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行き場のない僕たちは 夜明けまでただ歩いた 安っぽいプライドだけ 肩からぶら下げたまま 金もない夢もない 明日は見えない 宛もない どうしようもない ないないづくしです 桜の花がきれいに咲いても 見向きもしなかった なのに今なぜか 花を見て 泣いているくらいに 心は 若返ったように 青臭いよ。
冬の町並みを 横切る電車が あなたを乗せて これから 向かう先は思い人の住まう町 どんな顔して逢えばいいか 今、考えてるんだ 例えば私が絵描きなら 私の心を絵にして あなたに届けられるだろう だけど私にはできない だからこの心を伝えるすべは ひとつだけ 言葉、ひとつ それだけなんだ 描きかけの自画像は 私の心を描こうとして 悲しく絵の具が滲んでる 駅に着いたら 連絡するよなんて 雪混じりの空が透き通って 見えた あなたはいつでも、 私の言葉を疑わない 優しい 人だから 嘘も計
風習怪談は、その土地の歴史にもふれることができる上に今は廃れてしまったけれど、過去を回想することのできる手段でもあると思う。 祭事や、その家でのみ行われる怪しげな風習が、口伝により長い歴史をかけてその風習を知る人から取材できたときに過去と現在とのつながりを再確認することができる重要な歴史的資料であるとともに、表現を選ぶならば"生きた化石"のようなものでもあると思う。
歩き続けて どこまで行くのか 宛もないまま なんとなく大人になって 映画でも観ているように 他人の人生をただ眺めている だけどそれは自分自身の 人生だと気づいた 煙草一箱買う余裕があれば 腹を満たすこともできるのに 気づけばあなたは 煙に濡れている 駄目なんだもう少しまともに ならなきゃ 朝から何も食ってない 笑うだけの元気もなく ただ行き交う人波を 眺めているだけで 歳だけ 重ねてく人生ほど むなしいものはないね。
手の届かない星を 幼い頃に欲しがっていた 母さんを困らせていたって 父さんから聞いたよ 会社からの帰り道 ふと見上げた空は一面の 星空だったよ あんなに あるならひとつくらい くれてもいいのにな 今でも届かない星を 追いかけている 夢なかばで 大人になった 僕は、道に迷って 宛もなく さまよった 何になりたいのか 何をしたいのか それさえもわからないまま いつの間にか 歳だけを重ねた 叶えたい夢が最近出来たんだよ ってあなたに伝えたい
どれだけ あなたからもらっただろう 優しさやぬくもりや時には厳しさを 雨のようにこの身を 包み込み幸せで泣きながら笑ったよ 明日たとえば あなたがいなくなったら きっとこの世界には 僕が生きる意味がひとつなくなってしまう だから、あなたには幸せで あってほしいと願うんだ あなたの笑顔だけが 僕の悲しみや絶え間のない孤独を 明るく笑い飛ばしてくれる 明日の朝には この雨は止んで青空が見えるとの 報せがあったよ なぜだろう何気ないすべてが 特別なものに変わった気がした
なぜだろうあなたの笑顔を見ていると幸せな気持ちになってしまう こんな気持ちは生まれてはじめてだよ もしかしたら気づかなかったのかもしれない あなたが笑うと 僕もつられて笑った あなたが泣けば 僕も悲しくなった いくら笑っても 泣いてみても 足りないほどに もっとあなたのそのめくるめく表情の向こうにある 本当の心にふれてみたくなる 生きる喜びをあなたからもらったよ 大袈裟かもしれないよ だけど本当のことさ あなたがいればね何もいらない そんな気持ちになるのも生まれてはじめ
恋をしていたのは いつのことだろう もうどれくらい前かも わからない昔のこと だったかもしれない 本のページを指で手繰り 読むふりで 内容など 本当はどうでもよくて 本が手元にあればそれで 良かった つまりそれは人生を揶揄しているのです 命を僕はもて余している 泣いて笑って それだけで輝いていた日々の 憧れだけで胸が満たされていたあの頃は きっと君が笑えば世界が眩しく輝いた まだ白いシャツが似合う頃 何色にも染まれたのに なぜ、僕はこんなに汚れてし
