海住恒幸

1958年10月18日、三重県一志郡美杉村生まれ。松阪市在住。元新聞記者。記者時代、地…

海住恒幸

1958年10月18日、三重県一志郡美杉村生まれ。松阪市在住。元新聞記者。記者時代、地方自治や地方政治を中心に取材。名古屋空港を担当した30代なかば、学生時代に描いた世界への夢が再燃し、新聞社を退社。半年かけて、地球ぐるり1周する旅に。2003年から松阪市議会議員。現在、65歳

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  • 旅日記1995

    三重県松阪市にある「寺子屋かめい」さんという塾が発行しているニュースレター『てらこや新聞』に寄稿し連載していただいた記事を中心に、旅のエッセーを載せていきます。1995年から96年にかけて歩いたアジア、ヨーロッパ、アメリカで感じたことを15年以上たってから振り返った内容です。

  • カメラと私

  • 迷っTabi 困っTabi よかTabi 南フランス編

    海外旅が大好きだが道に迷ってばかりの筆者の体験談。写真も載せていきます。

  • 迷っTabi 困っTabi よかTabi バルセロナ編

    南フランスの旅の続編です。

最近の記事

本を書くぞ!

本を書こうと、2018年(平成30年)まで3万字を越える原稿を書いたまま棚ざらしにしていましたが、なんとかこれを完成させようと作業を再開することにしました。 サポート期間が過ぎ、もう使わなくなった古い古いWindowsのパソコンから、最近のMacBookAirにテキストや画像データを移し替え、スタートアップの態勢がととのいました。 本のタイトルは、いくつか候補があって、その一つは、『市長、あなたは、議会にいてはダメです。~目からウロコの自治体議会論~』です。 別に特定の

    • 杉田敏さんの『やさしいビジネス英語』

      きょう(3月18日)の朝日新聞夕刊に、少し切なくも懐かしい話が1面のアタマに載っていた。 ゼッタイにやさしくはなかった、NHKラジオの語学番組『やさしいビジネス英語』(現・「実践ビジネス英語」)の講師、杉田敏さんが番組を降りられるという。 わたしは、1988年ごろから90年代にかけて、この番組にかじりついて聴こうとした。 1987年に始まった番組ということだからほんとうに初期のほうだったんだ。 毎月発行される300円ぐらいのテキストを毎号買い、テキストは読まずにストーリ

      • アビーロード ロンドン(イギリス)② <旅日記第59回 Dec.1995>

         ロンドンは寒かった。けれど、そこは、笑顔、驚き、ため息とさまざまな感情を見せる表情いっぱいの人間的な都会だった。 アビーロードの横断歩道 ザ・ビートルズの名アルバム「アビーロード」のジャケットの写真の横断歩道を探し、写真に撮っていると、クルマで通り掛かった若い男性が窓を開け、「何撮っているんだよ。ハハハハ」と声に出し、笑顔を向けてきた。「わかっている、わかっている、ソレ、撮りたいんだよな」とでも言いたそうだった。のちにニューヨークの街角では「お前、何撮っているんだよ。そん

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          ロンドン(イギリス)① <旅日記第58回 Dec.1995>

           初めてのヨーロッパだったとはいえ、フランス鉄道の大ストライキだったとはいえ、12月のロンドンには来るべきでなかった。  イタリアから長距離バスを乗り継いでも南フランスからスペインに渡るのが正解だったろう。 夜明けが遅く、日暮れは早い。雨が多い。暗かった。 ロンドンに来てしばらく過ごすようになってから後悔が始まった。凍えるほどの寒さではないにせよ、日中が暗い。午前9時前にならないと夜が明けないばかりか、午後の2時半になるともう夕方のように日が落ちてくる。白昼でも白く凍った

          ロンドン(イギリス)① <旅日記第58回 Dec.1995>

          アムステルダム(オランダ)で考えたこと アムステルダム(オランダ)~アントワープ、ブルージュ(ベルギー)~ロンドン(イギリス)の道すがら ② <第57回旅日記Nov & Dec 1995>

