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「書きたい」と「書きたくない」の間を、行ったり来たり

先日、noteの毎日更新が60日を迎えた。

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60日というと、約2ヶ月。

2ヶ月毎日noteを書いていて思ったのは、ものすごく当たり前だが、書きたい日もあれば書きたくない日もある、ということ。

もう少し言えば、書きたいことがあって書ける日もあれば、書くことがなくて、そんなに書きたい気分でもない日もある。書きたいことがあっても、書けない日もある。書きたい気分じゃなくとも、なんだかんだ書いていた日もある。

「書きたい」と「書きたくない」の間は、グラデーションのようだと思う。濃淡はさまざま。

そのグラデーションの間を、日々行ったり来たりしているようだった。
両極端な「書きたい」と「書きたくない」のどちらかに、ずっといるということは、あまりなかったような気がする。

「書きたい」気持ちは、日々揺らぐ。まるで波に揺られているかのように。

揺らぎながら書いているせいか、内容も出来も日によって違う。なかなか安定しない。

では安定したいのか、と聞かれたら。
記事の出来、クオリティは安定させたいとは思う。内容も、ある程度一定のほうが読んでくださる方は読みやすいんじゃないか、と思ったりもする。

ただ、安定させられる自信は、今のところない。
私にとってnoteは、書くことそれ自体が目的と化しているところがある。
そして、日々揺らぎながら書いているのだ。

もしかしたら私は、その揺らぎごと、掬い上げて写し取るかのようにして、noteを書きたいんじゃないか、とも思う。

むしろ、その揺らぎこそ、残していきたいのではないか、と。

私の書いているnoteの記事は、書いて、残して、どうにかなるものではないと思う。なんなら何にもならないかもしれない。

何にもならないことに、これだけの労力とエネルギーをかけて、どうするのかと、思わないこともないけれど。

人は変わるし、日常も変わっていく。今日の出来事も、その感情も、1週間後、1ヶ月後、1年後には、忘れているかもしれない。
日々変化していく思考や感情を、その一瞬でも切り取って、残すことができたら。

それは、未来の自分にとっての、贈り物になるかもしれないから。

だから私は、今日もnoteを書いているのかもしれない、と思うのだ。

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