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自称ピアノの発明者、クリストフ・ゴットリープ・シュレーター(184)

J.S.バッハは1747年にローレンツ・クリストフ・ミツラーの「音楽学術協会」の会員になり(会員番号がBACH数である14番になるまでわざわざ待っていたのです)、有名な肖像画やゴルトベルク変奏曲の主題による謎カノンなどを提出したわけですが、その年の同協会の機関誌的な定期刊行物である『音楽文庫』には、ノルトハウゼンのオルガニスト、クリストフ・ゴットリープ・シュレーター Christoph Gottlieb Schröter (1699-1782) による、自分はクリストフォリよりも先にピアノを発明したと主張する1738年9月22日付けの書簡が掲載されています 。なお、彼は1739年入会の4番目の会員。

Christoph Gottlieb Schröter
https://www.portraitindex.de/documents/obj/oai:baa.onb.at:3809133

それによると、彼は1717年にハンマーによる鍵盤楽器を実現しており、クリストフォリは2番目に過ぎないとのこと。

私たちはクリストフォリが1700年までにアルピチンバロ=ピアノを完成させていたことをメディチ家の記録から知っていますし、当時としても1711年にはシピオーネ・マッフェイによる紹介記事が刊行されているわけですから、こいつは何を言ってるんだとしか思えませんが、彼がクリストフォリの発明を知ったのは、1725年に出版されたマッフェイの記事のドイツ語訳であるらしく、それには元記事の日付が書かれていなかったため、このような勘違いが生じた模様です。

Musikalische Bibliothek,1747.
https://www.digitale-sammlungen.de/en/view/bsb10599091

これらの職人の中には何年にも渡って私の発明を自分のものであるかのように偽ってきた厚顔無恥な者が確かにおります。彼らはそのように扱われるには相応しくありません。実際には私が、1717年、ドレスデンで、多くの検討を経た後に、ハンマーによる新型の鍵盤楽器を作ったのです。それにはバネの有るものも無いものもありましたが、自在に強弱をつけられ、歌うように優雅に全てを演奏することが可能でした。

それから間もなく、陛下の御前にてヴィズム伯爵と数名の侍従ならびに高名なカペルマイスターのシュミーデン氏らの列席の下、二度の試験を行う幸運に与り、承認をいただけました。そのため熟練の職人に依頼して磨きをかけて仕上げるべきだと考えたのです。冗長になるのを避けるため、このモデルを見聞きした他の著名な方々の名前は挙げませんが、信頼できる情報によれば、ほとんどがまだ存命であるはずです。また、私に多大な損害と大いなる侮辱を与えて、この賞賛に値する事業を阻止し、私がクールザクセン州を離れた後この発明をドイツ国内外に広めた慇懃な田舎者が誰かなどについて詳しくは語りません。

しかしこれだけは確かなことは、マッテゾンの『音楽批評』第2巻336頁で言及されているバルトロメオ・クリストファリ氏は2番目の発明者に過ぎず、正しい時系列では私が最初であるということです。これは異なる時に異なる人物が、同じ意図で同じ物を発明することがあるという例証です。印刷術でも同様の論争があったようです。

ついでに言うと、折りたたみチェンバロの発明者とされるフランスのジャン・マリウスが、1716年に打弦式鍵盤楽器である Clavecin a maillets の特許を得ていますので、シュレーターはこちらにも遅れを取っています。マリウスの方はすぐにそれが既存の発明であると訴えられていますが。

シュレーターは結局勘違いに気づくことは無く、その後フリードリヒ・ヴィルヘルム・マールプルク発行の雑誌『音楽批評書簡』の1763年8月27日と9月3日号に、同様の主張と共に彼が発明したという2種類のアクションの概念図を掲載しています。

Kritische Briefe über die Tonkunst, 1763.
http://resolver.staatsbibliothek-berlin.de/SBB000220C400010000
Ibid.

いずれもエスケープメントの役割を射出式のタンジェントが行う仕組みです。前者は棒状のタンジェントを垂直に打ち上げ、それでハンマーを動かし、後者はタンジェントで直接弦を打ちます。

前者のような楽器の存在は知られていませんが、後者はシュペート Franz Jakob Späth (1714-1786) のタンジェント・ピアノ Tangentenflügel に似ていなくもないので、影響を与えた可能性はあるかもしれません。シュレーターは加速用の中間レバーを使用していますが、これはシュペートの楽器にもあります。ただしシュペートは1751年にはタンジェント・ピアノを製作しているので、少なくとも1763年出版の図を参考にしたわけではありません。

© 2006 Bms72
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tangentenmechanik.JPG
CC BY-SA 3.0
https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/deed.en

するとシュレーターはハンマー式のピアノの発明者ではなくとも、タンジェント・ピアノの発明者の候補にはなりうるでしょうか。しかしながらマリウスによる機構案にはタンジェント・ピアノ方式のものも示されているのです。また1717年に簡易的なタンジェント・ピアノに改造されたイタリアのヴァージナルも知られており、この種の鍵盤楽器は相当古くから存在した可能性もあります。

Edwin M. Ripin, "En Route to the Piano: A Converted Virginal," Metropolitan Museum Journal Vol. 13 (1978), pp. 79-86.
https://doi.org/10.2307/1512712

シュレーターの主張はその後もドイツ語の文献の間で流布し、ドイツでは彼をピアノの発明者とする説が根強く残りました。愛国的なドイツ人にはクリストフォリをピアノの発明者と認めない人々がごく最近まで居たらしく、あるいはまだ健在かもしれません。フランス人が飛行機の発明者はクレマン・アデールだと言うようなものでしょう。

© 2022 ThomasMelle
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Infotafel_Schr%C3%B6ter_Hohnstein.jpg
CC BY-SA 4.0
https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.en


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