           “道すがら”とは書いたものの、鉄道や船があるから思いのまま、思いつくまま、移動のできる大移動だ。ひとっくくりにしたのは、記憶の断片はあるけれど、物語として紡いでいく記憶はない。  どこへ行っても平らなところは厭! どこへ行っても平らな郊外を近距離(東京から埼玉や横浜より遠くへ行く感じ。そう、成田まで各駅停車で行く感じに似ている!)の列車に、緊張感もなく乗っていると、アントワープとかブルージュに着く。  季節さえ春とか初夏であれば、街や家々を美しい花が彩り、街角のカフェで

          アムステルダム(オランダ)で考えたこと アムステルダム(オランダ)~アントワープ、ブルージュ(ベルギー)~ロンドン(イギリス)の道すがら ② <第57回旅日記Nov & Dec 1995>

          アムステルダムで考えたこと アムステルダム(オランダ)~アントワープ、ブルージュ(ベルギー)~ロンドン(イギリス)の道すがら ① <旅日記第56回 Nov.1995>

           12月(1995年)になろうとしている。ヨーロッパの旅が終わりに近づいてきた。1月にはロンドンからアメリカ東部のボストンに飛び、あとは大陸を西へ西へと進み、西海岸のシアトルから帰国することになる。 寒いが仕方ない。先にイギリスに行っておこう。  さてと、11月初めのドイツ北部の寒さに恐れをなして南に待避するようにイタリアに向かい、イタリアからは南フランスを通り抜けスペインに行こうとしたところで、フランス国営鉄道のストライキに出くわしてしまった。 フランスはヨーロッパの中で

          アムステルダムで考えたこと アムステルダム(オランダ)~アントワープ、ブルージュ(ベルギー)~ロンドン(イギリス)の道すがら ① <旅日記第56回 Nov.1995>

          ちょっと生まれ故郷へ

           きょう(1月14日)は、旅は旅でもクルマで三重県中央部の山の中へーー。  ちょっとわけあって、生まれ故郷の三重県一志郡美杉村=現在は津市美杉町)に行ってきました。上の写真は、村内では鉄道の街として栄えたJR名松線の終着・伊勢奥津(おきつ)駅前。伊勢本街道沿いの昭和レトロな街並みが保存されている地区です。  ここには数年前まで造り酒屋(蔵元)もあったし、往時には、宿屋や食堂、銀行、味噌・醤油屋さんなど、まあ一揃いあったようです。  私が生まれ育ったのはここからさらに山を

          ちょっと生まれ故郷へ

          ベニス・ミラノ(イタリア)からアムステルダム(オランダ)へ <旅日記第55回Nov.1995>

           1月の阪神大震災、3月の地下鉄サリン事件が続き、日本の「安定」をぐらつかせる契機となった1995年も晩秋を迎えている。  秋の入り口のほうではチェコのユースホステルのロビーにあったテレビで、ユニフォームの袖に「がんばろうkobe」のロゴを入れたイチローら神戸オリックスの戦士たちがリーグ優勝に歓喜する姿を見た。  「頑張れば復活することができる。まだまだ日本は大丈夫である」。と、だれもが信じていた。  当時、独身で30代半ばだったわたしは、かねてよりの海外への夢を実現さ

          ベニス・ミラノ(イタリア)からアムステルダム(オランダ)へ <旅日記第55回Nov.1995>

          シエナ(イタリア・トスカーナ地方)<旅日記第54回 Nov.1995>

           イタリア・トスカーナ地方のシエナは、ペルージャのアッシジとは反対方向だがフィレンツェからローカル列車に乗って日帰り旅を楽しめる古くて小さな町だ。ピサの斜塔のあるピサへもついでに足を延ばそう。 「ここは、都市国家か」と想像たくましく。  アッシジに出掛けた翌日、フィレンツェを朝の8時25分に出て、10時5分に到着する汽車に乗ったことを手帳に記している。シエナはアッシジに負けず劣らず魅力的で、同じくらい有名そうだが、同じではない。もう、アッシジときたら、まるで大和の国の明日