僕は誰なんだろう 僕はなんだろう そんなことを思うようになって 大人になったふりをしている 背格好だけの形だけの大人に 街にあふれた人の数だけある 生き方に僕はふれて気づくよ この声は雑踏を越えてあなたの胸に届きますか? 自問自答する日々 太陽が今にも沈んでく 夜がくる前に 何かを決めてしまわなければ 歩き出せないまま 地図は広がってく被写体のない写真のように ただ遥かに大地を涖(のぞ)むロードムービー。
大切だと思う人の名前を呼ぶとき なぜかそれだけで幸せになれてしまう魔法のようだね あなたに出会えて良かった 心からそう思った ふと何気なく気づくといつもあなたに笑っていてほしくて あなたを笑わせることが僕の喜びに変わったよ 欲しいものなんてもう何もない こんな気持ちになるなんて 思わなかった 暮れゆく町の空がなぜか綺麗で泣きたくなるのは気のせいでしょうか 愛する人の名前を呼ぶとき この世にはない永遠を感じてしまうのはなぜなんだろう 見上げた空が青いように
あなたについて何もそういや何も知らないな 昔どうしたなんて話は なるべく聞きたくなくはないんだけどあなたはどうやら別みたい 僕が知りたいのはねあなたが幸せだったこと だけどあなたの傷跡に向き合わなければ見えないあなたもいることを知ったいまは 悲しい話もあなたが話してくれるのを待つよ 知らないあなたを知りたいと思った日から数えて何度目かの春が来て 窓の外の川沿いには満開の八重桜が咲いている 綺麗だな あなたとこうしてあと何度見れるだろうか 何度も見よう 春が来る
積み重ねた言葉よりも時間よりも たぶん僕は君から たくさんの笑顔をもらったよ ありがとうかな ごめんなさいかな 言葉を選びながら たまには間違いながら すれ違わないように 歩幅を合わせてみても上手くいかないな カレンダーの25日には赤い丸をつけて 特別な日を演出してみようか 腕時計で確かめる待ち合わせの時間 あと少しであなたに逢えるんだ 雪が降る道を 何も言わずに ただ 歩く 時間が 愛しくて仕方ないや 何も言葉は交わさなくても いつの間にか 重
風習怪談は、率先して語っていきたいですね。 理由としましては、過疎化が進んだ村落では、80、90を迎える老人たちがいて人生の酸いも甘いも知ってきたいわゆる戦争体験者が持つ怪談は、歴史的資料価値がある。 殊更、風習や習俗にまつわる怪談は貴重であり、その当時の生活様式や暮らしをありありと映す鏡であり、口伝により記録された生きた景色だと思っている。それを聞き取り、取材することの意義は次の世代に伝えることにあり、風化させてはいけない記録ばかりなので、お年寄りへの取材はわりと早い段階で
屋敷神……家の付近に祀る神の名前。 先ずは、屋敷神を起点として話を展開していくと、氏神と混同されがちだが、氏神は基本的には土地を守護する神で、屋敷神は、家を守護する、先祖神、稲荷神なども関わっている。 いわゆる農耕神とも深い関わりがあるとされる。 次に、座敷わらしの話をする。 座敷わらしとは妖怪のことだが、 家に住まい、出ていくとその家は、没落の一途を辿るとされる家神の一種だが、幼い子供の姿がイメージされると思うが、私の聞いた話では老人の姿であったり、性別も様々で、見た目が
七福神というくらいだから七人の神様がいるわけで、 それぞれ、財福、商業、などのご利益があるとされている。 恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋尊、福禄寿、寿老人の七人。 インドや中国から来た神様に分けることもできるが、 七福神の七という数字は、仏教の七難即滅七福即生が大きく関わる説もあり、七福神信仰という言葉もあるくらいなので、福の神を祀り、災いを退けるそういった特殊な家の話を過去に聞いた、そのひとつを紹介すると、 先祖の中でも特に家に繁栄をもたらした男女
僕らはなんとなく 距離感を計りながらさ ひとつの季節をもう何周もしているね 春がまた来ては夏がやって来て 気づけばコートなしでは いられないほど寒い冬が来たね 冬は案外、好きなんだ 距離が縮まるからね 一歩ずつでいい お互いを知っていこう 埋まらない寂しさは いつの日か思い出が埋めてくれる筈 くだらないことに笑ったり 大袈裟に泣いたりして めくるめくあなたの表情を 万華鏡覗くみたいに 見つめているだけで 時間が過ぎていくけど それはなんて素晴らしい日々なんだろう