謎だらけの利休の辞世の句は、孫の宗旦に当てた心の叫びだ!
豊臣秀吉に命じられ、千利休は自宅で切腹する。その時に詠んだ辞世の句は以下のとおりである。
まず、現文。
「人生七十 力囲希咄 吾這寳剣 祖佛共殺 堤る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛」
次に、その読み方。
「人生七十 りきいきとつ わがこのほうけん そぶつともにころす ひっさぐる わがえぐそくのひとたち いまこのときぞ てんになげうつ」
そして、おおよその訳。
「人生七十年。 えい!やぁ!とう! 我がこの宝剣で、 祖仏も我と共に殺してしまえ、上手く使いこなすことのできる刀を引っさげて、 今、天にこの身を放つ」
「わびさび」とも「茶禅一味」とも「和敬清寂」とも、かけ離れた句でしかないと思うのだが。どなたか、説明してくれる人はいませんか。
確かに、豊臣秀吉への恨み辛みの全てが瞬時に吹き出したような激しい響きのある辞世の句である。
そう思って、ググっていると、インターネットでこんな文章を見つけた。
以下は「日本刀 研ぎ澄まされた美の世界 四国讃岐支部 利休の遺偈 川辺勝一」のサイト(URL=http://sikokusanukisibu.net/rikyu.html)からの抜書きである。
(前略) 国土創成の天のぬぼこ、三種の神器、各地の神社の御神体など信仰の対象とされたものをはじめ、武人の精神的な支えとしての扱いなど日本人的な考え方と、それとは別に、趙州の露刃剣、寒光射斗牛、吹毛の剣、三尺の秋水など、中国大陸的なとらえ方(白髪三千丈の世界)や、禅の世界でのとらえ方などが利休の日本刀に対する精神性に大きな影響を与えたものと考えます。
(中略)利休が生涯をかけて育ててきた侘茶の道を日本刀に置き換えて表したものと思います。
以上のことをまとめて考えてみますと、遺偈の意味が判ってまいります。
人生七十力□希咄 人生七十にして悟ることができた
吾這寶剱 侘茶のこと
祖仏共殺 凄い力(霊力)がある
提ル我得具足 切り拓いてきた侘茶の道
一太刀 一碗の茶
今此時そ天に抛 今こそ侘茶の道を天下に問う
「人生七十にして悟るところあり、侘茶とは凄いものである、この侘茶の道を武器として天下に問い、雄飛せよ。」
これが遺偈の意味であり、大徳寺で修行中の孫、十四歳の宗旦少年に残した心の叫び、だったとおもいます。
この遺偈から、千利休が侘茶の道を悟り答えを見つける様子を垣間見ることができます。(後略)
川辺氏の注目すべき点は、辞世の句の「寶剱」を「侘茶」に、「具足」を「切り開いたる侘茶」、「一太刀」を「一碗の茶」と置き換えて読み解いた点である。そして最後に「今此時そ天に抛」を「今こそ侘茶の道を天下に問う」とした。そして、その句を「大徳寺で修行中の孫、十四歳の宗旦少年に残した心の叫び」と結んだ。すばらしい。秀逸である。こういう解釈の仕方をしたのは、この川辺氏以外にはいないだろう。彼がこういう解釈が出来たのは、専門が日本刀であったが故であろう。日本刀と千利休の関係を知っていたから出来た解釈だと思う。
そうか、それならば「わびさび」も「禅茶一味」も「和敬清寂」も、辞世の句と繋がってくることになる。そう思うと、なんら違和感が無い。
「大徳寺で修行中の孫、十四歳の宗旦少年に残した心の叫び」は、次代を担う者に「この侘茶の道を武器として天下に問い、雄飛せよ」と、命を賭しての、利休の叫びだったのだと。(※ 絵と本文は関係ありません)
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