          シエナ(イタリア・トスカーナ地方)<旅日記第54回 Nov.1995>

          東京と江戸のあいだ。そして、熊野と伊勢も。<旅日記1995・番外新春編>

          松阪市の御城番長屋 20代をバブル期に過ごしたわたしたち世代1980年代のバブルの時代を20代で過ごしたわたしたちの世代でも、お正月だけは日本で過ごしたいという人が意外と多かった。   12月25日のクリスマスを境目に、街の音楽、風景ともクリスマス狂想曲からがらりと歳末景色に一転。その喧噪は「ゴーン」という鐘とともに琴の響きとなり、「迎春」の赤い文字に彩られた紙がお店のシャッターに貼られ街は静まり返る。このドラマチックな変化を味わい、家族、親せき同士過ごすなごみの時間

          東京と江戸のあいだ。そして、熊野と伊勢も。<旅日記1995・番外新春編>

          12月26日で満1年

           あれからもう1年か。今年はとにかく早かった。  昨年の12月26日、わたしは25年ぶりにヨーロッパに出掛けた。ニースとアヴィニヨンを中心とした南フランスと、スペインのバルセロナに行く旅だ。12月26日に出国して、1月7日帰国だから、一般の海外旅行と比べると少し長めだ。旅しているあいだは気にかけずに済んだが、帰国してからは新型コロナウイルスの感染拡大で普通に海外に出られる状態ではなくなった。南フランスのイタリア国境の町から見たイタリア北部はコロナで大変なことになった。わたし

          12月26日で満1年

          アッシジ(イタリア・ペルージャ近郊)<旅日記第53回 Nov.1995>

          街に着いてからそのことに気づいた。 中学生のころに観た名作映画「ブラザー・サンシスター・ムーン」(1972年公開)の主人公・聖フランチェスコが暮らした町だ。 駅舎から向こうに見える丘がアッシジの町 イタリア中部ペルージャ近郊のアッシジ。駅に降りると、5キロぐらい向こうに見える丘が、その町だ。駅からバスに乗って、坂をぐるぐる回って、上って、上って。丘のてっぺんのところで下車すると、世界遺産のフランチェスコの聖堂や修道院のある町を一番うまく表現できるかと思い、丘の上の町をさ

          アッシジ(イタリア・ペルージャ近郊)<旅日記第53回 Nov.1995>

          フィレンツェ(イタリア)<旅日記第52回 Nov.1995>

           1995年8月31日付で退社した新聞社の社員手帳「’95読売手帳」は、退社翌日の9月1日に成田を飛び立ったあともメモ用に使い続けていた。11月19日(日曜日)のページには、「午前8時ナポリ発、午前10時5分ローマ経由 午前11時58分フィレンツェ着」と書いている。  2時間ごとに主要都市があるイタリアイタリア南部の中心都市ナポリから、近世にルネサンス文化が花開いたフィレンツェまでは遠くないと記憶しているのに、実際は4時間近くも、特急列車に乗っていたわけだが、2時間おきとい

          フィレンツェ(イタリア)<旅日記第52回 Nov.1995>

          ポンペイ(イタリア)<旅日記第51回 Nov.1995>

           ヨーロッパをめぐるのに4か月間と、たっぷりと時間のある旅だった。  それがかえって、あっちに行こうか、あそこはやめておこうかなどと現地であれこれ取捨選択をすることにけっこうムダなエネルギーと時間を使ってしまうことがあった。 羅針盤のない一人旅で知らない国に入るときは、まずはその国の首都から入り、ちょっとはその国の“仕組み”に慣れておいてから興味のある地方に出向く。  この旅のイタリアでは、ドイツのケルンから夜行でローマに入り、その南のナポリへと向かった。  最近、イ

          ポンペイ(イタリア)<旅日記第51回 Nov.1995>

          ナポリ人有情 ナポリ(2)(イタリア)<旅日記第50回 Nov.1995>

           街の中心に近い場所で、開けっぴろげの大衆食堂を見つけた。  まだ時間が早かったせいか、がらんと広い店内はガラガラ。長方形の加工板に鉄の脚の付いたテーブルがいくつか置いてある。ナポリタンというわけではないが、スパゲティを注文した。  食べ始めると、厨房から、右手にフォーク、左手にスプーンを持った親父さんがわたしのほうにすっ飛んできた。 大衆食堂のおやじにスパゲティの食べ方教わる 「いいか、こうやって食べるんだ」。  スパゲティの食べ方を教えに来てくれたのだ。  わた

          ナポリ人有情 ナポリ(2)(イタリア)<旅日記第50回 Nov.1995>