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わたしの代わりに長生きして

「書くことの楽しさが分からない」と尋ねられたら、なんと答えようか。単位がもらえれば楽しさなんて二の次とか、そういう話じゃない。金銭が発生しなくてもキーボードを叩いてしまう、この原動力はなにかということ。

書き残してないからか、記憶にない幼稚園時代

振り返ると、小学生の頃から「書くこと」はわたしの身近にあった。「時間があれば挑戦してみて」、そうやって一言加えられた読書感想文を、毎年提出しては賞状をもらうような子ども。でも当時は決して「スキ」で書いてはいなかった。

みんなが決まって挑む勉強やスポーツより、任意の読書感想文のほうが挑戦者は少ないじゃないか。ただ表彰される確率が高いから書いていただけ。打算的で変に負けず嫌いの小学生は、それを原動力に鉛筆を走らせていた。

とはいえみんなが億劫に感じる作文はすらすら書けたし、先生は褒めてくれるから調子に乗るし。いつしか「書くこと」はわたしを肯定してくれる存在になった。だからと言って、将来は書く仕事をしたいなんて発想はなく。課題の作文で助けられる程度の日々が、淡々と過ぎていった。

大学受験の小論文は得意だった

そんな子どもが「書くこと」を意識し始めたのは、高校3年生の頃。祖父がこの世を去ったと、母から知らされたときだった。

真っ先に頭に浮かんだのは、もう続かない当たり前の日々たち。祖父がいつもはめていた銀色の四角い腕時計は、もうあの腕におさまらないんだ。お風呂上がりに書いていた祖父のごはん記録は、もう続かないんだ。変に冷静な自分がいた。

ただしだいに頭が現実を受け止めはじめると、わたしだけこの世界に取り残された感覚に涙が止まらなかった。どれだけ祖父の写真を見返しても思い浮かぶのは「楽しかった」「優しかった」というありふれた感情だけ。覚えておきたかった言葉もたくさんあったはずなのに、肝心な言葉はなにひとつ思いだせない。時計やご飯記録は、何も話してはくれない。これからなにを頼りに祖父を感じればいいか、ちっとも分からなかった。

それ以来、自分が生きた証を残さずこの世を去ってしまうことが怖くなった。祖父は仕事を全うし、子どもや孫に囲まれて人生を終えれたけれど、わたしはどうだろう。「人生100年時代」の言葉に頼るには、わたしにとって「死」はあまりにも不確実すぎた。

そんな明日のことなんて、誰にも分からない儚く脆い世の中。わたし1人がいなくなったとて変わらず地球は回るだろうけれど、半径5メートルにいる誰かの記憶には残っていたい。ずっと覚えていなくていいけれど、思い出したくなったときに戻ってこれる場所はつくっておきたい。

それがわたしにとっては「書くこと」だった。

書き綴った言葉は病気や怪我をせず、半永久的に同じ状態で生き続けてくれるから好き。ほしいタイミングで自分から会いにいけるし、大切にとっておいてまた違う誰かにあげられるから好き。そのときのテンションをそのまま閉じ込めておけるから好き。小さな感情の起伏を逃さずに残しておけるから好き。楽しかったとか、よかった以外にも、とっておきたい思いはたくさんある。

顔がわかる人限定で公開しているリアル休学日記

わたしの周りの人たちが言葉を残しながら生きてくれたら、どんなに素敵だろう。たとえその人がこの世を去っても、わたしはその言葉とともに生きていける。ひとりこの世界に取り残されるよりは、よっぽどいい。

時間や場所の制限をものともしない、言葉だからできること。

「わたしの代わりに長生きして」

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