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ことばの遠足のしおり
2/25-27に、徳島県神山町で「ことばの遠足」をひらきます。
あらためて「ことばの遠足」ってなに?ということを、時間の許すかぎり、綴ってみたいと思います。
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今朝、離島の内見を申し込みさせていただいた。きっかけは、きのうのパフェにある。
パフェを食べながら、4月以降の話をする。自治体の仕事をさせていただくことも多く、年度末の3月が、ほんとうの年末になる。「アイスクリーム屋さんしたいんだよね」「やっちゃえばいいじゃん」ということばが、隣から聞こえてきた。
2023年の冬、7年ぶりの一人暮らしを満喫していたわたしは、毎晩アイスクリームをつくっていた。柿とライムのアイスとか、レモンミルクとか、にんじんと島胡椒とか。2024年秋に立ち上がった編集チームのみんなと話しはじめたのもそのころで「手を動かす仕事がしたい」と話していたのを思い出した。なぜか、そういう話をするときは、きまって横ならびだ。
一人の人間がものかきとして書ける分量は決まっていて、わたしの場合、せいぜい年間50本。技術的にはまだまだ書けるけれど、感情が追いつかなくなる。一本が5000文字として、250,000文字だ。これは仕事かどうかにかかわらず、自分が書けることばの球数。
インタビューをもとにことばを書くことが多い。時間はだいたい90分。30,000-50,000文字の話しことばを、3,000-5,000文字の書きことばに精製する行程は、びんづめのジャムづくりと似ている。
ふたを開けると素材の香りが広がってフレッシュなおいしさを味わえるもの。1年くらい、ちびちび舐めたいもの。火入れをせずに瓶内発酵をすすめ、2年後にちょうどおいしくなるように。それぞれの素材にあわせて、つくっていく。
一瓶だけ頼まれることも、10、20種類とつくることもある。(さらに煮詰めて、10文字のことばにすると、コピーができあがる。)
だけども、ジャムってだいたい食べ残る。処分するようにヨーグルトにまぜて食べたり、だんだん変色して、発酵というよりは腐敗のほうへ向かって、最後は捨ててしまうことだってある。わたしは、それなりにジャムをつくるのがうまい。仕事の入口は「ジャムをつくって」が多いけれど、青果をいっしょに売ったほうがいい場合もある。だから、そのときどきで関わりかたは変わる。
えっと、もし、わたしの人生というものがあるとしたら、それはことばのために使いたいと思っている。見たこと触れたこと聞いたこと食べたことすべてがことばになる。たとえば破顔ということばがある。顔が破けるってすごいことばだ。きっと何十年も何百年も前、その瞬間を忘れたくなくて、感情に名前をつけたんだ、って想像してみる。ことばはびんづめにされて、金田一京助がきっと「これは大事な名前だね」って拾い集めて、辞書に載って、そうやってことばは旅をしてきた。名付け親たちの名前はもう誰も覚えていないけれど、瞬間はことばになって、みんなが使うようになって、旅を続けている。
それからもう一つ。許されるのなら、ことばの遠足は、日ごろがちがちの文書やミーティングをしている人にも届いてほしい。ことばの凝りは、そのまま社会の硬直や家庭の凝り、一人の生きかたの凝りにつながっているから。自治体の方や福祉法人の方と仕事をさせていただくと、仕様書や利用申込書のことばがほんとうにかたくて(誤読を生まないための最善の策だとは承知している)、人間が凝ってしまうんじゃないかなあとおもう。
ふう、こうしてことばを出してみる(書いてみる/話してみる)と、たくさんのことが見えてきます。そこからはじめるのはどうでしょうか。
そうそう、離島の内見を申し込みさせていただいたのは、すごくストレートに「ジャムをつくってみようかな」と思ったからです。なんだか楽しそうでしょ。