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モノノ怪がもっと面白くなる!心理学的観点から考察1「海坊主」捨てた己の闇が他人の姿で現出する・・これぞモノノ怪。

今回は題名の通りです。心理学観点から見たモノノ怪が唸るほどヤバいんです!知ればモノノ怪がさらに、死ぬほど面白くなる!モノノ怪を見たら心の闇の仕組みが分かる!それほどの深さがあります。さっそく解説していきます。

※TVシリーズモノノ怪も見てストーリーを把握している方向けで、人物説明は省略しています!見てない方で面白そうと思ったら、マジで不朽の名作なのでTVシリーズモノノ怪も是非見てほしいです。きっと沼りますから・・

「何を、捨てた!」 劇場版モノノ怪 八卦の「坤」の剣を持つ薬売りさん

『何を、捨てた!』‥【影】と【投影】‥自分の捨てた影の自分自身が、捨てたそのままの姿で自分に復讐しにくる!これこそモノノ怪。


坤の薬売りさんが劇場の万人に問いかける「何を、捨てた!」 これが、合成の誤謬と併せて、劇場版モノノ怪のテーマになってますね。

17年の時を経てなお色褪せない平成の神アニメ TV版モノノ怪 八卦の『離』の剣を持つ薬売りさん

TVシリーズモノノ怪 海坊主では こんな名セリフが。

憎しと思う事。悔しと思う事。決して許せぬと思う事。

それは何だ、と己が己に問えば、それは底なしの海に身を投げるも同じ。
果てなしの海に船出するも同じ。

決して見てはならぬ。決して考えてはならぬ。

暗き海、己が内にありながら、決して覗いてはならぬ場所。

モノノ怪 『海坊主』より

1、影 とは・・・形を得ていないモノノ怪

私たちは誰でも、自分では決して見たくない、認めたくない心の暗闇を持っています。それを、そのものずばり、「影(シャドー)」と言います。”己が内にある暗き海” です。

シャドー / shadow / 影:心の暗闇、闇の部分。私たちが 自分自身から 隠し、見ないよう拒絶し、認めない、そして他者に投影している 自らの暗い側面。

by カール・ユング
源慧と身を分かち、海を彷徨っていた、強大な影。「真は、あなただ!」

そう、離の薬売りさんが言う通り、心の暗闇、暗き海は「自分の内側にあり、決して覗いてはならぬ場所」で、

何故、決して覗いてはならないのか、というと、良い人でいたい / 美しい自分でいたい。なのに、こんな欠点がある / こんな醜い心がある などとは到底 受け入れられない、

そして、なぜ良い人でいたい、美しい自分でありたいかというと、愛されたい。認められたい。必要とされたいから・・それなのに、こんな自分では、愛されない、認められない、必要とされなくなってしまう・・・・

己が内にある暗き海。それは覗いたら混乱するし、どう対処していいかまるで分からない。見てしまったら絶望するからです。

だから、自分の心の奥底にしまい込んで最初からなかった事とし、忘れ去るしか手がなくなる。人にバレたくないホンネの思いや自分の欠点、恥と思う部分は全部 自分の影、と言ってもいいかもしれません。

とても直視などできない、自分でも到底 認められないような醜い心は、深い井戸の如き見えない無意識の領域に沈められ、自覚すらされていない場合が大部分です。

自分の身代わりに妹が閉じ込められた うつろ船が あやかしの海の底から引き揚げられる!

己が内にある広大な暗き海・・劇場版モノノ怪では体制を揺るがしかねないものを大井戸の底に捨て・・捨てたくなくても、捨てるしかなかった。

決して覗いてはならぬ場所、それは、TVアニメシリーズ海坊主の中では、お庸さんが自分(源慧)の代わりに人身御供として うつろ船に入ると言った時の、高僧であるはずの源慧の、エグい、身もフタもない本心でした・・

「出世してぇんだよ。いい生活して。死ぬ為なんかじゃねーや。助かったー!こいつぁバカじゃねーのか?お願い?なんだ金か?ねーぞ、そんなもん」(この時の源慧の顔は作中で一番ひどい・・)

源慧どの、その右目は、どうされた?

