
コミュニケーションへの渇望は携帯電話の進化によって救われた。独りぼっちは嫌なのだ。
人生の半分は携帯電話と一緒に生きてきた。
宇多田ヒカルの都会的な音楽と共にFOMAが颯爽と登場した20年前。
新し物好きだった当時の僕はP2101Vという機種を買ったが、周りは誰も買わなかったので、結局TV電話を使った回数は片手で数えられる位だ。
その後の時代にskypeとかが出てきたけれど、一般的にはめんどくさそうという印象を払拭するには至っていなかったし、そもそも回線も遅かった。
感染症対策という外乱のおかげとはいえ、世界中でこんなにも普遍的にTV電話のようなものが行われるようになるとは当時の自分に言っても信じてもらえないと思うし、今でもちょっと信じられないくらいだ。
その前の、初めてのケータイはストレート型のP209iだった。
着信音を変えたければ、自分で音階を手入力しなければならなかったし、その楽譜にあたる番号が記載された着メロ本などというものが売られていた。
女性たちの間ではおびただしい量のストラップや小さなアクセサリの巨大な塊をぶら下げることがクールであるとされていたし、誰もが電波を受信すると光るアンテナに替えていて、他人の携帯に近づいたりするとつられて光ったりしていた。液晶はモノクロで、もちろんカメラなどついていない。
あんなインタフェイスで何千通ものメールをチャットのように送りあって、僕達は思春期の多感な時期に音声だけでなく文章でのリアルタイムコミュニケーションを学び始めた。もちろん厳密にはリアルタイムではないので、何度も何度もセンター問い合わせボタンを押した。
この脳はその頃に、全く新しい回路を形成し始めたはずだ。
━
目の前で起きたことをだれかに共有しようにも、J-phoneの写メールと違ってドコモはしばらく経ってもアップローダへのリンクをいちいち踏んでいたと記憶している。
当時の僕らは2ちゃんねるでも画像へのリンクを貼ったり踏んだりしていたので抵抗はなかったが、直接添付できるようになってからも数十KBに圧縮する必要があったり何かと面倒だったのは確かだ。
だから韓国製のいちチャットツールでしかなかったはずのLINEがいまや通信のデファクトスタンダードとしての位置を確立してキャリアも機種も関係無しにどんなに大きな写真すらも易々と圧縮して何十枚と一気に送りあえる現代は、本当に良い時代になったと思う。
デジタルカメラは別に持ち歩くのが普通だったし、なにかイベントごとに人へ渡す為だけにUSBメモリーカードやCD-Rを焼いたりしていた時代があった。写真と電話はまだ独立していた。
━
記憶している最後の「過去」
iphoneキラーとして登場しながらマルチタッチができなかったり、頻繁にメモリの開放を行わなければいけなかったり、よくフリーズしたりして逆にキルされていた2010年の初代Xperiaが僕の最初のスマートフォンだった。
AndroidはOSとしてはいまやワールドワイドで70%以上のシェアで、iOSのほうが少数派になっている。驚くべきことにいつのまにかマジョリティになってしまっていた。本当に、いつのまにか。
不便さと引き換えになんとなくマイナな機種を使っているという優越感も得られたこのOSも最近は特に変なところもなく本当に驚くほど普通になった。
普通に使えて、普通に人と繋がることができる。
20年前には想像もしなかったレベルで。
━
もう人生の半分以上、当然のように片時も離れずに自分の傍にある携帯電話は定期的に更新されて、新しい機能も丸ごとすぐに身体の一部になってしまうから、不便だった時代をふと忘れてしまいそうになる。
その頃に僕らは、今ない機能をどうして補っていたのだろうね。
携帯電話が生まれなければ、僕らは何時までも深津絵里や牧瀬里穂のように誰かを待ち続けていたかもしれない。
物事にひどくノスタルジィを感じやすく、古いものほど良いというような悪い感覚に支配されている僕だけど、携帯電話の進化に関しては今が最高で明日はもっと最高だと希望を持っている。
僕達はいつだって、出来るだけ早く、正確に、簡単に誰かのそばにいたかったし、いてほしかった。
でもそれは叶わないから、せめてテクノロジィの力で僕達を助けてほしい。
音だけでも、画像だけでも、文章だけでも構わないから
誰かの近くにいたい。
独りぼっちはいやなのだ。
携帯電話が発明されて本当に良かった。
これからも、よろしく頼むよ。
本当に感謝してる。