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考えたいのは「やりたいこと」ではなく、「やるべきこと」だった。
ここ数日、ぐるぐる考えていることがある。
どんなにキャリアが広がっても、ずーっと心の中で燻っていたこと。
それが
自分が今、何がしたいのか
そして
自分が今、何をするべきなのか
というもの。
このnoteひとつとっても
なぜ、自分が今書いているのか
noteを通して、何がしたいのか
noteを通して、何を伝えるべきなのか
ということ。
この答えのありそうで、掴めないものを、ふとした時にずーーーっと考えている。そして、その答えがふんわり掴めてきたきがする。
そんなフリーランスとして2年が過ぎた今、考えていることをただただ言葉にしてみる。
誰のためにもならないかもしれないが(おい)
出てくるのは「やりたいこと」
比較的、わたしは「やりたいこと」がたくさんあるタイプだ。
今執筆している書籍をしっかり書き上げたいし
控えている講演や大学の授業も、うまくやりたい
家族との時間も大切にしたいし
ひとり旅もしたい
今年は北欧の他の都市を見てまわりたいし
東北をぐるっと回る列車旅もしたい
山登りも再開したいし
のんびりホテルステイもしたい
・・・そして、それが無理なく叶えられるくらい経済力もつけたい
そう、「〇〇したい」「やりたいこと」はどんどん出てくる。(夢見がちなハッピー野郎なのだと思う。)
しかし、これでは夢は膨らむが、それで終わってしまう。
私が辿り着きたい答えはそこではない。
「私はなにをやるべきなのだろうか」という部分である。
考えたいのは「やるべきこと」
たくさんの「やりたいこと」ではなく、「やるべきこと」はなんなのかということである。
生きていると、たくさんの課題にぶつかる。
たかだか30年ちょっとの人生にも、疑問や嫌悪感、課題感を感じたことがたくさんある。
たまたま、医療や介護現場に携わってきたから、私のそれらは医療・介護問題に偏っている面もある。
そして、私自身、子供がいない上に祖父母が長生き(祖父は数年前に亡くなったが、それでも94歳まで生きている)だったこともあり、高齢者にまつわる問題にどうしても目が向く。
これまでは会社員だったから。病院や介護現場での「任された仕事の範囲内」でしか対応できないという、ある種の枠組みで働いていたから、どこか諦めがつく部分もあった。
しかし、独立して数年。
さらに、介護問題が身内に降りかかるようになって尚更。
一人の理学療法士として「どうにかしたい」と強く思う瞬間が増えてきた。
きっとこれが「やるべきこと」につながる部分なのかな、とも感じるようになってきた。
他にもある。
私が書いているnoteは、最近こそ医療や介護問題についてが多いが、一人の女性として、30代の女性のキャリアについての内容も多い。
それは、一人の女性としてキャリアを広げようと、もがいていく中でたくさんの地獄をみたからである。
これについても、「どうにかしたい」と思ったから、当時はそこまで深く考えられていなかったがキャリアについてのコラムを書いていた。
「やるべきこと」に目を向けると見えてくるもの
このように、何気なく自分がやってきたことを振り返ってみても
自分がやるべきことは一体なにか?
のヒントになることが結構ある。
どうしても、内省や自分との対話のなかでは
なにをしたいのか、やりたいことはなにか?
といった未来に期待をするようなことばかりに偏りがちである。
しかし、もう少し思考の深さを下げてみると、これまでの経験や自分の行動に散りばめられたものが見えてくる。
「やりたいこと」を考えるのも楽しいけれど「やるべきこと」に目を向けられると次の行動の幅を効かせることができる。
・日本の医療・介護保険の現状では難しいと感じたから、海外に目を向けてみる。
・病院や介護施設内ではできることが限られるから、一旦枠を飛び越えてみる。
・高齢者のくらしのリアルな部分が隠れてしまっているから、書籍で発信してみる
「やるべきこと」と向き合って広がった行動はまだまだある。
そして、「やるべきこと」からつながった「やりたいこと」もたくさんある。
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