源慧は、こんな己の心を打ち消すように修行に明け暮れ、けれども自分の片目は自分を監視し続け、うつろ船の彷徨う龍の三角、あやかしの海へ自ら羅針盤を操作し、流されていく・・

ずっと、見ていたのだな・・

2、投影 とは・・形を得たモノノ怪

しかし、です。劇場版モノノ怪のように大井戸の底、つまり、深い無意識の底に封印し忘れ去っていても、消えた、なくなった、ああよかった・・という事にはならない。忘れ去っただけで、決して無くなってはいない。

必ず、封印した自分・・無きものとした、捨ててしまった己の影は、「私を見て!思い出して!」と言わんばかりに何度でも繰り返しやって来ます。そして、多くの場合、自分が捨てたそのままの姿で現れてきます。(後述 例1)

劇場版では、麦谷の手毬や淡島の万華鏡、北川の人形など、井戸の底に捨てたはずの物たちが象徴として繰り返し現れる様が描かれていました。

3、感情はセンサー・・天秤の役目

では、どんな形で、なきものとした己の影=モノノ怪が現れるかというと、感情を通してです。イラつき、怒り、もやもや、ざわつき、etc(後述 例2)

通常は『怒って然るべきな事を相手が起こした、だから、私は怒っている』と、とらえますが、

もう一つの見方は、捨てた己の影、なき者とされた己の半身が、無意識下で(ここにいるよ。私を見て!と)騒いでいる ので 感情が出た、と見ます。

感情は、モノノ怪で言うと 天秤 です。モノノ怪=捨ててしまった自分の影 が ”他人の姿をしてそこにいる”よ、と指し示し、教えてくれている。

モノノ怪との距離を正確に教えてくれる天秤ちゃん・・賢い~かわいい~ほしぃです

感情は、天秤に匹敵する優秀なセンサーです。(少々、厄介ですがね・・)

そして、他人の姿を通して封印した自分が現れる時、それを「投影」と言います。私たちの対人関係の悩みの正体は実はほぼ、これかもしれません。。必要なのは 闇を見る勇気 のみ。

例1) 恋人を他の女に奪われたAさん。その女は多少はかわいいかもしれないが、甘ったれで 、(言葉は悪いが) 頭の足りない、自分と正反対のタイプ。(元)恋人は君にはない部分に惹かれた、と言う・・

Aさんの苦しみは如何ばかりかと察するが、一番きつかったのは「絶対に私はこういう女になりたくない」、最も毛嫌いしているタイプの女だったということ。「こういう女になりたくない」女が自分より恋人に愛され、恋人の心を奪っていった・・

絶対に認めたくないが、自分だけは、本当は、心の奥底では知ってる・・あの女は、幼少期、親の期待に応えるために努力する前の本当のわたしの姿だということを・・

あの女は、素のままでは親に愛されないダメなわたし、別人格になるほどに努力する前の、甘ったれの、頭の足りない、かわいい、ダメな、私の本当の姿そのままだということを・・多大なる努力の末になき者として封印した自分が、捨てたそのままの姿で自分に復讐しにくる。

(恋愛 とある実例 体験談)

例2)甘えるな!と言われて育ったBさん。本当は甘えたかったけれど泣くと逆にもっと叱られるので我慢し、忘れようとした事も忘れて大人になった。親の期待に応えて今ではしっかり者になれたと思う。

何故か、甘えている人間を見ると無性に気に障る。それが職場であろうと、漫画の登場人物であろうと。今日は普段から無性に気に障る部下のⅭさんが失敗したので叱責した。そして思う、「甘えるな!」と。

周りも全員、そう思ってるはずと思いきや、そうでもない?ような・・自分のイラつき度と周囲のⅭさんへの評判には温度差があるというのは自覚していた。

幼い頃Bさんが「あるべきではなかった私」「甘えていたら親に愛されない私になってしまうから、がんばってしっかりした自分になろう」として無理やり封じ込めた本当の自分 が 影のように揺らぎ出てⅭさんに投影されている。(Ⅽさんが仮に首になったとしてもまた別の同じタイプの人が現れる。)

(誰にでも起こりうる、仕事あるある)

例2の場合、Cさんに原因があり、Bさんがそれを叱るのは当然ですよね。Bさんには、Cさんのその甘ったれな性格が今回の失敗の大きな要因に思えていて、余計に胸糞悪くなる。

しかし、ちょっと見方を変えてみると、

決して認めたくはないがCさんの姿は本当は私の隠れたホンネなんじゃないか。幼い頃「親にもっと認めてほしい。その為に、甘える私は消えろ!!」とばかりに無きものとした、素のままの私の姿なんじゃないか。。

「Cさんは・・・・わたし!!(悲鳴)」そうBさんが気づいた時から、Cさんが職場を去るか、Cさんが変わるんです・・指一本動かすことなく。

これが ↓ ↓ 薬売りさんの名セリフ、

源慧どのに問う!モノノ怪を斬るということは、源慧どのの心を斬るということ。

二つに分かたれた心をひとつとし あなたが最初からなかったものとした あなたの本心を心へ戻すこととなる

それでも良いかと 問う!

