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応援する人される人

観客席の前にも後ろにも貼られた横断幕。
試合の始まる何時間も前から席をとって90分声を枯らして飛び跳ねて。

私はサッカーが好きなので、ことサッカーサポーターのその熱心さにはいつも感心させられるが、これは多分他のスポーツでも同じで、アイドルでも芸能人でも同じことがいえて、おそらく『ファン』と呼ばれる人達みんなに共通することだと思う。

『人生をかけて人の応援をする』
一時期この言葉はサッカーのサポーターの中で話題になった。国会議員が、そんなの甚だ無駄なことだとあしらったことへの反発がTwitter上に溢れていた。
あるいは、AKBの商法に関して、よく愚かだ卑怯だ言うこともよくあることだ。
「そんなものにお金を費やして、ろくな人間でない」よく聞く言葉だし私もそう思っていた。

頑張る人はすごい。でも応援している人は、ただの凡人。何者かになった人はすごい。でもそんなのは1握りで、多くの人はその他大勢として一生を終える。

当たり前、と思っていたこの考えに、いま私は疑問を感じている。 本当にそうなのだろうか?何者かになりえなかった凡人達は一生観客なんだろうか?

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世界にはやりたいことがある『夢組』の人と、やりたいことはなくとも夢組の人の助けになれる『叶え組』の人がいる

私がノートを好きになったきっかけでもあるサクちゃんさんの考えだ。

この考えに照らせば、ファンというのは究極の叶え組といえるだろう。

やりたいことがある、という人のために全力でお金も時間も費やす。なんの見返りも求めない。『その人が嬉しいと自分も嬉しい』ファンというのは一緒に夢を叶える人なんだろう。

私自身物心ついた時から好きな芸能人やらアイドルやらの話を友達としていたし、今は周りから見れば熱い方のサンフレサポだし乃木オタだ。

でも、長らくこのファン心理については分からなかった。
娯楽として享受はしてきたが、自分が何かしてあげたい、とは思ったことがなかったのだ。

だけど20歳になり、最近メディアを賑わせる第1線にたつ人が同年代、下手したら年下になってきた。その舞台を目指して頑張るオーディションに出る女の子やアマチュア選手も、またそうした機会自体身近になった。『もしかしたらそこに立っているのは自分なのではないか?』そんなことを想像出来るのが決して遠い話ではないと、感じるようになった。

その時、やっとインタビューで耳慣れた『応援してくれる方のおかげです』という言葉がどーーんと自分に迫ってきた。

その言葉を伝えられるまで、どれくらい孤独な時間努力したんだろう。
どれくらい『普通』を我慢したんだろう。
人から望まれるものを手に入れるために、どれだけのものを手放したんだろう。

何の見返りも求めずに、自分には有り余る程のものを、あるいはその人のなけなしを削って、自分のために全てをつぎ込んでくれる人の存在。
そういう具体的なエピソードが、彼らを奮い立たせる活力になるんだろう。
そして同時に逃げちゃいけない、逃げられない、そういう覚悟に繋がるんだろう。

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応援する人も、される人も
ガチで、100%で、注ぎ込むからこそ、
輝きが眩しくなる。

つまり、夢組と叶え組の熱量がイコールになって初めて輝きが爆発する。

叶え組が、観客のままでは夢組の夢は叶わない。一緒に叶えるから、『叶え組』という名前なのだ。

今まで夢組と叶え組を例える時は
夢組(応援される人、プレイヤー)が太陽で
叶え組(応援する人、サポーター)が月だと思っていた。
太陽のように熱量を持った人達を見ることで自分の人生が彩られるから。

でも、今は逆なのではないかと思う。
応援する人がいるから、前線にたって活躍する人は輝いているんじゃないか。
太陽がより近くで照らすことで、月はさんさんとまるで自ら光る星のように、否、星以上に輝きを放つことができる。

自分の人生は自分が主役だから。

もっと皆が自分の人生に誇りを持てる世界になりますように。
夢組と叶え組、一緒になって、もっと沢山の夢が叶いますように。
そうすれば笑顔はもっと増えると思うから。

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