「脊髄」と「足枷」
はじめまして。篭田 雪江(かごた ゆきえ)です。
このたび、今まで使っていたkagoyukiから、私が作品を書く時のペンネームである篭田雪江に改名しました。
その簡単な由来と、それに関したことを、今回はかなり雑多になりますが、書かせていただきたいと思います。
名字の「篭田」は、自宅のすぐ近所にある「篭田公園」から取りました。仕事場の帰り道に必ず車で脇を通るので馴染みがあるのと、「かごた」という響きがなんとなく気に入り、拝借することにしました。
名前の「雪」の方は、江戸時代初期の京狩野派の絵師狩野山雪、「江」はオーストリアの画家で、映画でも有名なエゴン・シーレから、それぞれ一文字ずつ取りました。
国も時代も、当然画風も全く違う二人の絵描きの名がなぜ由来なのか、詳細は煩雑になるだけなので書きませんが、いずれも美しさと醜さを同時に描いた絵描きだ、と勝手に思っていて、そんなふたりのような作品を自分も書きたいと思い、ペンネームに使わせてもらいました。
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小説家になりたい。
そう思って本格的に書きはじめてから、もうどのくらいたったでしょうか。
その間、体は少しずつ壊れていきました。
右の腎臓が結石で委縮し、左の腎臓だけがかろうじて生きています。
心臓にも弁膜症が見つかり、経過観察を続けています。
貧血がひどいため血液内科で診てもらったら、前白血病状態と診断されました。
朝昼晩の食後、食間、就寝前の一日計七回、服薬しています。朝の薬に至っては錠剤で計十三個です。過量服薬じゃないか、と思いますが、主治医には言えないままです。
約二年前からは、腎機能を維持するため、一日六回の自己導尿も課せられました。
年齢を重ねるごとに高血圧や貧血、頻脈などの体調不良がひどくなり、仕事を休まざるを得ない日も増えました。尿路感染や腎盂腎炎などでこの十年はほぼ毎年、入院を繰り返しています。自分で救急車を呼んだこともありました。
それでも体調がましな時を見つけて書き続け、いろんな文学賞に応募しましたが、力不足ゆえ落選を繰り返し続けています。いまだに小説家の看板を掲げることも、物を書いてお金を得ることもできていません。
もうやめようか。それこそ毎日のように考えていました。今でもそうですが。
そんな中、去年、常日頃お世話になっている方の励ましもあって、ひとつ作品を書き上げ、某文学賞に応募しました。
大賞受賞はなりませんでしたが、第三次予選通過作にまで選出されました。
また、noteに上げた「休日」が、某地方文学賞の最終候補作にも選ばれました。
そのふたつの作品で使ったペンネームが、「篭田雪江」です。
これまで本当にいろんなペンネームをつけてきました。なかにはかなりふざけたものもありましたが、ようやくこの身に合った名前を見つけられたのだろうか、と思っています。だからもうペンネームを変えるつもりはありません。
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書いていて楽しいと感じる時は大分少なくなりました。書き上げて後で読み返し、そのひどさに愕然とすることもよくあります。こんなんで物書きなんて、と。
それでも夜、体調のいい時を見つけてはPCで原稿用紙二枚、キャンパスノートで二ページの下書きを書いています。そしてその後、力尽きてぐったり横になります。こんな具合悪くなってまでなにをしてるんだろう、と考えながら。
その意味がずっとわからなかったのですが、最近になって思うようになりました。
私にとって書くことは「脊髄」であり「足枷」なんだ、と。
自分という人間の真ん中を貫く「脊髄」。
同時にがんじがらめにしている「足枷」。
これからどうなるかはわかりません。
花も実もつけず、終わってしまう可能性も高いです。その覚悟もあります。
それでも、自分は書き続けていくんだろうな、と思います。
「脊髄」がなかったら人は生きていけないし、長年食い込み続けている「足枷」はもうはずれることがないのだから。
雑多で長い文章を読んでいただき、ありがとうございました。