モノノ怪 「海坊主」より

「二つに分かれた心をひとつとし、”(他人の姿をして現れていた)最初からなかったものとしたあなたの本心“ を 心へ戻すことになる」です! 

他人の姿をして現れていた自分(モノノ怪)を斬る。

元の居場所である 自分の心へと、分かたれてしまっていた自分を戻す為に・・・

それでも良いかと、問う!

4、統合 とは・・二つに分かたれた、なかったものとした本心を自分の心へ戻すこと


イラつくという感情のセンサーは天秤で、モノノ怪を指し示し、

天秤が指し示した先のイラつくCさんは、幼い頃に封じ込めて無きものとしたBさんの影がCさんに投影された姿であり、「捨ててしまったあなたを思い出して!」と他人の姿をして現れるモノノ怪、

「甘えた私などあってはならない!そんな私では親に愛されない」として切り捨ててきたCさんに投影した自分の半身を「あれが私・・・モノノ怪は・・私!!」と気づくことにより、

自分の心から分かたれて あやかしの海を彷徨っていた己を斬って、元の住処である自分の心に戻す。

戻すとは、気づく、認める、という事。言うほど、簡単では、ありませんがね。薬売りさんたちも、モノノ怪に対峙して流血沙汰になりますから。

自分の心から分かたれて 龍の三角を彷徨っていたもうひとりのわたし、本心

海坊主 では、退魔の剣で祓われた後、源慧が、きれいな顔になっていましたね。

例2 で言えば、モノノ怪が現れる必要がなくなった = 祓われた = Cさんが変わるか、Cさんが職場から去る事になる

という仕組みです。影の統合 です。

ほんとは、きれいな顔をしていたんだね。なんだか、笑っているみたい・・

薬売りさんたちはそれぞれの八卦の剣を持っていますが、
陰陽八卦が一振り、なんですよね。

ゆえにこの剣、陰陽八卦が一振り、坤の剣がある。 我ら六十四卦が携えし蒐我の業物!

つまり、陰陽そろっての太極図が本来の姿であったはずが、闇として嫌われがちな陰極がなきものとされて元の場所を離れて彷徨い、あるべき場所でない所(他人を通して)で出現してしまったのを、斬って、本来の場所(自分の内側)に戻す、ということ。


太極

薬売りさん達は、陰極がさまよい出てしまって(=モノノ怪の形)、太極の形が崩れたところへ現れ、真と理を明らかにした上で、退魔の剣で斬って、元の陰極の住処へ戻し、太極の姿に戻す というお仕事をされているんだなーと思います。

つまり、蒐我の峰から 太極の形が乱れたところの現(うつし)世に派遣され、太極の元の形に戻す・・

すると祓われて、本来の居場所でない所でモノノ怪として彷徨い出てしまっていた怪異がおさまる、という構図です。

劇場やアニメの中だけでなく、実際に現実を変えてしまう手法が、これほどまでに鮮やかに、深い、魅力的な物語としてそっくりそのまま描かれているということが今さらながら驚きです!

心理学では割と知られた方法ですが、体験した方であれば、これは実際に起こり得る・起こった事だと分かると思います。私自身も体験していますし。

その現象の変わりようは、、それは見事です。( 本当に源慧の顔くらいかわっちゃう 笑) まるで本当に退魔の剣で斬って祓われて紙吹雪、のような・・ハイパーさん/神儀さんの技のごときに思える程です。

心の闇を見ていくと、モノノ怪にたどり着き、モノノ怪のあるところ、退魔の剣を携えた薬売りさんが現れ、形、真、理を明らかにした上で、剣を、解き、放つ!

トキハナツ!!

陰極=己の隠し続けた半身 の方だけでなく、陽極の現れもそうです。本当は 誰もが薬売りさんとハイパーさん/神儀さんを内在しているんだと思います。だから、この物語を目にしているわけです。

苦しい側面だけではなく、惹かれる側面、これも、投影ですから。

総じて、モノノ怪は "言い得て妙" 具合が、ドンピシャすぎる。心理学を学びたい? ? ならば、モノノ怪を見たら一発。ですよ。と言いたい。


それほどに、アニメ版、劇場版、ともに モノノ怪には心理学のエッセンスが見事に表現されています。中村監督、何者なんでしょうか。。


最後にちょっとお気に入りを・・この器が妙に可愛くてツボです 笑

べーって薬剤が流れる器。か、かわええ・・好き・・

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