「革新」の渇望 若き日のパブロ・ピカソ#1
キュビスムの生みの親。
天才。恋多き人生。
パブロ・ピカソ。
彼の若かりし頃の人生は、革新への渇望と言っても過言ではないでしょう。
スペインでの葛藤
最終学歴は中学校のはずです。中学校も卒業ギリギリでした。
画家だったお父さんの協力もあって、バルセロナやマドリードの有名な美術学校に入ります。(当時:14歳)
彼はあっという間に古典の技術を自分のものにしてしまい、「科学と慈愛」という絵で賞をとります。
そして、「もう古典は十分だ!僕は新しいものが描きたい!」となり、高校を中退してしまいます。(当時:16歳)
若さがほとばしっていますね!
時代は明けて、1900年!
友人のカサヘマスと18歳のときに一緒にパリへ行くことになります。
芸術の最先端・フランス
フランスも、古典の脱却に苦心しました。
古典って、こういうのです。
迫力があって、美しいですよね。
こういう絵が描かれるようになったのは、イタリアのルネッサンス後です。ルネッサンス以前の1423年の絵はこんな感じでした。(La Présentation au Temple)
これも素敵なんですけどね。。。ルネッサンスが凄すぎたって話です。
レオナルド・ダ・ヴィンチなどのお陰で、構図の取り方から陰の付け方まで、大躍進です。
その古典を超えるためには、多くの画家の並外れた努力が必要でした。
たとえば、、、
考えてばかりいないで、今を感じよう!!みたいな試み。(下の絵は1830年:ドラクロワ)
これで聖書や神話の題材だけでなく、色々なニュースが絵になりました。
カッコつけなくていいから、あるがままを!!
都会ばかりの絵じゃなくて、田舎の絵も!!
など、、、色々な着眼点を試していたのがフランス芸術でした。(下の絵は、1855年:ユエ)
そしてついに、1872年!大転換期を迎えます。
印象派の誕生です!!
バーン!
もう色彩から何から何まで全然違いますね!!
印象派の誕生から約30年。時代もまた革新を求めていました。
ピカソは覚えたてのフランス語で、画家たちと熱く語り合います。
ピカソとカサヘマスにとって、パリで始まった日々は夢にまでみた熱狂の世界でした。
突然の衝撃
そんな日々を過ごしていると、カサヘマスが絵のモデルだった女性に恋をしました。
パブロも「彼女はいいね!頑張れカサヘマス!」などと応援したことでしょう。
全然違う性格同士でしたが、仲の良い二人でした。
しかし、カサヘマスは失恋をしてしまいます。
色々と励ましたが、結局カサヘマスは突然自殺してしまいました。
パブロ19歳の時です。
青の時代
1901年~1904年の時代の絵の事です。
パブロはカサヘマスの死後、青を基調とした絵ばかりを描くようになります。
友人たちが売ったらどうかと言いましたが、彼はこの時代の絵を売ることを拒みました。(お金が無かったのに)
それほど、自分の筆に閉じこもっていた時代だと言えます。
とは言え、色彩豊かな印象派の絵が席巻する時代に、この青で貫かれた暗い絵は、皮肉なことにカサヘマスと共に求めた革新的な絵でした。
しばらくして、この青の時代は終わり、彼は新しい色・形に果敢に挑戦していくことになります。
その切っ掛けとなるのが、フェルナンド。
恋多きの人生における、一人目の女性です。
(続きは#2にて)