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  • 「EJ」に関する作業記録

    かなり私的な作業についての作業記録帳とする予定です。

  • 有象無象の日

最近の記事

残穢

近所のスーパーに買物に出かけたら、社宅の近くの土地が売りに出ていました。建物が取り払われてしばらく、もうすぐ11月だというのに、雑草がボーボーと生い茂っています。 以前は確か、古い木造の平屋の家が建っていました。取り壊している最中には井戸があったのも見かけました。丸いコンクリートの厚い蓋がされていたので、モーターで組み上げて使っていたのか、それとも放棄されていたのか。 井戸があったあたりの叢を目で探ってみたけれど、井戸らしいものは見あたりませんでした。埋められてしまったの

    • Zotero 7ではZotfileプラグインが機能しない様子。ちょっと困っています...

      • 40年前に買った本を読み直しました

        社宅の書籍を、もう間もなく訪れる転居に向けて、少しずつ整理しているのですが、40年前に買った増谷文雄先生の『釈尊のさとり』という本が出てきたので、読み直してみました。 80歳を越えた碩学が平易に釈尊のさとりの瞬間を語る講演の記録です。 短いけれども、とても面白く、かつ、あらためて仏教の真理が如何に近づきがたいものかも認識させてもらいました。 現代人にとっては、釈尊のさとりは、「言葉の上」だけからならば「理解」することがそれほど困難なことではないように思います。「単なる」因

        • 『老後に楽しみをとっておくバカ』という本の紹介記事に触発されて感じました

          「いちいち人の評価を気にしないこと」等と、くよくよ考え込むタイプの人に声をかけるシーンをドラマなどで観るような気がするけれども、そのせいか、そんなことを実際に人にも口にしたこともあるような覚えもあるけれども、それ以上に、折々に今もなお、自分自身にそう言い聞かせたりしているようなきもするけれど。 それは、折々に任される業務に、おそらくは必要以上に精密や正確を期そうとして、でもそれは結局のところ自分がどのように他人から見られるのかを気にしてであって、業務そのものへの思い入れではな

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        記事

          行ってみたい場所のこと

          このところ、かなり昔に、2、3の知人が同時期に口にしていたある場所か建物のことが、どういうわけか意識の中に浮かび始めました。 けれども、その場所の名前が思い出せない。 音のイントネーションは思い出せるのです、「フンニャーフニャフニャフニャフニャラ」という感じ、でも、具体的な語が浮かばない。 何か、ひっくり返るようなイメージ、「驚天動地」みたいな音の響き、それは思い浮かぶのですが、「驚天動地」とか「ひっくり返る」とかを検索しても、その言葉の意味の解説みたいなものしか出てこなく

          行ってみたい場所のこと

          加齢は「ながら」も難しくさせるのかしら、でも加齢のせいじゃないのかな...

          MacとiPhoneユーザーなので、Apple Musicを使っています。 LPを買って、洋版ならばライナーノーツと歌詞の翻訳に、日本語ユーザーのアーティストならば歌詞カードに、なけなしのお小遣いで買ったLPをかけながら、見入っていたのは、中学生の頃です。 でも、LPを買うような好きなアーティストを見つけるきっかけは、大体ラジオでした。なにかしながらかけていたラジオに、ふと惹きつけられる、そんなきっかけでそのアーティストさんのことが気になり始め、そうすると、そのアーティス

          加齢は「ながら」も難しくさせるのかしら、でも加齢のせいじゃないのかな...

          定年退職後の就職のために勉強します

          来る定年退職後の就職口としては、自分は何の資格も持っていないし、何のキャリアも積んでいないしで、皆目検討もつかないのですが、手探りというか悪あがきというか、最近は、「Windows」を使うようにし始めてみました。 退職後の就職口として、そうした「スキル」が求められるような職につけるとも、余り思っていませんが、それにしても自分の場合は、MacとGoogle Workspaceで仕事をしているので、最近のWindowsもWordもExcelも、Powerpointも知りません。

          定年退職後の就職のために勉強します

          恩師の死に際して

          自分には恩師と呼びたい人が何人かいます。 なかでもM先生は、大学時代の論文執筆の指導をしていただいた先生でした。 M先生が亡くなったのはもう随分前のことです。四半世紀以上前になるでしょうか。 入院されていた頃にはかなり認知症も進んでいて、面会にいった「弟子」たちを誰も認識できないような状態でした。 けれども、病床で対面させていただいた際の会話は、あいかわらずのM先生で、こちらのことを誰かとは識別できずとも、仰言ることは変わらぬ知性に彩られていました。 そのM先生が亡くな

          恩師の死に際して

          リビングにダンゴムシ

          映画『兎の眼』で、小学生のてっつんはハエを飼っています。担任の小谷先生はそれをやめさせようとしますが、てっつんのおじいさんは、もしも鉄三が田舎の子だったらかぶとむしなんかを育てているだろうけれども、鉄三はゴミ処理場の子供、まわりにはハエくらいしかいないんだ、鉄三はただ、自分の身近の虫を育てているだけなのだ、と小谷先生に言います。てっつんはおじいさんと二人暮らしです。小谷先生は、そのおじいさんの言葉を噛みしめます。 子供の頃は、結構誰でも虫なんて平気だったのに、いつのまにか虫

          リビングにダンゴムシ

          Pythonを勉強しています...

