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茶会記に散りばめられた宝石と、人との繋がり

 先日の茶道教室設立記念茶会の席で、
「あれが、井戸茶碗です」
 と、隣りに座った女性に言ってしまって後悔した話を書いた。しかし、あとでお茶会の茶会記を広げてみて、間違っていなかったことに安堵の胸を撫で下ろした。しかし、今度は茶会記の「井戸茶碗」の下に書かれていた名前が、ひっかかった。本来なら、そこには誰の作とか、いつの時代のものとか、銘とかが書かれていてもいい場所。そこにあったのは、「林屋晴三」とだけ書かれていた。その時は、そのままスルーした。
 しかし、その名前と今度はYouTubeでお目にかかることになった。そのタイトルは「林屋晴三追善茶会」である。亭主は、株式会社LIXILの元会長。正客が遠州茶道宗家十三世家元、次客に武者小路家若宗匠、そして、一茶庵家元。その他と続く。ここまできて、「林屋晴三」とは、どう茶人なのかと初めて気にかかり、早速ググってみた。とんでもない人だとわかった。   

 この方は生前、東京国立博物館で陶磁器の責任者をしておられた方だと知った。

 記念の茶会から1週間後、おっしょさんと再開した。この日は、役者の卵の方が亭主役で、私は客。五行棚の薄茶点前である。

「蜻蛉さん、彼は役者さんの。先日、舞台を見にゆきました。役者さんて、すごいわね」

「役者というのは、神に選ばれた人、と言われますよね」

「そうなの!?  Kさんは神に選ばれた人なのね」

 亭主の彼が道具を運んでいる間に、おっしょさんに聞いてみた。

「先日のお茶会の時の掛け軸の問答では、師弟関係の逸話を聞かせていただき、映画のワンシーンを見ているようでした」

「あの掛け軸は、私にとっては大きな意味を持った掛け軸でした」

 いよいよ本題。不躾だと思ったが、率直に質問した。

「あの時の井戸茶碗、立派なものだと思いましたが、茶会記にあった林屋晴三様とは、どういうお知り合いなのですか」

「そこに、興味が行きましたか」

 おっしょさんは、よくぞそこに気づきましたと言わんばかりに語り始めた。まずは、茶会が行われたお店のいわれから。そして、そこで林屋氏が、定期的に茶道を教えていたこと。さらに、氏の最後のお教室と思われる回で、氏のお点前を拝見できたことの感動を語ってくれた。

「林屋先生は、もうお身体が弱っておられて柄杓でお湯を汲んでも、お茶碗のところまで柄杓を動かす力もなくて。介添えの方に手を添えていただいて、お茶碗にお湯を注いでいました」

「そんな時に、お点前を拝見なさったのですか。それもすごいですね」

「先生が、自らお点前をなさる最後になるだろうと言われてましたから」

「林屋様というのは生前、東京国立博物館の陶磁器の責任者をなさっていた方と聞いています。その世界では第一人者だと」

「そうです。蜻蛉さん、そこに興味を持たれたのね」

「はい。数多くの陶磁器の写真集も出されて、その筋のカメラマンやデザイナーの方を、数多く育てられたとも……」

「そうです。その林屋様が、この教場は表千家の教場ですが、裏千家の方がいらしてくれたのは嬉しいことです、とおっしゃって。さらに記念に、このお茶碗を差し上げましょうと、分けて下さったのです」

「それが、この間の茶会で使われた井戸茶碗だったのですか。晴れの舞台にふさわしいお茶碗ですね」

「蜻蛉さん、よくお調べになりましたね」

「はい、気になったものですから」

 茶会記に見え隠れする小さな宝石を見つけ出したような、そんな気持ちになった。多分、一枚の茶会記の中に、いくつもの宝石が散りばめられていたのかも知れないが、とりあえず一つ見つけることができた。

 その小さな事柄に秘められた、「おっしょさんの茶道人生」の一部を見せていただいた。お点前だけではない茶道の魅力を、それは人とのつながり。それが、本来の茶道の目的だと思う。茶道でしか繋がることの出来ない人間関係が、この先広がっているのだろうと勝手に夢を思い描いてしまった。これまでの人生とは、また違った人との出会いが、人生を大きく動かしてくれる……、かも知れない。



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カゲロウノヨル
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