ミュンヘンのバイエルン州立図書館所蔵の『カルミナ・ブラーナ』(Carmina Burana, Clm 4660) の原本の冒頭には「運命の輪」の挿絵があり、頁の下の方にはカール・オルフの例の曲で有名な《O Fortuna velut luna》の詩が見えます。
しかし実は、この《O Fortuna velut luna》は後に余白に書かれたもので、この頁の本来のコンテンツは、その上にネウマ譜付きで載っている《Fas et nefas ambulant》の方なのです。
では何故ここに「運命」の挿絵があるかといえば、現在の写本の頁順は後にに改編されたもので、元々この頁は第48葉裏の《O Fortuna levis》の次に位置していたのです。おそらく見栄えのする絵のために冒頭に移されたのでしょう。
その下には、やはり追記された《Fortunae plango vulnera》があります。内容は挿絵によく対応しています。
ということは、車輪の下敷きになってる人はトロイアの女王ヘカベでしょうか?
でもこれは多分挿絵が先にあって、それを見ながら作った戯れ歌ではないかと思います。
また、この車輪の中の人物は、一般に運命の女神フォルトゥナであると見られていますが、顔がおっさん臭い、ポーズがフリードリヒ2世の皇帝印にそっくり、などの理由から、そもそも女性であることを疑問視する向きもあります。
でも、まあ、これは確かに運命の女神で間違いないでしょう。この図は12世紀に流行した運命の輪を回し王の興亡を支配するフォルトゥナ像に倣ったものと思われます。なお『カルミナ・ブラーナ』は1230年頃の成立と見られています。
『カルミナ・ブラーナ』は1803年にミュンヘン南郊のベネディクトボイエルン修道院で発見され、それから40年以上経った1847年にヨハン・アンドレアス・シュメラーによってようやく刊行されました。
その冒頭を飾る運命の女神は美しく威厳に満ち、その下には女神に畏怖するように《O Fortuna velut luna》の悲壮な詩句が綴られています。
オルフに霊感を与えたのは正しくシュメラー版のこの頁であって、これが他のものであったなら、かの名曲は生まれ得なかったことでしょう。