発見する体験を人間から奪うのは、まずいと思います
尋ねると答えてくれるサイトというのがたくさんあるようですね。
Yahoo知恵袋でもいいし、最近だとQuoraとかでしょうか、どれがいつ頃立ち上がったのか知りませんが。
Qiitaあたりは、自分の知見を共有する、ということに重点を置いているので、ちょっと違うのかな、とも思います。
この2月から今(新学期開始直前)にかけて、新年度の授業準備には、chatGPTをかなり使わせていただきました。
時間が無いと、従来のキーワード検索でヒットしたページを精査しながら自分に必要な情報を得る、という時間がもったいないので、chatGPTさんが要約してくれる情報が、結構手がかりになりました。
使ってみて分かったのは、chatGPTさん自体が使い始めに言うように、嘘情報も多いので、「裏を取ること」は必須だなと思いました。
が、でも、「裏を取る」範囲を狭めてくれるという意味では、便利でした。
特に、前期の授業はコンピュータ関連の授業なのでchatGPTさんの得意分野のようで、かなり助けられました。
僕は「秘書」なんて使ったことはありませんが、そこそこ出来の悪い、最近の事しか知らない、でも最近のことが世界の全てだと思い込んで平気でいる若い秘書を使っていたら、こんな感じかなー、と思いました。
役に立たないわけじゃないけど、相手のことを理解していないととんでもない目にあうかも、って感じ。
でも、時間があれば、自分で発見したいなって、思います。秘書任せは、つまらないです。
自分で発見する、っていう体験というのは、その感動というのは、自分のアイデンティティを、自分への信頼感を、本当に高めてくれるものだと思います。
chatGPTさんは、自分で発見する時間を端折って、「効率」に寄与してくれるけれど、自分で発見するという体験を人間から奪うことで、人間のアイデンティティを下ずっていく存在だな、って思いました。
人は、それまでの人の営みを自分の中に蓄積しながら、現在の自分の生き方を決めるようにして生きてきたと思います。
それが、人間の生きる形なのだと思います。
自分がどれだけの「歴史」を蓄積するか、自分はどんな生き方をするか、そこから、「歴史」からどのような知見を導き出すか、それを自分の生き方にどのように活かすのか。
その「歴史」の部分を深層学習した応答システムがになっていたりするのでしょう。
僕らのそういう知性の働き方はモデル化出来るのかもしれません。
でも、僕らの悟性のモデルは無理でしょう。
僕らは知性のレベルでも、理性のレベルでも生きていないし、だからこそ人は人としてここまで生き延びてきたのではないでしょうか。
でも、発見の喜びを知らない人間は、上述のようなことがモデル化されたら、それに従って、それで満足するのかもしれません。
知性や理性は、何かに恭順してしまうのかもしれません。
発見は身体にあるものだと思います。
発見する体験を人間から奪うのは、かなりまずいことだと、思います。