故が提起した原

          原子力発電のこれからについてなど。

          森氏の差別的発言について。(続)

          前回の記事はこちら。 というわけで、続きです。以下のトピックについて少し検討したいと思います。 1) 数(機会)の平等はとても大事 2) 誰が言った言わないではなくこのような差別的な発言が公的な場において引き出されてしまうような状況そのものが問題 3) 発言を撤回すると言ったからといって責任が消えるわけではないこと * * * 1) 数(機会)の平等はとても大事 よく考えれば当たり前の話ですが、本当にジェンダーに関する社会的な差別が全くないのであれば、どんな会合の

          森氏の差別的発言について。(続)

          森氏の差別的発言について。

          こちらの記事に全文が上がっていますが、一応以下に記しておきます。 「【3日のJOC臨時評議員会での森会長の女性を巡る発言】これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは文科省がうるさくいうんですね。だけど女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言いますが、ラグビー協会は今までの倍時間がかる。女性がなんと10人くらいいるのか今、5人か、10人に見えた(笑いが起きる)5人います。女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。誰

          森氏の差別的発言について。

          「選択的夫婦別姓」制度について思うこと。

          ※この記事はアメブロに投稿した記事をまとめ直して多少手を加えたものになります。 1. 前置き こんにちは。早速ですが本題に入ります。 ※「選択的夫婦別姓」制度導入の議論が生じた背景についてはこちらを参照のこと。 まず大前提として、「選択的夫婦別姓」(以下の議論では便宜的に「氏」ではなく「姓」という言葉を使用します)という言葉を「夫婦別姓」と言い換えて議論をするということが、全く誤った解釈に基づいたものであって、議論を成り立たせないようにしてしまうということがわかるでし

          「選択的夫婦別姓」制度について思うこと。

          驚異の部屋

          おはようございます。 ひさしぶりにブログを書いています。なんかめんどくさくなってしまったり忙しかったりで全然書いてませんでした。 さて、今回は私の愛読していたあるマンガの最終巻が発売され、無事に手に入れて読み終えることができたので、その作品との思い出を語っていこうと思います。 そのマンガというのが、『C.M.B. 新羅博物館の事件目録』(作:加藤元浩、講談社刊)です。 簡単な内容紹介をしておくと、主人公の榊 森羅(さかき しんら、上記写真の金髪の子)が、もう一人の主人

          驚異の部屋

          自信の話。

          作成年月日:2020/8/24 久しぶりにブログを書きます。私がブログを書くのは基本的に得体の知れない悩みが悶々としているときに自分の思考を言語化して、「ああ、この時はこんなことを考えていたんだな〜」と振り返れるようにするためです。今回もそんな感じです。 早速ですが、私は恐ろしく自己肯定感が低いです。自分のことは顔は醜悪だし、性格もひどく歪んでいるし、親しい仲の友人も交際相手もいない、ゴミ以下の存在としか思えません。(でもこういうことを人前で言うと余計に気持ち悪がられるの

          自信の話。

          「気にする自由」、「気にしない自由」。

          作成年月日:2020/8/1 新型コロナウイルスに関する様々な事物について、「気にする」のも「気にしない」のも各人の自由だと思います。 たった一つの「正解」なんてなくて、ある事物を重視すれば、それによって不利益を被る他の事物が存在します。逆も然りです。 しかしそれは、そうして軽視された一方の事物を貶め、蔑み、差別していい理由にはなりません。 「(コロナ禍を)気にする自由」を持った人が「気にしない自由」を持った人を攻撃することが許されるわけではありません。もちろん、「気

          「気にする自由」、「気にしない自由」。

          お先真っ暗、つまらない人生

          作成年月日:2020/7/28 誰かとお出かけするのって基本的に疲れるので、どこか遠出する時は基本的に1人です。 そっちの方が自分の好きなところに好きなだけいられるメリットもありますしね(もちろん多人数で出かけることのメリットもありますが)。 で、今日(と言うより昨日)はひさーーーしぶりに1人でちょっと遠出した訳ですが、なんでかずーーーっと「勉強しなきゃ」という焦燥感と「早く帰らなきゃ」という使命感、、、とでも言うであろう感情が心のどこかに引っかかった状態でした。 コ

          お先真っ暗、つまらない人生

          男?女?それとも「わたし」?(その2)

          作成年月日:2020/7/13 前回の最後で「男女平等」の概念の限界、すなわち、セクシュアル・マイノリティの人々を度外視してしまうことについて述べ、その克服には「平等」と「自由」というふたつの概念をセットで考えなければいけないということを伝えました。 実はこの「平等の限界性」についての考えは大学1年の半ばくらいには頭にあったのですが、うまい言葉が見つからず、言語化するのに悩んでいました。 そうした時、「平等」と「自由」をセットで考える、という方法を本で見つけたのが今年で

          男?女?それとも「わたし」?(その2)