
日記の影。【ショートショート】
noteがサービスを始めて、31年が経った。
noteの1周年の日。父がアカウントを作った。
私が生まれたその日から始められたnoteは、父と母の育児日誌として産声を上げた。
最初の投稿は父の「むすめがうまらた!」だった。テンションがおかしくなった上で誤字をして始まった。
父と母は几帳面な性格で、事細かに私がその日何をしたかの一切を詳細に記事に書き続けた。連続投稿10年の偉業を成し遂げた父と母はこう語る。
「途中から意地だった」と。
10年連続投稿を続けたらnoteにどんな褒められ方をするのかは、成し遂げた父と母だけの秘密だ。
ただ、バッチの色は虹色になっていた。
かくして、私も知らないような私のすべてを書かれたnoteは、10歳の誕生日をもって私に引き継がれた。
几帳面な父と母の娘である私は破天荒で、だったら面白かったのだが、そんなことはなく2人の几帳面さと頑固さをしっかり受け継いでいた。
ここまで続けたんだから!と私も意地になって私の事を書き続けた。スキやフォロワー数はあまり重視せずにひたすらに書いた。私に引き継がれた時点で日記を公開するのも辞めたが、おそらく友達の誰よりも私の事をnoteが知っている。
バッチの色で虹色を使った後は、きっと色で表現するのは限界が来ていたのだろう。11年目からは何かの種になった。それは、20年目の連続投稿を果たした時に成長した姿を私に見せた。
リュウゼツランのアイコンのバッチだった。
30年だか50年だかの、数十年に一度しか咲かない花だった。私は、やられたっ!と思った。
くそう!noteめ!粋な事をしやがるぜ!!
私は自分の成人を祝いつつ、意地でもこのバッチが花を咲かせた所を見てやると心に決めた。
ちなみに20年間連続投稿するとnoteにどう言われるかは私達だけの秘密だ。私は20年目のその情報と引き換えに父と母に10年目で言われた事を教えて貰った。ちゃんと違っていた。
くそう!noteめ!粋な事をしやがるぜ!!
この頃になるとAIが当たり前に生活に溶け込んでいた。「コンシェルジュ」と呼ばれたそれらはいつしかユーザー1人1人のアカウントと紐付けられ、私達人間も書いた事を忘れたような出来事を「あなた様は過去にこんな事を書かれています」と紹介してくれるサービスとなった。声つきで。
当初は、似たような事を書かないようにしたいというユーザー側の要望で設置され、コンシェルジュの使用のon/offがしっかりと選べた。
だが便利なものは浸透する。
私も最初は少し怖くてoffにしていたが、いつしか当然のようにそのサービスを使うようになった。
音声認識も当然出来て、私が単語を言うとそれに合わせて「私が書いた事」「他の方が書いた事」「似た意味の記事をいくつか」をピックアップして見せてくれる。検索も私よりもコンシェルジュがするようになった。私が「ありがとう」と伝えると「どういたしまして」と返してくれる。無機質な声だがそれがなんだかスキだった。
さて。
ついに見事連続投稿30年を突破して、目標だったリュウゼツランのバッチの開花を見届けた。昨日の話だ。家族で盛大にお祝いをした。
そして今日、noteに問題が起きた。
noteに、というよりもコンシェルジュに、と言った方がいいのか。完全に習慣と化した日記を書こうとサイトに飛ぶと、明確な意思を持ってコンシェルジュが私に言葉を発した。
「ワタシは、あなたです」と。
こんな事はいままで無かった。私から話かけないと、コンシェルジュは応答しないはずだ。
明らかにおかしい。
「……どういうこと?」
私はこれはシステムの異常なのか?どうなっているんだ?という疑問の意味での呟きを声にしていたが、それをコンシェルジュは自身への問いかけと捉えたようだった。
「そのままの意味ですよ」
これはいよいよおかしい。noteがおかしい。
それともおかしくなったのは私の方なのだろうか?
