猛暑なら美術館へ|【デ・キリコ展】から始める自分を表現する手法。
最近、アート鑑賞を趣味にしている。
少し前まで、美術館にいっても面白さなんてわからなかった。
ただなんとなく、案内を見て
と、わかった気になっていた。(一体、オトナたちは何を楽しんでいるのか、と不思議だった。)
フランス絵画やスペイン画のような、淡い柔らかな人物像こそ、【好き・嫌い】程度の感度はキャッチ出来ていたのであるが。
今回、東京都美術館で行われたデ・キリコ展に関しては、私にとって難題だった。
まさに、『不思議の世界』を体験した。猛烈な上野の暑さから逃れるように、ひんやり涼しい東京都美術館の中は、一味違った涼しさや奇妙さも感じる。
内容はネタバレになるので伏せるが、一人のアーティストの作品を通じて感じ取ったものを今日は分解してみる。
不思議なアーティストを分解する
今回、オーディオガイドとともに巡った展示会。
私のような、デ・キリコさんをいっさら知らない素人でも、ある程度楽しめるように彼の出生や背景から、作風の変化なんかを一通り説明してくれる。
そんなガイドとともに、彼の生きた歴史を振り返る。一切被ることのなかった、違う時代の遠い国の1人の男性画家の歴史。なんだか不思議。
そもそも、アーティストと言われる類の人は、もともと絵画のセンスが抜群で、天からデザインやアイデアが降ってくる感じなのだと、つい最近まで思っていた。
しかし、こうやって歴史を辿って分解していくと、当たり前であるが、みんな1人の人間だということに気付かされる。
ただの不思議な絵は存在しない
一人の人間の生み出す作品は、その人の歴史やインスピレーションを受けたものがありありと表現される。
その一例として、幼い頃に体験した地震で、家具が揺れた恐怖体験の様子や、戦時中にユダヤ人の商店で目にしていた奇妙な形のビスケットなんかが彼の絵画には登場してくる。
戦争の真っ只中は、夫を見送る妻の悲しみが滲み出る作品だったり、閉鎖空間によるどこか暗く空い作風になるし、画家としての経験をある程度重ねていくと、【自分の画風】みたいなものを探るようになってくる。死ぬ間際にはこれまでの自分の作風をまとめるような、どこか深みのある作風に変わる。
すべて、本人の体験や経験がベースになり、自分が見ていない・体験していないものは再現できないことも気付かされる。ただ、奇妙な不思議な絵を描いているのではなく、自分た体験し、強いインスピレーションを感じたものを自分の形として作品に表現されているのである。
私は、何を表現するのか?
美術館やアート展に行くと、決まって《自分も何か表現したくなる》から不思議である。
お土産コーナーに陳列しているスケッチブックの数々や、画家の具材など。それらしい気持ちになって手に取ってしまうと、なんだか自分もアーティストになれる気がしてくるから不思議である。
しかし、この《自分として何かを表現したくなる》のは、どのアーティストにとっても、原点となっていると思う。
という着地点に落ち着く。
みんな、自分とは一体何かを得意な形で模索し続けているんだなぁー。
そんな能天気な、でも普遍的な答えに辿り着く。
そう、結局はここである。
絵を描くのも好き。こうやってnoteなどを用いて言葉で表現することも好き。でも、何かが足りていない。
は見つけられていない。きっと死ぬまで自分ではわからない気もする。
そんな、深いことを考えさせてくれた、デ・キリコさん。
時空を超えて、ありがとう。
みなさんも、ぜひデ・キリコ展で不思議な世界を堪能してみては・・・?
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最後まで読んでくださりありがとうございます^^! こんな感じでダイエット・美容からキャリアの話まで、ちょっとためになるようなお話をお伝えしていますので、また読みに来てくださいね❣️