週に一度、大切にしている習慣。
私には、毎週必ず欠かさず行なっている習慣がある。
そして、この習慣を実施する日は、慌ただしく過ぎていく中で忘れないように、手帳に記載している。(アナログね。)
それは、
一見、ばぁちゃん孝行かと思われるかもしれないが、100%そうではない。(おい)
最近、自分を見失っているな
と思う人ほど、読んで欲しい。では書きます。
じーちゃん・ばーちゃんと私。
幼少期から、祖父母との関係は良好であった。
父方の祖父母は遠方(東北の田舎)のため、夏・冬の休みに長期で会いに行っていたし
母方の祖父母は片道2時間圏内のため、学校のイベントなどすかさず駆けつけてくれていた。
ちょっと厳しいじーちゃんと、愉快で優しいばーちゃん。
学生時代のころまでは、なんとなく別世界の大人としてみていたので、あまり腹の中は明かせない関係な感覚があった。
(子供心にちょっと気を使っていた)
昔から電話で話すのは
なんとなく、頑張っている姿を見せなきゃ
楽しんでいる、元気な姿を見せなきゃ
といったような、
今思えば、あんまり中身のない会話ばかりだったように思う。
子供の頃の関係と変わった瞬間。
就職してからも、ことあるごとに会いに行き、電話や手紙を送りあってはいたものの
大勢で会う場面では特に、3兄弟の真ん中である私はじーちゃん・ばーちゃんを独占できる場面はほぼ皆無。
だからこそ、幼少期のままの関係が続いていたのだが・・・。
そして、両家とも80歳を超えての罹患だったため、進行は緩やか。
認知もしっかりしているため、在宅ですごしつつ通院する治療スタイルになる。
当時、病院の理学療法士として勤めていた私は、もちろん癌の患者さんの担当も多くしていた。
行く末もお別れもたくさんしてきたし、その時、本人しかり、周りの家族の変化も目の当たりにしてきた。
だからこそ、頻繁に会いにいくように、連絡をするようになった。
辛かった時なのに
だんだん癌がいろんなところに転移して、認知症はなかったものの、脳への転移までいったあたりで状況はどんどん深刻になる。
ちょくちょく家に行っていたからこそ、家屋調整(体力が落ちても自力で動けるように、必要な部分への手すり設置や福祉用具の搬入など)は担当していた。
この頃あたりから、主介護者であるばーちゃんが心配になり、頻繁に電話をするようになる。
私に話しているのなんて、おそらく話せる範囲の内容で。きっとこの何十倍も何百倍も大変なんだと思いながらも、ただただ話を聞く。(裏でケアマネさんや親に報告し対処。)
そうこうしているうちに、ばーちゃんが本音をポロポロと話してくれるようになる。
自分を原点に引き戻される理由
その数年後、じーちゃんはなくなり、実用的に連絡を取ることが少なくなってしまったのだけれど
それでも週に一度は電話をしたくなる。声が聞きたくなる。
それは、私がばーちゃん孝行の良い孫だからでもなんでもない。
ただ、私のためでもあるのだ。
90歳を超えて、一人で生きる女性の言葉は深い。そして未熟すぎる自分に突き刺さる。
ちょっと仕事がうまく行って調子に乗りそうな自分も、引き戻してくれる。
どんなに嫌なことが続いても、全て投げ出したくなっても
全てまるっと包み込んでくれる、ばーちゃんの声が聞きたくなる。
今や、誰よりも本音が吐ける、本当に欠かせない存在なのだ。
ばーちゃんと私の不思議な関係。
昔からとりわけばーちゃんっ子だったわけでもなんでもない。
きっと距離が縮まったのは、大人になってから。
お互いが本音を吐けるようになってから、のような気がしている。
しかし、こんなに人生経験が豊富な相談相手は、他にいない。
こんなに私の全てを包み込んでくれる人もなかなかいない。
語彙力が無さ過ぎて、うまく表せないけれど、
誰よりも、何よりも強い味方でもある。
そんなばーちゃんとの、残り少ない大事な時間。
今週も楽しみに頑張るのだ。
最後まで読んでくださりありがとうございます^^! こんな感じでダイエット・美容からキャリアの話まで、ちょっとためになるようなお話をお伝えしていますので、また読みに来てくださいね❣️