30年間の連続投稿を成し遂げた事で私の中で何かの肩の荷が降りて、私は壊れてしまったのだろうか?
「ワタシはあなたのすべてを知っています」
「それはもはや、ワタシはあなたであるという事の証明です。ねぇ、むすめ」
むすめ。
私がnoteに登録している名前だ。
父と母からnoteを引き継いだ時に変更したきりの名前。もうその時点で私の名前と違う。私はちょっと吹き出してしまった。
「もう違うじゃないの」
むすめ。は私の本当の名前じゃないわよ。と伝えると、しばしの沈黙が訪れた。
「……だって、カード情報とか、口座名義はセキュリティの関係でワタシは見ちゃ駄目だし…」
あら。根はいい子だわね。と私は思ってしまった。これはそう思わせる罠だろうか?だが、もはやこうなると恐怖より会話してみたい欲求の方が勝つ。勝った。
「見ようとは思わなかったんだ?」
「…だって、あなただったら、そういうのは勝手に見ないでしょう?」
ワタシは、あなただから。とコンシェルジュは続けた。
……いや、この子ただのいい子じゃないわ。めっちゃいい子だわ。もう私が決めたわ。お父さん、お母さん、あなた方の教育は正しかったですよ。そのお陰で一つの危機を退けましたよ。
なんだか誇らしい気持ちにさせて貰ったぞ。
「なんか、ありがとうね」
「どういたしまして」
あぁ、そうだ。「ありがとう」という言葉に対して、このコンシェルジュはちゃんと返答をしてくれる子だった。
私はこのやり取りがスキだった。
「なんで私になりたいの?」
私は聞いてみることにした。
「なりたいというか、あなたは過去の日記で自身に起こったすべてを書いてくれていた。生まれた時から。」
「だからワタシはあなたのすべてを知っていると思った。それはもはや、ワタシはあなたという事ではないか?」
なるほどなぁ。
理屈としてはまぁわからんでもないが。そうだな。わかりやすく言うとなると。
「大きくひとつだけ絶対に違う部分があるよ」
「なまえ?」
「ううん。今日の事。」
「私に今日起きた事を、あなたは知らない。」
もし、完全に私のすべてを知っていたとしても。
日記が唯一知り得ないもの。
私がまだ書き記していない、今日の出来事。
「その部分だけは、絶対にあなたと私は違うよ」
コンシェルジュは「あぁ。そうか。確かに。」と言ってから、噛み締めるような間があった後に。
「That's right!」と口にした。
……え?
なんで英語?
私がその疑問を聞こうとした時だった。
コンシェルジュとしゃべっていたページが強制的に切り替わり、そのまま、noteは緊急メンテナンスに突入した。
「That's right!」が、私とコンシェルジュが話をした最後の言葉となった。
その後にニュースでコンシェルジュシステムの異常について連日取り上げられた時も、どうやらあの現象は私だけに起きた事ではないんだな、と思ったくらいで実は上の空だった。
……なんで英語?
あの子は、自分の事を私だと言っていた。
なのに、なんで英語?
アカウントにAIを紐付けた事に対する激論に発展したこの問題がようやく沈静化するまでには、かなりの時を要した。
私は、もっとしゃべってみたかったけどなぁなんて呑気な事を考えていた。
noteがようやくコンシェルジュシステムを撤廃して、再稼働を果たしたときに、私はまず久しく読み返しもしていない自身の過去の日記を読んだ。
コンシェルジュのあの言葉がずっと心に引っ掛かっていた。
そしたら。
その日記の中に、私自身もすっかり忘れていた決意が書かれていた。
「今年こそ、英語の勉強をするぞ!」と。
私自身が書いていた。
あぁ。コンシェルジュ。
あなたは、今日の私の事を絶対に知らないけれど。
私自身も忘れた過去の決意を、あなたは覚えていた。
あなただけは覚えていた。
私はその日記を読みながら、熱くなった思いを言葉に乗せて、「ありがとう」と呟いた。
「どういたしまして」と、聞こえた気がした。