邪馬台国論争の考察と問題点
卑弥呼が暮らした里は、神河町「栗」 卑弥呼の居館は八幡山
魏志倭人伝に記された全ての道程の終着地点は、埴岡の里の「栗」でした。女王卑弥呼が暮らした里は、神河町栗で、卑弥呼の居館は八幡山でした。
邪馬台国論争の考察と問題点
魏志倭人伝は100%正しい
100%正しいとして考察せねばならない
南
魏志倭人伝に記された邪馬壹国は、
奈良県 大阪府 京都府 兵庫県 隠岐の島(島根県)
にまたがるエリアに存在しました。
邪馬壹国を論ずる人は、
下の3つを必ず正確に説明しなければなりません
1 郡より女王国に至る万二千余里
2 周旋五千余里
3 女王国の東、海を渡る千余里、また国あり、皆倭種なり
魏志倭人伝は100%正しいものです!
上記の3点を正確に述べられない人の論説は、無駄に日本の地位を下げ、
世界の平和を妨げる行為につながるかもしれません。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?