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シエナ(イタリア・トスカーナ地方)<旅日記第54回 Nov.1995>
イタリア・トスカーナ地方のシエナは、ペルージャのアッシジとは反対方向だがフィレンツェからローカル列車に乗って日帰り旅を楽しめる古くて小さな町だ。ピサの斜塔のあるピサへもついでに足を延ばそう。
「ここは、都市国家か」と想像たくましく。
アッシジに出掛けた翌日、フィレンツェを朝の8時25分に出て、10時5分に到着する汽車に乗ったことを手帳に記している。シエナはアッシジに負けず劣らず魅力的で、同じくらい有名そうだが、同じではない。もう、アッシジときたら、まるで大和の国の明日香村あたりを歩いているくらい牧歌的で土の香りの乾いた薄茶色い風景の中にモスグリーンのオリーブ畑が点在していて心なごんだ。
それと比べ、シエナは「ここは都市国家なんだなあ」とつくづくと思ったものだ。おそらく、シエナのライバルはペルージャ地方のアッシジではなく、同じトスカーナ地方のフィレンツェだったのではないか。政治や経済上の覇権を争った歴史があるのではないか。ここには、フィレンツェのメディチ家と同じような豪商(ブルジョアジー)の存在があったはずだなどと、想像をたくましくしている。
シエナの街の中心は、石畳の街中を駈け抜ける勇壮な競馬見物で世界的なニュースになるカンポ広場だ。広場の周囲には、12~13世紀にフィレンツェと覇権を争うくらい経済力を持った中世都市が、そのまんま、美しい姿でとどまっている。建物も道も明るい色調のシルバーグレーな石で統一され洗練されているところが、造形美として絵にはなった。大聖堂の塔を入れた写真を撮ろうと、何カットもシャッターを切った。
けれど、あんまり、趣味ではなくて
ただ、わたしは、造形美を写真に収める趣味はあまりなく、人間臭さを求めるところがある。野良着で街に人のいるアッシジのオリーブ農家の人たちの素朴な印象を前日に見たばかりで、キレイすぎる街に長居してくつろぐ気にはなれなかった。あまった時間で、ピサの斜塔ぐらい見ておこうと、駅に向かった。
また、失敗やらかした!
しかし、またしても失敗した!
早めにこの街を切り上げてローカル列車に乗ったのはよいが、動き出してから気づいた。
反対方向に向かって走っている。
同じ失敗はドイツのデュッセルドルフからケルンに行こうとしてやっている。今回は人と待ち合わせていないのが救いだ。けれど、これではとんでもないところに行っているうちに夕方だな。なぜだかヨーロッパでは、ホームに到着している列車がどっち向いて走っていくのか、なぜか心もとないところがあった。まあ、ヨーロッパ中の主要都市をつないでいる国際列車でないからよいが・・・・。
イタリア・トスカーナの中世都市のシエナは人口5~6万人の街で、トスカーナ地方では十分に“都会”ではあるが、ドイツの大都会デュッセルドルフとはくらべものにはならない。三重県レベルでにたとえると、玉城町(伊勢へのゲートウエイにあたる小さな城下町。織田信長が関税を撤廃するまで、旅人は関所で通行税を支払った。朝日新聞の創業者・村山龍平の出身地)のようなシエナから目的地とは反対方向に乗って行けばどんな街に着くことやら?降りた駅から折り返しの汽車が来るまでには2時間はかかる。
ひとけもない、駅から見える道路脇に止められたポンコツのクルマには落ち葉が降り積もっている。街歩きして楽しそうなところのない住宅地だ。駅のホームでひたすらぼんやりと過ごした。駅にはだあれもいない。なあんにもない。これはピサへ行ったらもう真っ暗になってしまうと諦め、汽車が来たらまっすぐフィレンツェに帰ろう。
美しくて小さな田舎も魅力的だが、暗い晩秋の夜はさびしかった。
おお、フィレンツェ!
フィレンツェには、美しい造形美も、人々も、“いたぁ~りあん”なざわめきも、それに、小さくて大衆的でおいしい食堂もある。人々の笑い声も聞こえてくる。人のいる場が都市の中に存在する都市。
フィレンツェ万歳!
(1995年11月21日)
てらこや新聞143-144号 2017年 05月 01日