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アーニャがね、よく言うんですよ。危ない目に遭っても、ははが助けてくれるから大丈夫だって。あの子が笑顔ではしゃいでいられるのは、ヨルさんが安全基地になっているから31
「なぜ自分が人よりも強く生まれたのか、わかりますか?」
「弱き人を助けるためです。生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は、その力を世のため人のために使わねばなりません。天から賜りし力で人を傷つけること、私腹を肥やすことは許されません。弱き人を助けることは、強く生まれた者の責務です。責任を持って果たさなければならない使命なのです。決して忘れることのなきように。」
「私は、もう長く生きられません。強く優しい子の母になれて幸せでした。あとは頼みます。」
「母上、俺の方こそ、貴方のような人に生んでもらって光栄だった。」
『鬼滅の刃』煉獄杏寿郎の母の言葉と、己の責務を全うした煉獄杏寿郎の言葉です。
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私は、上記の母の言葉は、呪いであると考えています。
勿論、素晴らしい話である事は百も承知ですが、弱い者を助ける事・責務を全うする事という呪いにより、煉獄は命を落としたのではないかと感じています。
呪いとは悪いもののように思われていますが、寧ろ、悪意のある呪いの方が、わかりやすく対処がしやすいものです。
その人の為を思ってこそ伝える善意の呪いの方が、数倍もその人を苦しめる事は、よく起こります。
「鬼になれ。杏寿郎。」
猗窩座の言葉通り、私は煉獄に鬼になってでもいいから、生きてほしかったです。
死んだら何もなりませんが、鬼になっても、生きてさえいれば、禰豆子のように人を救う鬼になれたかもしれません。
私達は、子どもの頃から、親を尊敬し、その言葉に従う、否、現代においては尊重するべきであると教えられてきました。
多くの子どもは、親を人生の指針とし、その期待に応えようと懸命に努力をします。
しかし、皮肉な事に、親の期待に応えようとすればするほど、子どもの人生は、悪い方向に進みます。
親は、尊敬すべき人なのでしょうか?
そんな事は、ないはずです。
♦尊敬出来る人もいれば、尊敬出来ない人もいる
私は、1度は、親を否定するべきであると考えています。
1度否定をした上で、親でなかったとしても、尊敬が出来るのか、このように考える時間が、子どもには必要です。
子育て程、難しく、自分を犠牲にしなければならない事は、ありません。
出掛けようとしても着替えに30分も掛かり、食事中に遊びだし、家に帰ってまずやる事は子どもが散らかした物の片づけだったりします。
大変さの種類こそ違えど、人生において、子育てが、1番ハードであると表現する事が出来るでしょう。
その上、どんな親も、初めて子育てをするのです。
上手く出来ないのは、当然です。
人は、失敗をしながら、学んでいきます。
つまり、子育ては、失敗の連続なのです。
さらに、子育てに、そもそも正解がない事が、子育ての厄介な所です。
幼稚園受験・小学校受験等の受験の低年齢化も、視点を変えれば、親が学校というブランドに頼っているだけであると捉える事も出来ます。
親の言葉に従うとは、起業した事のない人に起業を、経営が傾いている会社の社長に経営を学ぶようなものです。
それにも関わらず、日本社会においては、いまだに「親は尊敬するもの」という呪いが、続いています。
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