AIの文体
自分の職場でもこのところ、「ChatGPT」というのが、時々、他人の口の端に登るようになってきました。
もちろん僕も、ChatGPTなどと言うものは、ついこの間まで知らなかったのですが、この2月頃(2023年の)でしょうか、偶然知ることになり、2月・3月はChatGPTのサイトの「Try ChatGPT」というボタンから表示されるページを、4月からの仕事の準備にかなり使わせてもらいました。
同じ頃に、無料でも使える高精度の(Google翻訳と比べて、ですが)訳文を示してくれる自動翻訳サービスも知人から教わり、こちらも随分使わせてもらいました。
その後、OpenAI社のChatGPTが驚きを持って受け止められたのは、英語圏では2020年の頃なのだ、というのを知りました。
今回、僕の周りですらその名前を聞くようになったのは、今年になって公開されたChatGPTが日本語にも対応していたからなのですね。
僕もその代表ですが、日本語しか知らず、日本の国の中でしか生きていない人間は、日本語でそれが使えるようになったり、説明されるようにならなければ、日本語圏以外の世界がどれだけ変化していたとしても、世の中は変化していないと信じてしまっているのだな、と思います。が、日本語が使える、となると、とたんに飛びつくのも、面白いことだなと思います。
「ChatGPTが書きました」という日本語の本も出版され、2冊ほど眺めてみました。
また、(僕も日本語しかわからない人間なので)こうした先端技術で日本語が使えるとなると面白くて、無料枠のChatGPTをいろいろと使ってみています。
で、感じ始めたのは、ChatGPTさんにはChatGPTさんの文体があるのだな、ということ。
なんとなく、「これはChatGPTだよねー」という文体と、文体を統べる文章構成のフレームワークが感じられます。
おそらくはこれからは、そのような「いかにもChatGPT的」な文章を作らないように、ChatGPTさんはチューニングされていくのだろうし、一方では、(ネタ的に)いかにもChatGPTさんが生成したかのような文体で文章を書く、生身の作家もでてくるのでしょうね。
何か、人のように沢山の歌を歌い、その歌声で人々を魅了した初音ミクさんと、その歌声を聞きながら、初音ミクさんのように歌うことで人々を魅了している生身の歌手さんたち、のような関係を思い浮かべたりします。(もちろん、初音ミクさんの声の元データは生身の人間の方のそれなのだとはわかっていますが)
ともかくも、僕は、(今はもう観られなくなったYoutubeのとある投稿映像で観ただけですが)、初音ミクさんが初めて生身の人々の前に立って開いたコンサートの映像に感動した人間なので… HONDAの人型ロボットと初音ミクさんが降臨した時の映像は、僕にとってのYoutube2大映像です。
だから言いたいとも思うのですが、今はまだChatGPTさんが生成した文章を、裏取りもせず、加工もせず、レポートとして提出したら、十中八九の確率で、教員はChatGPT生成の文体であることを見抜くのじゃないかなって思います。
文体は、数十年前の「ネットでコピペ」が出来るようになった時代から、学生のレポートがそれでないかどうかを見抜くための、教員側の最初の直感になっていたと思います。
(当時から、それがネット内に存在するデータとどの程度類似しているかどうかを測ってくれるサービスは、そこそこの値段を要求しながら存在していたようですが、…、学問分野やそこで学んでいる人たちの現状と将来を考えれば、そうしたものが、ある意味では過剰で、かつ、ある意味では教員の存在を否定しているという意味でも、あまり有効ではなかったんじゃないでしょうか…?)
ChatGPTさんも、独自の文体を使うので(文章構成も典型的にステレオタイプ、な感じですし、多くの学生はそれだけの構成にしたがってレポートを作成できないということを経験的に、教員は知っているのでなおさら)、「素で」それを使えば、すぐにバレるかな、と思いました。少なくとも、疑われるかな、と。
また、自分自身も今回、自分の次の論文のテーマについてChatGPTさんに考えてもらってみたのですが、そこで提示された先行研究は、実はどれも、実際には存在しないものでした(それらの「先行研究」をChatGPTさんがどのように「生成」したのかは、分かりませんが)。
裏取りは大切だよな、とあらためて思わされました。
僕としては今のところ、何かを検索する時に、ChatGPTさんが要約して提示してくれる情報よりも、Google検索などでキーワード検索して表示される多数の情報から、自分なりの感覚で、自分に必要な情報を選別しながら自分の行動を決定するほうが、的確な判断ができると感じています。
ChatGPTさんは、どんな情報を使ってどんなふうに「学習」して、その答えを出してくれているのか分からない、というところで、信用できませんから。
一方で「キーワード」で引っかかるものを沢山提示して、「後はあなたが自分で取捨選択して、判断してね」という従来のキーワード型の検索の方が、自分が何をしているのかを自分で理解できている、という意味で、安心できます。
それでもまぁ、これからは、ChatGPTさんをパートナーとして大学生活を送る学生も増えてくるでしょうから、かのじょらかれらに劣らない程度には自分もChatGPTさんと付き合いたいと思うし、そもそも、今はまだ、何はともあれ、せいぜいChatGPT程度のことしか出来ないAIに、今の若い人たちはとことん馴染んでもらって、その可能性と、そのヤバさを体感してもらうことが、重要かな、って思います。
とりわけ、そのヤバさの体感からこそ、AIを人間が統べる原理・倫理・モラル・バランス感覚が生まれるのだと思います。
だから、批判的な精神を持って、けれどもそれを否定するような先入観を持たず、今、生まれ始めたAI、第三次AIブームを、若い人たちには乗りこなしてもらいたいと思います。大惨事にしないように。
日本語ユーザーの若い人たちにも、頑張れる余地はまだ、あると思うので…
でも、自分の周りを見ている限り、そうした明るい展望は、なかなか見いだせないですが…