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2010年 転職漂流記 その6(最終話)

前回のお話はこちら。

波乱に満ちた2010年。

そんな感じで、波乱に満ちた2010年が終わりました。本当に過酷で辛いことばかりでしたが、体を壊して病気にならなかったことだけが唯一の救いでした。とはいうものの、2012年の春に顔面神経麻痺で左半分顔がまったく動かなくなり、治るまで一年近くかかりました。我慢や無理をしちゃいけないってことです。

W社の上司Oさんからリストラ通告を受けたとき、

「あぁ、これも人生の大切なレッスンなんだ」
「自分にはヨガがあるから大丈夫」

という、間違ったポジティヴ思考になっていたので、本当は怒りや悔しさがあり、理不尽だと思っていたにも関わらず、一切の抗議も反論もせずにすんなり受け入れてしまいました。Y社の社長から責任転嫁されたときも一切抗議をしませんでした。それは解雇されるのが怖いからということからでした。いずれにせよ自分の怒りや悔しさ、不満や不安をすべてないものとして扱っていたせいです。

怒りたいときには怒って、悔しいときは悔しさを味わって、そのとききちんと感情を吐き出すことは、本当に大切だと痛感しました。自分の感情を置き去りにしないこと。そうすれば、顔面神経麻痺も起こらなかったと思うのです。

マナカード業へのシフト。

そういえば、Z社の契約終了が告げられてしばらくしたとき、Z社のチームの面々と雑談をしながら、マナカードというものを勉強していると言ったところ、ぜひやって欲しいと言われて、空いている時間を使ってひとりひとり簡単なリーディングをすることになりました。

使っていない会議室に次々と社員の人たちが来て、リーディングをしていたのですが、そんなものに興味がなさそうな営業の男性までやって来ました。話を聞いたら意外と悩みを抱えていたので、それを解決するための糸口をお伝えしました。マナカードのレッスンもまだ3回しか受けていなかったので、テキストブックを見ながらのリーディングはとても拙いものでしたが、それでも全員喜んでくれていました。

「自分は世の中から必要とされてないんじゃないか」

そう思うことがとても多くなり、Y社の冷遇によって自己承認や自己肯定ができない状態になっていましたが、噂を聞きつけたZ社の人たちが僕のリーディングを求めて、続々と会議室にやって来てくれるのを見ていたら、ちょっとずつ自分の内側から回復していく兆しが見えてきたように思えました。

2010年の12月でZ社の契約が終了して、また無職の状態に戻りました。契約終了が告げられてすぐにエージェントに連絡して、新しく案件を探してもらうようお願いをしましたが、相変わらず何も見つかりません。その一方で、友達や知人からマナカードリーディングの依頼を引き続きもらっていたので、それをやりながら過ごしていました。

そんなとき2011年3月11日に東日本大震災が起こりました。実はこの日、知人からリーディングの依頼をもらっていて、夕方前に待ち合わせをしていたのですが、テレビをつけたらそれどころではないということで中止にしました。

震災のひと月後、Twitter経由で茨城の水戸にある大きなカフェで、リーディングをしませんかという依頼をオーナーからもらいました。来ているお客さんをひとり10分でリーディングしていくというもの。もちろん、お金をいただいてのリーディングです。

初めての水戸。とてつもなく広々とした店内で余震が続く中、オーナーがテーブルを回りながら、リーディングの予約を取ってくれていて、次々といろんな方をリーディングをしました。気づいたら、一晩で20人ちょっとの人たちとお話ししていました。震災がきっかけで不安になっている人もいれば、日常で抱えた問題や悩みを吐き出す人もいましたが、僕のリーディングで伝えた言葉が心の復興になっていたようです。そして僕自身も人をリーディングすることによって、少しずつ自分が復興していくのを感じていました。

その一方で、エージェントに連絡をして案件を探してもらっていたものの、相変わらず何も見つかりません。引き続き並行して自分で探しても、一切見つかりません。なので、Twitterやブログでマナカードリーディングのセッションの告知をしてみたところ、意外とオファーをいただいたので、次第にそちらへと自然とシフトしていきました。

2012年には伊豆諸島の新島にある小さな宿で、セッションをやりませんかとお声がけがあり、初めて新島を訪れました。新島では60分のセッションで島民や宿泊客をリーディングして、たくさんの人とお話ししながら心のバランスを整えました。ちょうど顔面神経麻痺を起こしていた頃だったので、僕にとっての療養のような滞在にもなりました。

その後、京都でたびたびセッションやワークショップを開催したり、宮城の松島の素敵な宿から呼ばれてセッションをしたり、気づいたらいろんな場所に出向いてました。伊勢神宮を訪れていたときには、Twitterを見た人が突然連絡をくれて、伊勢でセッションなんてこともありました。ちょっとずつだけど、自分の働く場所ができ上っていったように思えました。

まさかの再会。

2010年はとてつもなく苦い経験ばかりでしたし、人生の底辺をひたすら歩くような日々でしたが、その経験が自分を成長させてくれたと思うし、自分の豊かさを育むきっかけになったと今は思います。これは綺麗事ではなくて、本当に心の底からそう思っています。

マナカード業がメインになって何年か過ぎたあるとき、代官山の蔦屋書店をフラフラしていたら、遠くの本棚の前に見覚えのあるシルエットが見えました。長身でスラッとした体型と短い髪のスーツ姿の男性。「え?まさか?」と思って近づくと、W社で上司だったOさんでした。とっさに声をかけました。

「まさかこんなところで再会するなんて!」と、驚くOさん。お茶をすることになりました。Oさんとは一緒にしていた頃も呑みやランチ、お茶すらしたことが一度もなかったので、そんなのは初めてのことでした。

その後どうしているのかを聞かれて、転職が大変だったこととマナカードのことをザックリと話しました。OさんはまだW社に勤めていましたが、もう辞めようと思っていると言ってました。その日はクライアントへの打ち合わせの帰りで、欲しい本を見に蔦屋書店に寄ったのだそうです。

OさんはリストラでW社を離れた僕のことを心配してくれていたそうですが、今の僕が会社で働いているよりも生き生きとしているのを見て、とても安心していたようです。

30分くらい他愛ない話をした後、「また機会があったら会いましょう」と言って握手をして別れました。

実はもうひとつ、驚く再会がありました。

ある日、地下鉄に乗っていたところ、ふたつ隣のドアのところに立っているスーツ姿の男性が、やたらとこちらを見ていることに気づきました。誰だろうと思ってよく見てみたら、X社の営業担当の上司だったおじさんでした。こういう引きの強さが自分にあることを改めて実感しました。

僕はただただ驚いて呆然としていたのですが、神妙でありながらも、ちょっとだけ微笑むような柔らかい表情で僕のことを見つめながら、営業担当の上司がゆっくりと深々と会釈しました。本当にスローモーションのような時間でした。

X社が打ち切りの最終日。打ち切りのことやそれを直接伝えなかったことを、心から詫びるかのような会釈に感じました。それを見たとき、ほんの少しだけ気持ちが救われたように思いました。まぁこれは、あくまでも僕の勝手な憶測ですが。

僕は歩み寄ることなくその場で会釈を返した後、次の駅で下車して、マナカードの個人セッションの待ち合わせ場所へと向かいました。

<おしまい>

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Naoya
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