その「幸せ」などというものはゴールではなく、ただ一瞬の状態でしかない事も知ってますよね。
希望がない、未来が無い、救いがない、そんな世界にも小さな幸せはある。(かもしれない)
但し、その代償は破滅か死。
残念でした。どこでボタンを掛け違えたんだろう。
でももう遅い。何をする時間もない。
まあ、さようなら。
虚無。
みたいな話が好きですね。
映画や小説。
ただ、この最後の「まあ、さようなら」をやるのはなかなか容易ではないんですよね。
手の付けようのないくらいに絡まってしまっていたはずの糸をほどく方法がなぜか見つかったり、見えざる神の手によって問題が解決したり、何とかしてハッピーエンドにもって行こうとする悪魔がいるんですよ。
それは作者の良心だったり、プロデューサやスポンサの商売っ気だったりするんですけど。
そういうときに、今まで見てきた不幸がただの前振りに墜ちて、一気に冷めるんですよね。ご都合主義だなーって。
まあ別にフィクションが必ずしもリアルである必要はないですし、ある種のカタルシスは振り幅の大きさに比例するのはわかります。
でも例えば主人公が突然空を飛んだり、犬が喋ったりしないで欲しいのと同じで、やっぱり何かを得た代償は破滅か死であって欲しいんですよね。
逃げ切った先に必ず待つ死。
危ない橋を渡り切った先にある死。
救われず。報われず。
あなたの努力はすべて、完全な無駄でした。
これが良いんですよ。
医療モノのドラマを見て冷める医者と同じで、そこまで引っ掻き回して、平穏や安定など得られるわけがないとかそう簡単に幸せなんて得られるわけがないって思っちゃうんです。
それに、その「幸せ」などというものはゴールではなく、ただ一瞬の状態でしかない事も知ってますよね。
この世にハッピーエンドは無い事も知ってますよね。
子供だましの幸せが見たいんだったら平日の夜九時のTVドラマかアンパンマンでも見ますって。
もうそんなのでは癒せないんですよ。
別に癒しを求めてるわけではないですが。
でも今日もまた、今日という日が昇るのです。
まあ、さようなら。
虚無。