          文系教員ですが、昨今のご時世でいろいろ「IT」系の書籍も読まなければならなくなります。 そんな中で、オライリーという出版社の本はとても信頼できるな、と思います。(ただ、この出版社が発行している書籍はしばしば、英文であればネットで閲覧することが出来るので、その部分もまた凄い、と思う一方で、英語が苦手な僕は日本語訳を待ったり、翻訳サービスの無料枠で、パラグラフごとに訳して読まなければならなくて、残念な思いをしていますが。) 僕は長年Rのユーザーなので、Wickhamさんの『R

          Pythonを勉強しています...

          小学校の頃に苦手だったこと

          「九九」を無理やり覚えさせるという僕の小学生の頃の教育方法を、今の自分は否定しません。 それどころか、小学生の頃に「有無を言わせず」覚えさせる事が必要なこともあるのかと思います。 それが体の中に入っていることが、中学生・高校生になって基本的な素養として、あらためてそれをその時の自分の価値観によって勝ち付けるための、文化として伝承されてきた素材として重要だと思います。 例えば宮沢賢治の「雨ニモマケズ」、あるいは谷川俊太郎の「かっぱ」でも。なんでも良いんです、暗誦できるもの

          小学校の頃に苦手だったこと

          AIの文体

          自分の職場でもこのところ、「ChatGPT」というのが、時々、他人の口の端に登るようになってきました。 もちろん僕も、ChatGPTなどと言うものは、ついこの間まで知らなかったのですが、この2月頃(2023年の)でしょうか、偶然知ることになり、2月・3月はChatGPTのサイトの「Try ChatGPT」というボタンから表示されるページを、4月からの仕事の準備にかなり使わせてもらいました。 同じ頃に、無料でも使える高精度の(Google翻訳と比べて、ですが)訳文を示してく

          AIの文体

          発見する体験を人間から奪うのは、まずいと思います

          尋ねると答えてくれるサイトというのがたくさんあるようですね。 Yahoo知恵袋でもいいし、最近だとQuoraとかでしょうか、どれがいつ頃立ち上がったのか知りませんが。 Qiitaあたりは、自分の知見を共有する、ということに重点を置いているので、ちょっと違うのかな、とも思います。 この2月から今(新学期開始直前)にかけて、新年度の授業準備には、chatGPTをかなり使わせていただきました。 時間が無いと、従来のキーワード検索でヒットしたページを精査しながら自分に必要な情

          発見する体験を人間から奪うのは、まずいと思います

          年賀状じまい、始めてみました

          検索してみて「年賀状じまい」という概念があるのに驚きました。 仕事上で関わっている10代後半から20代前半の若い人に尋ねてみると、年賀状なんて、誰も出していない、というのことに、これもまた驚くのですが、少なくとも今10代後半から20代前半の人たちにとっては、既に年賀状というものは存在していないわけで、「年賀状じまい」をするのは、もっと上の世代、例えば僕のように60代の世代に特化したことなのだなあ、と思います。 実は僕は、年賀状というものが好きではありませんでした。 若い頃

          年賀状じまい、始めてみました

          2022年度、読書記録

          年末なので、今年読んだ本を振り返ってみました。 「もしも今の仕事がなければ読まなかったはずの本」(要するに仕事のために仕方なく読んだ本、ということです。昔は仕事のために読んだ本でも「面白い」と思えたことも多かったのですが、最近は、そうした本を読む時間は、「今、自分が読みたい本を読む時間を奪われている」という感じばかりが募ります、老い先の短さを感じると、自分が読みたいと思う本だけを読みたいです)というを除いてみると、100冊にも至りませんでした。 今年は、『ミステリと言う勿

          2022年度、読書記録

          やめられない贅沢もある......それを贅沢と呼ぶのであれば......タマゴの話

          お給料が減ったり、老後の心配がリアルになったりするにつけ、日々の購入品を少しでも安いものに切り替えるようにしてきています。ビールを発泡酒にして、発泡酒を「第3のビール」にして、それもやめてとりあえずアルコール入ってます、みたいなのに変えて、というような話です。 あれが自分の一番贅沢できた時期だったのかなぁなんて思い返すと、正直言って結構大したことなくて、当時はこの先はきっともっと良くなる、なんて、何の根拠もなく信じ込まされていたことを疑うこともせず−−−きっと疑うことは大変

          やめられない贅沢もある......それを贅沢と呼ぶのであれば......タマゴの話