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人は過去の自分を癒したい 2/2

私という人間は常に自己肯定感が低くて苦しんだのか?というと

そんなことはありません。
高くもあり、低くもありでした。

心配のあまり、顔を見ると子供に対してダメだしをしてしまうのは、昭和の親あるあるだと思います。
私も、そんな昭和の親の老婆心を上手に受け止められず心が歪んでしまった一人です。

自分は自分のままでは不十分なんだ。
条件をクリアできていない私には、きっとお父さんもお母さんも会っても嬉しくないんだろうな。
会ってもがっかりするだけなんだろうな。
こっちも自分らしくもないのに、親を喜ばせるために条件クリアできるように頑張ります!という演技がしんどいから、無理に会いに行かないでおこう。

でも、親と離れている所では自己肯定感はある程度の高さを保つことが出来ました。
特に若い頃は、スタイルも悪くは無かったし、まあまあな何でも器用にこなせたし、頑張ったことは結果がついてきたし、運も悪い気がしませんでした。
そうなんです。親の出す条件とは違うけれど、自分が自分に出す幸せの条件を、自分が満たしていたので、親が居ないところでは自己肯定感を保てていたんです。

ところが年齢とともに、自分の出す自分への幸せの条件を少しずつ変えていく必要が出てきました。見た目の変化。生活の変化。子育てにも葛藤があり、思い通りに進まない日々。

親は相変わらず、数年ぶりに会っても心配からのダメだしをしてくるし、何歳になっても、どれほど成長したと思っても私のままでは不十分だし。
親から遠く離れている場所でも劣化していて生活にもがいている自分を幸せにしてやれない。大切にしたいと思って居た子ども達との関係も、年々こんがらがってくる。夫婦の間では互いに上げ足ばかりとって、心も繋がってるのか分からない。そんな逃げ場のない状況がやってきました。

そんな時にまず、ツインレイというワードと出会いました。
そしてそれとは全く関係ありませんでしたが、ちょうどいい時期にマスターマインドにも参加できたことによって、自分の魂の願いを掘り下げて考える機会を得た私は、分かったんです!

自分を不幸にしていたのは、自分への幸せの条件だった。って
親からつけられて苦しかったし逃げてきた「幸せの条件」を、自分も自分に課していた。子供にも課していた。

自分を無条件で認めてあげられたら、どんなに幸せだろう。って
今生きている、この状態を最高に幸せであるって嚙み締められたら、どれほど今という命の価値が増すだろう。って
子どもの事も無条件で認めて、信じて、どこまでも愛せたら、存在そのものを愛せたら、もう今から私も、あの子たちも一生幸せしかない。って
わーー!生きてて嬉しい!これに気づけて嬉しい!子どもたちが居てくれて嬉しい!神様ありがとうございます!って

しかも自分を全部認めて信じて愛するって事は、これまでの過去も全部癒す事なんじゃないか。って

読んでいただきありがとうございました。

貴方の中の過去の傷ってなんですか?
深い深い所に眠っている傷。
その傷の癒し方が分かった時、魂が喜んで また一つ階段を上がることができるはずです。

なぜ寂しかったのか、なぜ痛かったのか、
自分の本当の願いってなんだろう。

そう考えるきっかけになれば幸いです。

では、また次の記事で✨

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