寝たきりからの挑戦—頑固な80代と理学療法士の覚悟
数年前、担当していた訪問リハビリでの出来事が今でも忘れられない。
当時、責任者をしていたこともあり、少々リスクの高い方のリハビリを担当することが多かった。
彼もその一人。担当ケアマネを悩ませるタイプの、こだわりが強く頑固な、とある業界のレジェンドだった男性である。
彼は80代。コロナ禍の入院が長引き、腰の怪我で入院したものの、臥床期間が長引いた結果、寝たきりになってしまった。
さらに心臓の病気を抱え、呼吸器も弱い。10m歩くと血中の酸素飽和度が軒並み低下し、80%台にまで落ちるとの病院からの申し送りがあった。
家族やケアマネからの要望は、
とのこと。おむつやポータブルトイレの使用は不快感から本人の拒否が強い。どうしようもなく、なんとか差し込み便器で対応していた。
プライドの高い男性との初対面
最初に彼に挨拶に行った際、
「どうせリハビリしたって、歩けないんだから、結構結構。」
とあしらわれてしまった。
それはそうと、めげずにリハビリの目標を聞くと
「近所の友達に会いに行きたいんだよ。それができないならリハビリなんてやる価値がないね。」
とのこと。
私はなぜか、こういうタイプの男性にあたることが昔から多い。だから彼らの本音を引き出し、一緒に並走するのが得意でもあった。
というのも、私の祖父がまさにこういうタイプだったこともある。
プライドが高く、現実主義。見込みのないことにはさっさと損切りするタイプ。しかし、その一方で、その気になれば強いのである。
起き上がるだけで一苦労の実態
1回目のリハビリがスタート。完全に寝たきりで床ずれ間近な体。
身長190cmの大柄な体は重く、膝は曲がり拘縮が強い。
起き上がる練習はスムーズだったが、ベッドから足を下ろした瞬間に血圧が一気に低下。本人は「大丈夫、大丈夫」と言うが、他の症状と総合的に判断しても流石にNGである。
起立性低血圧が強く、ベッド上での運動や段階的な起き上がりを行ったがなかなか成果がでないもどかしい期間が続いた。
進まないリハビリと打開策 〜モチベーションの維持〜
2回目以降も血圧低下が続き、本人のモチベーションも軒並み低下。
そこでケアマネを通し、担当医に電話で相談。
受診をした上で血圧の上限・下限を設定してもらうことに。
そんなこんなで、起き上がることが可能になり、1ヶ月後には自力で座ることができるようになった。
しかし、立ち上がりや歩行練習に移ると今度は酸素飽和度が95%から80%台へ低下。(病院の申し送り通りである)
その後も担当医やケアマネと相談を繰り返し、なんとかリハビリを継続。
流石に自力歩行は難しく、歩行器を提案するも
「こんな乳母車なんて使ってられるか!!」
と一蹴。最終的には、私の肩に捕まる形で了承を得て足踏み練習からスタート。
攻防戦を続けながら地道に続けることで、トイレへの移動と動作が可能となった。
ここで家族やケアマネからの「トイレに自力で行けるようになる」という目標は一旦クリアである。しかし、本人の希望はそこではない。
外出への覚悟と挑戦
最大の課題である外出。彼の健康状態やリスクを鑑みても週1〜2回の訪問リハビリだけでは近所中を歩き回るまでの回復には限界がある。
そこで、彼ともう一度話し合う。
「近所の友人に会いに行けるなら、必ずしも歩かなくても良いか?」
と問う。他にも方法はいくらでもある。
「別になんだっていいよ。」
とのことだったので、彼が以前、調子が悪い時に使用していたセニアカー(電動バイク)を活用することを提案。(担当医、家族、ケアマネ了承済み。)
万が一を考慮し、バッテリーを抜いた状態で跨る練習から開始し、最終的に翌月には近所中を乗り回せるようになった。
訪問リハビリは常にリスクと隣り合わせだ。
病院とは異なり、すぐに医師や看護師が駆けつけてくれるわけではない。
しかし、本人の意思、家族の思い、それに応える熱意があれば、壁は乗り越えられる。
覚悟をもって向き合う 〜理学療法士としての学び〜
最終的に、彼のことが忘れられないのと同時に、理学療法士という仕事は、患者や利用者の人生を左右する大事な仕事であるが故、覚悟をもって行うことの重要さを学ばされた。
どんなに小さな進歩でも、それが彼の生活の一部となり、生きる希望へと繋がる。その覚悟を常に持ち続けることが大切だということを本気で体感した経験である。
おかげさまで3刷を達成しました!!
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